智囊 / 武案・王稟
金粘罕攻太原,悉破諸縣,獨城中以張孝純、王稟固守不下。其攻城之具,曰炮石、洞子、鵝車、偏橋、雲梯、火梯,凡有數千。每攻城,先備克列炮三十座,凡舉一炮,聽鼓聲齊發,炮石入城者大於鬥,樓櫓中炮,無不壞者。賴總管王稟先設虛柵,下又置糠布袋在樓櫓上,雖為所壞,即時復成。粘罕填壕之法,先用洞子,下置車轉輪,上安居木,狀如屋形,以生牛皮縵上,又以鐵葉裹之;人在其內,推而行之,節次相續,凡五十餘輛,人運土木柴薪於中。粘罕填壕,先用大板薪,次以薦覆,然後置土在上,增覆如初。王稟每見填,即先穿壁為竅,致火鞲在內,俟其薪多,即便放燈於水中,其燈下水尋木,能燃濕薪,火既漸盛,令人鼓鞲,其燄亙天,至令不能填壕。其鵝車亦如鵝形,下亦用車輪,冠之以皮鐵,使數十百人推行,欲上城樓。王稟於城中亦設跳樓,亦如鵝形,使人在內迎敵,鵝車至,令人在下以搭鉤及繩拽之,其車前倒,又不能進。其雲梯,火梯亦用車輪,其高一如城樓,王稟隨機應變,終不能攻。
新字:金粘罕攻太原,悉破諸県,独城中以張孝純、王稟固守不下。其攻城之具,曰炮石、洞子、鵝車、偏橋、雲梯、火梯,凡有数千。毎攻城,先備克列炮三十座,凡舉一炮,聴鼓声斉発,炮石入城者大於鬥,楼櫓中炮,無不壊者。頼総管王稟先設虚柵,下又置糠布袋在楼櫓上,雖為所壊,即時復成。粘罕填壕之法,先用洞子,下置車転輪,上安居木,状如屋形,以生牛皮縵上,又以鉄葉裹之;人在其内,推而行之,節次相続,凡五十余輛,人運土木柴薪於中。粘罕填壕,先用大板薪,次以薦覆,然後置土在上,增覆如初。王稟毎見填,即先穿壁為竅,致火鞲在内,俟其薪多,即便放灯於水中,其灯下水尋木,能燃湿薪,火既漸盛,令人鼓鞲,其焔亙天,至令不能填壕。其鵝車亦如鵝形,下亦用車輪,冠之以皮鉄,使数十百人推行,欲上城楼。王稟於城中亦設跳楼,亦如鵝形,使人在内迎敵,鵝車至,令人在下以搭鉤及縄拽之,其車前倒,又不能進。其雲梯,火梯亦用車輪,其高一如城楼,王稟随機応変,終不能攻。
書き下し
金の粘罕、太原を攻め、悉く諸県を破る。独り城中のみ張孝純、王稟の固守を以て下らず。其の攻城の具、炮石、洞子、鵝車、偏橋、雲梯、火梯と曰い、凡そ数千有り。城を攻める毎に、先に克列炮三十座を備え、凡そ一炮を挙ぐるに、鼓声を聴きて斉しく発す。炮石の城に入る者、鬥より大なり。楼櫓の炮に中たるもの、壊れざる無し。総管の王稟、先に虚柵を設け、下に又た糠布袋を楼櫓の上に置くに頼り、壊さるると雖も、即時に復た成る。粘罕の壕を填むるの法は、先に洞子を用い、下に車の転輪を置き、上に居木を安んじ、状は屋形のごとし、生牛皮を以て上に縵い、又た鉄葉を以て之を裹む。人其の内に在り、推して行き、節次相続くこと凡そ五十余輛、人は土木柴薪を中に運ぶ。粘罕の壕を填むるは、先に大板薪を用い、次に薦を以て覆い、然る後に土を上に置き、増し覆うこと初めのごとし。王稟、填むるを見る毎に、即ち先に壁を穿ちて竅を為り、火鞲を内に致し、其の薪の多きを俟ち、即便ち燈を水中に放つ。其の燈は水の下に木を尋ね、湿薪を燃やす能う。火既に漸く盛んなれば、人をして鞲を鼓せしむ。其の焔は天に亘り、壕を填むる能わざらしむるに至る。其の鵝車も亦た鵝の如き形にして、下も亦た車輪を用い、冠するに皮鉄を以てし、数十百人をして推し行かしめ、城楼に上らんと欲す。王稟、城中に於いて亦た跳楼を設く、亦た鵝の如き形、人をして内に在りて敵を迎えしむ。鵝車至れば、人をして下に在りて搭鉤及び繩を以て之を拽かしむ。其の車前に倒れ、又た進む能わず。其の雲梯、火梯も亦た車輪を用い、其の高さ一に城楼のごとし。王稟、機に隨い変に応じ、終に攻むる能わず。
現代語訳
金の粘罕(ニエンハン)は太原を攻め、すべての県を破った。ただ城内だけが、張孝純と王稟の固守によって降らなかった。その攻城の道具は、炮石、洞子、鵝車、偏橋、雲梯、火梯といい、合わせて数千もあった。城を攻めるたびに、まず克列炮三十座を備え、一つの炮を挙げれば、鼓の合図で一斉に発射した。城内に入った炮石は斗よりも大きく、楼や櫓に当たれば壊れないものはなかった。総管の王稟は、あらかじめ偽の柵を設け、さらに楼や櫓の上に糠を詰めた布袋を置いていたので、壊されてもすぐに元に戻せた。粘罕が堀を埋める方法は、まず洞子を使う。下に車輪をつけ、上に居木を載せ、家のような形で、生の牛皮を張り、さらに鉄板で包む。人はその中に入って押して進み、五十余両が連なり、土や木や柴を中で運んだ。粘罕は堀を埋めるとき、まず大きな板や薪を敷き、次に筵で覆い、その上に土を置き、また初めのように覆った。王稟は埋めるのを見るたびに、先に壁に穴を開け、火の吹子を内に置き、薪が多くなるのを待って、すぐに燈を水中に放った。その燈は水の下で木を探して湿った薪も燃やす。火が次第に盛んになれば、人に吹子を動かさせた。炎は天に届き、堀を埋められなくした。鵝車もガチョウの形で、下に車輪を用い、皮と鉄で覆い、数十人から百人で押して進み、城楼に登ろうとした。王稟は城中に跳楼を設け、これもガチョウの形で、人を内に置いて敵を迎えさせた。鵝車が来ると、人を下に置き、鉤や縄で引っ張らせた。その車は前に倒れ、進めなくなった。雲梯や火梯も車輪を用い、高さはちょうど城楼ほどだった。王稟は機に応じ変に応じて対処し、ついに攻められなかった。
解説
この章句が説くこと
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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