弟子規 / 餘力學文・非聖書
非聖書、屏勿視、蔽聰明、壞心志 勿自暴、勿自棄、聖與賢、可馴致
新字:非聖書、屏勿視、蔽聰明、壊心志 勿自暴、勿自棄、聖与賢、可馴致
書き下し
聖に非ざる書は、屏けて視る勿かれ。聡明を蔽い、心志を壊る。 自ら暴する勿かれ、自ら棄つる勿かれ。聖と賢とは、馴致すべし。
現代語訳
聖人の教えでない書物は、退けて見てはいけません。聡明さを曇らせ、志を損なうからです。 自分を傷つけてはならず、見限ってもなりません。聖人も賢人も、少しずつ近づいてなれるものです。
解説
弟子規の結びで、聖賢の書以外を退けよという、当時の教育観がよく表れています。読む本を厳しく絞る見方は今の学びとは異なりますが、何を読むかで心が形づくられるという認識は今も通じます。後半の「自暴自棄」の語は、『孟子』離婁篇に由来します。自分を傷つけ、見限る者とは、ともに語れないという趣旨です。聖賢は生まれつきの別世界の人ではなく、少しずつ近づいていける目標だと、この書は子どもに言い聞かせて終わります。自分を見限らない姿勢こそ、成長の出発点です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
聖賢の書聡明自暴自棄馴致志
関連する章句
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啓発録・跋嗚呼如何せん、吾身刀圭の家に生れ、賤技に局々として、吾初年の志を遂る事を不得を。然れども所業は此に在りても、所志は彼に在り候へは、後世吾心を知り吾志を憐み吾道を信ずる者あらん歟。嘉永戊申季夏橋本左内誌。
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孟子・盡心章句上孟子曰く、「孔子東山に登りて魯を小とし、泰山に登りて天下を小とす。故に海を観る者には水と為し難く、聖人の門に游ぶ者には言と為し難し。水を観るに術有り、必ず其の瀾を観る。日月明有り、光を容るるところ必ず照らす。流水の物為るや、科に盈たざれば行かず。君子の道に志すや、章を成さざれば達せず。」
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『大和俗訓』巻之一・為学上されども芸は末なり、道義の学は本なり。芸をひたすら好めば、必学の志をうばはれて失ふものなり。いはんや私欲のなぐさみ好みにまかするをや。いましむべし。志を立つれば、たとへば西国の人のあづまへ行かんとおもひ立ちて、日々に行くに、其間昼夜あづまへ行かんと思ふ心は、念々つねにやまず。是あづまへ行く志たつなり。かくの如くなれば、つひに志す所に行きとどかずといふ事なし。道に志すも亦かくの如くなるべし。
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『正法眼蔵随聞記』巻五亦云く、仙人ありき、或人問て云く、如何がして仙を得ん、仙人の云く、仙を得んと思はゞ仙道を好むへしと、然れば学人も仏祖の道を得んと思はゞ、須く仏祖の道を好むへし、
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『慎思録』巻之一道に志す者は、須らく誠敬以て其の志を守るべし。然らざれば則ち流蕩放荒して道を忘れ、終にも亦必ず亡びんのみ。今の学者、大率人の不善を責むるの意思常に多くして、己の不善を責むるの意思常に少なし。此れ聖賢を以て人を律し、衆人を以て己を待すと謂ふ。是を以て学を為す者の、終に己に益無き所以なり。
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論語・公冶長篇顔淵・季路侍る。子曰く、「盍ぞ各々爾の志を言わざる。」子路曰く、「願わくは車馬衣裘、朋友と共にし、之を敝るとも憾み無からん。」顔淵曰く、「願わくは善に伐ること無く、労を施すこと無からん。」子路曰く、「願わくは子の志を聞かん。」子曰く、「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」