弟子規 / 親仁・同是人
同是人、類不齊、流俗眾、仁者希 果仁者、人多畏、言不諱、色不媚 能親仁、無限好、德日進、過日少 不親仁、無限害、小人進、百事壞
新字:同是人、類不斉、流俗衆、仁者希 果仁者、人多畏、言不諱、色不媚 能親仁、無限好、徳日進、過日少 不親仁、無限害、小人進、百事壊
書き下し
同じく是れ人なれども、類は斉しからず。流俗は衆く、仁者は希なり。 果たして仁者なれば、人多く畏る。言は諱まず、色は媚びず。 能く仁に親しめば、限り無く好し。徳は日に進み、過ちは日に少なし。 仁に親しまざれば、限り無く害あり。小人進み、百事壊る。
現代語訳
同じ人であっても、種類は一様ではありません。世間に流される俗人は多く、仁者は少ないものです。 本当の仁者であれば、人の多くは畏れ敬います。言葉は遠慮なく直言し、顔色でこびることはありません。 よく仁者に親しめば、この上なく良いことです。徳は日々進み、過ちは日々減ります。 仁者に親しまなければ、際限なく害があります。小人が出てきて、万事が壊れます。
解説
「親仁」の部の要となる条で、『論語』学而篇の「仁に親しむ」を受けています。仁者は少なく、遠慮のない直言をして人にこびないため、敬われはしても近づきにくい存在だと言います。それでも近くに置けば、徳が進み過ちが減ると説きます。逆に耳ざわりのよい人ばかり近づければ、組織は少しずつ壊れます。経営者や管理職にとって、側近に誰を置くかは決定的な問題です。居心地のよさだけで周りを固めていないか、点検する目安になる条です。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
親仁仁者流俗直言小人百事壊る
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