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福翁自伝 / 幼少の時・手端器用なり

以上は学問の話しですが、尚お此の外に申せば、私は旧藩士族の小供に較べて見ると手の先きの器用な奴で、物の工夫をするような事が得意でした。例えば井戸に物が墜ちたと云えば、如何云う塩梅にして之を揚げるとか、箪笥の錠が明かぬと云えば、釘の尖などを色々に抂げて遂に見事に之を明けるとか云う工風をして面白がって居る。又た障子を張ることも器用で、自家の障子は勿論、親類へ雇われて張りに行くこともある。兎に角に何をするにも手先が器用でマメだから、自分にも面白かったのでしょう。ソレカラ段々年を取るに従て仕事も多くなって、固より貧士族のことであるから、自分で色々工風して、下駄の鼻緒もたてれば雪駄の剥れたのも縫うと云うことは私の引受けで、自分のばかりでない、母のものも兄弟のものも繕うて遣る。或は畳針を買て来て畳の表を附け替え、又或は竹を割って桶の箍を入れるような事から、その外、戸の破れ屋根の漏りを繕うまで当前の仕事で、皆私が一人でして居ました。ソレカラ進んで本当の内職を始めて、下駄を拵えたこともあれば、刀剣の細工をしたこともある。刀の身を磨ぐことは知らぬが、鞘を塗り柄を巻き、その外、金物の細工は田舎ながらドウヤラコウヤラ形だけは出来る。今でも私の塗た虫喰塗りの脇差の鞘が宅に一本あるが、随分不器用なものです。都てコンナ事は近処に内職をする士族があってその人に習いました。

書き下し

以上は学問の話しですが、尚お此の外に申せば、私は旧藩士族の小供に較べて見ると手の先きの器用な奴で、物の工夫をするような事が得意でした。例えば井戸に物が墜ちたと云えば、如何云う塩梅にして之を揚げるとか、箪笥の錠が明かぬと云えば、釘の尖などを色々に抂げて遂に見事に之を明けるとか云う工風をして面白がって居る。又た障子を張ることも器用で、自家の障子は勿論、親類へ雇われて張りに行くこともある。兎に角に何をするにも手先が器用でマメだから、自分にも面白かったのでしょう。ソレカラ段々年を取るに従て仕事も多くなって、固より貧士族のことであるから、自分で色々工風して、下駄の鼻緒もたてれば雪駄の剥れたのも縫うと云うことは私の引受けで、自分のばかりでない、母のものも兄弟のものも繕うて遣る。或は畳針を買て来て畳の表を附け替え、又或は竹を割って桶の箍を入れるような事から、その外、戸の破れ屋根の漏りを繕うまで当前の仕事で、皆私が一人でして居ました。ソレカラ進んで本当の内職を始めて、下駄を拵えたこともあれば、刀剣の細工をしたこともある。刀の身を磨ぐことは知らぬが、鞘を塗り柄を巻き、その外、金物の細工は田舎ながらドウヤラコウヤラ形だけは出来る。今でも私の塗た虫喰塗りの脇差の鞘が宅に一本あるが、随分不器用なものです。都てコンナ事は近処に内職をする士族があってその人に習いました。

現代語訳

以上は学問の話ですが、なおこのほかに申せば、私は旧藩士族の子供と比べてみると、手先の器用な奴で、物の工夫をするようなことが得意でした。たとえば井戸に物が落ちたといえば、どういう具合にしてこれを揚げるとか、箪笥の錠が開かないといえば、釘の先などをいろいろに曲げて、ついに見事にこれを開けるとか、そういう工夫をして面白がっています。また障子を張ることも器用で、自分の家の障子はもちろん、親類に雇われて張りに行くこともあります。とにかく何をするにも手先が器用でまめなので、自分でも面白かったのでしょう。それからだんだん年をとるにしたがって仕事も多くなり、もとより貧しい士族のことですから、自分でいろいろ工夫して、下駄の鼻緒もすげれば、雪駄の剥がれたのも縫うということは私の引き受けで、自分のものばかりでなく、母のものも兄弟のものも繕ってやる。あるいは畳針を買ってきて畳の表を付け替え、またあるいは竹を割って桶の箍を入れるようなことから、そのほか、戸の破れ、屋根の雨漏りを繕うことまで当たり前の仕事で、みな私が一人でしていました。それから進んで本当の内職を始め、下駄を作ったこともあれば、刀剣の細工をしたこともあります。刀の身を研ぐことは知りませんが、鞘を塗り、柄を巻き、そのほか金物の細工は、田舎ながらどうにかこうにか形だけはできます。今でも私が塗った虫喰塗りの脇差の鞘が家に一本ありますが、ずいぶん不器用なものです。すべてこんなことは、近所に内職をする士族がいて、その人に習いました。

解説

学者の卵であった福沢が、じつは手仕事の達人でもあったことを語る一節です。井戸に落ちた物を揚げる、錠を開ける、障子や畳を直す、下駄や刀の鞘を作る。貧しい士族の暮らしの中で、必要から身についた工夫の力でした。のちの福沢が、観念より実際の役に立つ学問を重んじた土台は、こうした生活の経験にあります。書物の知識だけでなく、手を動かして直す体験があると、問題を現場の言葉で考えられます。自分の鞘を不器用と笑う謙遜も含め、実用の感覚が育つ過程が見えてきます。

この章句が説くこと

手先の器用さ工夫内職貧しい士族実用手仕事

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