智囊 / 制勝・王守仁
宸濠舟至李陽河,遇火牌,覽之驚駭,由是散亡居半,繼又發水卒千人,盛其標幟,乘飛艦百餘艘,鼓噪而進,聲為安慶應援,城中望見,士氣百倍,銳即開門出敵,水陸夾攻,賊遂大潰。時宸濠營於黃石磯,聞敗將遁,公自將兵逐北,宸濠奔入鄱陽湖,適遇巡撫王公陽明引兵至湖,遂成擒焉。後論功竟不及公,胡御史潔目擊其事,特為論列,不報,故今人盛稱陽明,而不及梧山,亦有幸有不幸歟?〔又按〕宸濠兵起,聲言直取南京,道經安慶,太守張文錦與守備楊銳等合謀,令軍士鼓噪登城大罵,激怒逆濠,使頓兵挫銳於堅城之下。而陽明得成其功,雖天奪其魄,而張、楊諸公之智,亦足述矣。
新字:宸濠舟至李陽河,遇火牌,覧之驚駭,由是散亡居半,継又発水卒千人,盛其標幟,乗飛艦百余艘,鼓噪而進,声為安慶応援,城中望見,士気百倍,鋭即開門出敵,水陸夾攻,賊遂大潰。時宸濠営於黄石磯,聞敗将遁,公自将兵逐北,宸濠奔入鄱陽湖,適遇巡撫王公陽明引兵至湖,遂成擒焉。後論功竟不及公,胡御史潔目撃其事,特為論列,不報,故今人盛称陽明,而不及梧山,亦有幸有不幸歟?〔又按〕宸濠兵起,声言直取南京,道経安慶,太守張文錦与守備楊鋭等合謀,令軍士鼓噪登城大罵,激怒逆濠,使頓兵挫鋭於堅城之下。而陽明得成其功,雖天奪其魄,而張、楊諸公之智,亦足述矣。
書き下し
宸濠の舟、李陽河に至り、火牌に遇う。之を覽て驚駭し、是れより散亡すること半ばに居る。繼いで又、水卒千人を發し、其の標幟を盛んにし、飛艦百餘艘に乘り、鼓噪して進み、聲は安慶の應援を為すとす。城中、望見して、士氣百倍す。銳、即ち門を開きて敵に出で、水陸より夾撃す。賊遂に大いに潰ゆ。時に宸濠は黃石磯に營す。敗るるを聞きて將に遁れんとす。公、自ら兵を將いて北ぐるを逐う。宸濠は鄱陽湖に奔入するに、適々巡撫王公陽明の兵を引いて湖に至るに遇い、遂に擒を成す。後に功を論ずるに、竟に公に及ばず。胡御史潔、其の事を目擊し、特に為に論列するも、報ぜられず。故に今人は陽明を盛稱して、梧山に及ばず。亦た幸有り、幸ならざる有るかな。〔又按〕宸濠兵起こりて、聲言して直ちに南京を取らんとす。道、安慶を經。太守張文錦、守備楊銳らと合謀し、軍士をして鼓噪して城に登り大罵せしめ、逆濠を激怒せしめて、兵を堅城の下に頓め銳を挫かしむ。而して陽明、其の功を成すを得たり。天、其の魄を奪うと雖も、張、楊諸公の智も、亦た述ぶるに足る。
現代語訳
宸濠の舟が李陽河に着いたとき、火牌に出くわしました。これを読んで驚き恐れ、これによって半数が逃げ散りました。続いて、さらに水軍の兵千人を出し、旗印を盛大に掲げ、軍艦百余隻に乗って鬨の声を上げながら進み、安慶の応援に来たと叫ばせました。城中でこれを望み見て、士気は百倍になりました。楊鋭はすぐに門を開いて敵に出撃し、水陸から挟み撃ちにしました。賊はついに大いに崩れました。そのとき宸濠は黄石磯に陣を置いていましたが、敗北を聞いて逃げようとしました。李梧山は自ら兵を率いて敗走する敵を追いました。宸濠は鄱陽湖に逃げ込みましたが、ちょうど巡撫の王陽明が兵を率いて湖に来たのに出会い、ついに捕らえられました。後に功績を論じたとき、結局李梧山には及びませんでした。御史の胡潔がその事情を目撃し、特に論じて訴えましたが、取り上げられませんでした。それで今の人は王陽明をほめたたえて、李梧山には言及しません。幸運な者と不運な者があるものです。〔又按〕宸濠が兵を起こしたとき、まっすぐ南京を取ると宣言しました。道は安慶を通ります。太守の張文錦は守備の楊鋭らと謀り、兵士に鬨の声を上げて城壁に登らせ大いに罵らせ、逆賊濠を激怒させて、堅い城の下に兵を止めさせて勢いをくじきました。こうして王陽明は功を成すことができました。天が宸濠の魂を奪ったとはいえ、張、楊の諸公の知恵も述べるに値します。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』制勝・王守仁〔按〕陳眉公の『見聞錄』に、宸濠の敗るるは、江西に結ぶと雖も、實は安慶に潰ゆと謂う。功を王陽明に收むと雖も、實は力を李梧山に得たり。李は諱は充嗣、四川の內江の人。正德十四年、南畿に巡撫す。宸濠の護衛を增さんことを請うを聞き、歎じて曰く、「虎にして翼あれば、禍將に作らんとす」と。遂に力めて反狀を陳ぶるも、廷議、之を難しとす。公、乃ち旦夕に方略を設け、武備を飭え、賊を禦ぐを以て念と為す。謂えらく、安慶は畿輔にして、適々賊の衝に當たる、人を得るに非ざれば守る莫しと。諸將の庭參するに當たり、眾の中に獨り指揮使楊銳を揖して之を進めて曰く、「皖城の保障は、之を子に委ぬ。我に負く毋かれ」と。十五年、賊兵、九江を陷れ、公、自ら萬人を將い、彩石に屯し、以て上游の路を塞ぐ。皖城に飛檄し、諭すに忠義を以てす。銳、感激して奮うを思い、機に相いて敵に應じ、發して捷たざる無し。節に間諜の火牌を發して云う、「緊急の軍情の事の為にす。該の欽差太監總兵等官、邊の官軍十萬餘を統領し、一半は將に南京に到らんとし、一半は徑ちに安慶に趨く。並びに兩廣の狼兵、湖廣の土兵を調し、即日に水陸並び進み、俱に安慶に赴き會集し、期を刻して江西の叛賊を進攻せん。今、火牌を將て前路の官司に飛報し、一體に心を同じくして防守し、糧草を預備し、應用を聽候せしむ。等の因」と。
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『智囊』制勝・王守仁濠、果たして人をして公の出でざるを探らしめ、乃ち兵萬餘を留めて省城を守らしめ、而して自ら兵を引いて東に下る。公、濠の已に出ずるを聞き、遂に急に各府の兵を促し、期を刻して豐城に會せしむ。時に濠の兵、已に安慶を圍む。眾議、宜しく急ぎ往き救うべしとす。公謂う、「九江、南康、皆な已に賊の據る所と為る。而して南昌城中は精悍萬餘、食貨重積す。我が兵、若し安慶に抵らば、賊は必ず軍を回して死鬪し、安慶の兵は僅かに自守するに足るのみにして、必ず出でて夾撃する能わず。賊をして南昌の兵に令して我が糧道を絕たしめ、九江、南康、勢いを合わせて撓攝し、而して四方の援は又望むべからざれば、事は其れ危うし。今、我が師、驟かに集まり、先聲の加わる所、城中必ず恐れん。力を並せて急に攻めば、其の勢い必ず下さん。此れ孫子の趙を救うに魏に趨くの計なり」と。偵者言う、「新、舊の廠に伏兵萬餘、以て犄角に備う」と。公、兵を遣わして間道より襲いて之を破る。潰卒、城に入り、城中、王師の雨のごとく集まるを知り、皆な大いに駭き、遂に一鼓にして之を下す。濠、我が兵の豐城に至るを聞き、即ち舟を回さんと欲す。李士實、諫めて以為えらく、「必ず須く徑ちに南京に往くべし。既に大寶に登らば、則ち江西は自ずから服せん」と。濠聽かず、遂に安慶の圍みを解き、兵を移して阮子江に泊し、歸援の計を為す。公、濠の兵の且に至らんとするを聞き、眾を召して之を議す。眾云う、「宜しく兵を斂めて城に入り、壁を堅くして援を待つべし」と。
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『智囊』制勝・王守仁王陽明、事を勘するを以て豐城を過ぎ、逆濠の變を聞く。兵力未だ具わらず、亟かに流れを溯りて吉安に趨かんと欲す。舟人、濠が千餘人を發して公を劫かさんとするを聞き、畏れて發せず。公、劍を拔きて其の耳を馘り、遂に行く。薄暮、前むべからざるを度り、潛かに漁舟を覓め、微服して以て行き、麾下の一人を留め、己の冠服を服して舟中に居らしむ。濠の兵、果たして舟を犯し、偽者を得て、公の去ること遠きを知り、乃ち罷む。公、中途に至り、濠の速やかに出でんことを恐れ、乃ち間諜を為し、朝廷の密旨を奉ずと假り、兩廣に行令す。湖襄の都御史及び南京の兵部、各々將に命じて師を出だし、暗かに要害の地方に伏せ、以て寧府の兵の至るを俟ちて襲殺せしむ。復た優人數輩を取り、各々公文を將て裌衣の絮中に置き、將に發せんとする間に、又偽太師の家屬を捕捉して舟尾に至らしめ、其をして覘知せしむ。公、即ち佯り怒り、牽きて岸に上げて斬に處せんとし、已にして故らに之を縱ち、其をして奔り報ぜしむ。濠、優を獲て、果たして衣中より公文を搜し得、遂に遲疑して發せず。公、吉安に至り、調度兵糧、粗々備わり、始めて檄を傳えて兵を徵し、濠の罪惡を暴く。濠、公の賣る所と為るを知り、憤然として出でんと欲す。公謂う、「急に其の鋒を犯すは、計に非ざるなり。宜しく自ら守りて出でざるの形を示し、必ず其の出ずるを俟ち、然る後に尾して之を圖るべし。先ず省城を復し、以て其の巢を傾けん。彼聞かば必ず兵を回して來り援けん。我は則ち兵を出だして邀撃せん。此れ全勝の策なり」と。
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『智囊』制勝・王守仁公曰く、「然らず。彼、巢の破らるるを聞かば、膽已に喪われん。先ず銳卒を出だし、其の惰歸を要し、一たび其の銳を挫かば、將に戰わずして潰えんとす。所謂『先聲は人の氣を奪う有り』なり」と。乃ち伍文定らに方略を指授し、先ず游兵を以て之を誘い、復た佯り北げて以て之を致す。其の爭いて前み利に趨くを俟ち、然る後に四面より合撃し、伏兵並びに起こる。又、城中の宗室の或いは內應して變を為さんことを慮り、親ら之を慰諭し、告示を出給す。「凡そ脅從の者は問わず。賊の官職を受くること有りと雖も、能く逃げ歸る者は皆な死を免ず。能く賊徒を斬りて歸降する者は、皆な賞を給す」と。內外の居民及び鄉導の人等をして四路に傳佈せしむ。又、兵を分かちて九江、南康を攻め、以て其の援を絕つ。是に於いて群力並び舉がり、逆首、擒に就く。
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『智囊』迎刃・王守仁陽明は逆濠を擒えしめ、浙省に囚う。時に武廟は南幸し、留都に駐蹕す。中官は陽明を誘いて濠を釈して江西に還さしめ、聖駕の親征して擒獲するを俟たんとし、二中貴を差して浙省に至りて旨を諭す。陽明は中官に領状を具えしむることを責め、中官は懼れ、事は遂に寝む。〔馮述評〕楊継宗は嘉興に知たりし日、内臣の往来して、百方に賂を索む。宗曰く、「諾」と。牒を出して庫金を取り、太監に送りて布帛を買いて餽らしめ、因りて印券を索めて附して案に帰し、以て他日の磨勘に便とせんと。内臣は舌を咋み、敢えて受けず。事は亦た此れに類す。江彬らは守仁の功を忌み、流言して謂う、「守仁は始め濠と同謀し、已に天兵の下征するを聞き、乃ち濠を擒えて自ら脱せるなり」と。並びに守仁を擒えて自ら功を為さんと欲す。守仁は張永と計り、謂う、「天意に将順せば、猶お万一を挽回す可し。苟しくも逆らいて之に抗わば、徒らに群小の怒りを激さん」と。乃ち濠を以て永に付し、再び捷音を上り、功を総督軍門に帰し、以て上の江西に行くを止め、病と称して浄慈寺にあり。永は帰りて極めて守仁の忠及び功を譲り禍を避くるの意を称す。上は悟り、乃ち免る。
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『智囊』制勝・楊銳楊銳、九江、安慶の諸郡を守備す。既に江賊を獲て、監司喜ぶも、公曰く、「江賊は何ぞ憂うるに足らん。虞る所は豫章のみ」と。意は宸濠を指す。又謂う、九江は鄱陽の上流にして、恃むべからず。湖は最も要害なり。當に九江中左所の一旅を以て、戍を湖口縣の高嶺に置くべし。以て遠望すべく、警有らば即ち達すべし、と。乃ち圖を繪いて南部及び各台に呈し、又、戰艦若干艘を造り、水戰を江上に習わんことを請う。城中は兵食を治め、多く井を濬う。寧濠の變作るを聞き、先ず軍を引いて鉤距を江側に設け、泄らす勿きを禁ず。寇至るに比び、船二百餘艘、岸に抵るも、鉤距の破る所と為る。寇、城を攻めて後に敗れ去る。濠は南岸に船を泊し、克たざるを聞き大いに怒り、眾を率いて五門を分攻す。各々首ずから木を舉げて蔽と為し、甚だ急なり。公、帛布を裂き、紙もて火藥を裹むこと千數、所蔽の木の上に散投す。火發し、盡く棄てて走る。火光周匝して絕えず、寇、遁るる所無し。寇、復た北濠に於いて木を結びて棧と為し、城と接し、兵を挾みて進む。城中大いに驚く。公曰く、「事急なり」と。乃ち詭りて「大將軍」の火銃に石を實たし緋を被せ、金鼓もて迎えて城上に置く。寇兵、望見して驚懼し、未だ進まず。潛かに一卒をして間道より出でて棧を燒き絕たしむ。寇眾、結を解き、且つ溽暑にして力憊れ、夜に鼾睡して去る。公、善く泅ぐ者數人を募り、船中に鼾聲を聞かば即ち首を斬り、其の纜を絕ち、之を中流に放たしむ。又、一二の強卒を遣わし、突として岸上の營に入り、火炮を舉げしめ、城上之に應ず。勝に乘じて捕殺し、聲は數里に震う。濠、浩歎して涕を出だし、帆を舉げて風に順いて返る。〔注〕安慶守らざれば則ち陽明の功成らず。故に楊銳を以て陽明の後に附す。
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