智囊 / 辯才・富弼
,弼亦不可,契丹主曰:「南朝既以厚幣遺我,是懼我矣,於二字何有?若我擁兵而南,得無悔乎?」弼曰:「本朝兼愛南北,故不憚更成,何名為懼?或不得已而至於用兵,則當以曲直為勝負,非使臣之所知也。」契丹主曰:「卿勿固執,古有之矣。」弼曰:「自古唯唐高祖借兵突厥。當時贈遺,或稱獻納,其後頡利為太宗所擒,豈復有此哉?」契丹主知不可奪,自遣人來議。帝用晏殊議,竟以「納」字與之。〔述評〕富鄭公與契丹主往復再四,句句佔上風,而語氣又和婉,使人可聽。此可與李鄴侯參看,說辭之最善也。弼始受命往,聞一女卒,再往,聞一男生,皆不顧。得家書,未嘗發,輒焚之,曰:「徒亂人意。」有此一片精誠,自然不辱君命。
新字:,弼亦不可,契丹主曰:「南朝既以厚幣遺我,是懼我矣,於二字何有?若我擁兵而南,得無悔乎?」弼曰:「本朝兼愛南北,故不憚更成,何名為懼?或不得已而至於用兵,則当以曲直為勝負,非使臣之所知也。」契丹主曰:「卿勿固執,古有之矣。」弼曰:「自古唯唐高祖借兵突厥。当時贈遺,或称献納,其後頡利為太宗所擒,豈復有此哉?」契丹主知不可奪,自遣人来議。帝用晏殊議,竟以「納」字与之。〔述評〕富鄭公与契丹主往復再四,句句佔上風,而語気又和婉,使人可聴。此可与李鄴侯参看,説辞之最善也。弼始受命往,聞一女卒,再往,聞一男生,皆不顧。得家書,未嘗発,輒焚之,曰:「徒乱人意。」有此一片精誠,自然不辱君命。
書き下し
弼も亦た不可とす。契丹主曰く、「南朝既に厚幣を以て我に遺るは、是れ我を懼るるなり。二字に於いて何か有らん。若し我、兵を擁して南せば、悔ゆること無きを得んや」。弼曰く、「本朝は南北を兼愛す。故に更に成すことを憚らず。何ぞ懼ると名づけん。或いは已むを得ずして兵を用うるに至れば、則ち当に曲直を以て勝負と為すべし。使臣の知る所に非ざるなり」。契丹主曰く、「卿、固執する勿かれ。古に之有り」。弼曰く、「自古、唯だ唐の高祖、兵を突厥に借る。当時の贈遺は、或いは献納と称せり。其の後、頡利は太宗の擒うる所と為る。豈に復た此れ有らんや」。契丹主、奪う可からざるを知り、自ら人を遣わして来たり議す。帝、晏殊の議を用い、竟に「納」の字を以て之に与う。〔述評〕富鄭公、契丹主と往復再四、句句上風を占め、而して語気又和婉にして、人をして聴く可からしむ。此れ李鄴侯と参看す可し。説辞の最も善き者なり。弼、始め命を受けて往くとき、一女の卒するを聞き、再び往くとき、一男の生まるるを聞くも、皆顧みず。家書を得れば、未だ嘗て発せず、輒ち之を焚きて曰く、「徒らに人の意を乱す」と。此の一片の精誠有り、自然に君命を辱めず。
現代語訳
富弼はこれも認めませんでした。契丹主は言いました。「南朝はすでに厚い贈り物を私に送るのは、私を恐れているからだ。二字などどうでもよいではないか。もし私が兵を擁して南下したら、後悔しないでいられるか。」富弼は言いました。「本朝は南北をともに愛しています。だから更に和議を結ぶことを憚らないのです。どうして恐れていると言えるでしょうか。あるいはやむを得ず兵を用いるようになれば、道理の曲直で勝敗が決まるでしょう。それは使臣の知るところではありません。」契丹主は言いました。「卿は固執するな。古くから例がある。」富弼は言いました。「昔から、唐の高祖が突厥に兵を借りたことがあります。当時の贈り物は、あるいは献納と称されました。しかしその後、頡利は太宗に捕らえられました。どうしてまたこのようなことがありましょうか。」契丹主は奪えないと知り、自ら人を遣わして議論に来させました。皇帝は晏殊の意見を用い、ついに「納」の字を与えました。〔述評〕富鄭公は契丹主と何度も往復して、一句ごとに優位を占め、しかも語気はまた穏やかで、聞く人を納得させる。これは李鄴侯と見比べるべきで、説辞のもっとも善いものである。富弼は初めて使命を受けて出かけたとき、一人の娘が死んだと聞き、二度目に出かけたとき、一人の息子が生まれたと聞いたが、いずれも顧みなかった。家からの手紙を受け取ると、開封せずにそのたびに焼いて、「ただ人の心を乱すだけだ」と言った。この一片の誠があるから、自然に君命を辱めない。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『智囊』辯才・富弼弼曰く、「晋は盧龍を以て契丹に賂い、周の世宗は復た関南の地を取る。皆異代の事なり。若し各おの地を求めば、豈に北朝の利ならんや」。既に退く。劉六符曰く、「吾が主は金幣を受くるを恥じ、堅く十県を欲す。何如」。弼曰く、「本朝の皇帝言えり、『祖宗の為に国を守る。豈に敢えて妄りに土地を以て人に与えんや。北朝の欲する所は、租賦に過ぎざるのみ。朕、多く両朝の赤子を殺すに忍びず。故に地を屈して幣を増し以て之に代う』と。若し必ず地を得んと欲すれば、是れ志、盟を敗るに在り。此れに仮りて辞と為すのみ」。明日、契丹主、弼を召して同に猟す。弼の馬を引きて自ら近づけ、謂いて曰く、「地を得ば則ち歓好久しかる可し」。弼曰く、「北朝既に地を得るを以て栄と為さば、南朝は必ず地を失うを以て辱と為さん。兄弟の国、豈に一栄一辱をなさしむ可けんや」。猟罷り、六符曰く、「吾が主、公の栄辱の言を聞き、意甚だ感悟せり。今は唯だ結姻のみ議す可し」。弼曰く、「婚姻は嫌隙を生じ易し。本朝の長公主の出嫁するに、齎送は十万緡に過ぎず。豈に歳幣無窮の利に若かんや」。弼還りて報じ、帝、幣を増すことを許す。契丹主曰く、「南朝既に我に幣を増す。辞は当に『献』と曰うべし」。弼曰く、「南朝は兄なり。豈に兄の弟に献ずる有らんや」。契丹主曰く、「然らば則ち『納』と為さん」。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・富弼既に至るや、乃ち復た婚を求めず、專ら幣を增さんと欲す。曰く、南朝の我に遺る書は、當に獻と曰うべし。否らずんば則ち納と曰えと。公爭いて不可とす。北主曰く、南朝既に我を懼る。何ぞ此の二字を惜しまん。若し我兵を擁して南せば、悔い無きを得んやと。公曰く、本朝の皇帝は南北の民を兼愛し、鋒鏑を蹈ましむるに忍びず。故に己を屈して幣を增す。何ぞ名づけて懼ると爲さんや。若し已むを得ずして用兵に至らば、則ち南北は敵國なり。當に屈直を以て勝負と爲すべし。使臣の憂うる所に非ざるなりと。
-
『智囊』辯才・富弼契丹、朝廷の西夏の憂い有るに乗じ、使を遣わして関南の地を言わしむ。地は是れ石晋の割く所にして、後に周の世宗の取る所と為る。富弼、使を奉じ、往きて契丹主に見えて曰く、「両朝好みを継ぎて、四十年に垂んとす。一旦、地を割くを求むるは、何ぞや」。契丹主曰く、「南朝約に違い、雁門を塞ぎ、塘水を増し、城隍を治め、民兵を籍す。将に以て何をか為さんとする。群臣、兵を挙げて南せんことを請う。吾は、使を遣わして地を求め、求めて獲ずんば、兵を挙ぐるも未だ晩からずと謂えり」。弼曰く、「北朝は章聖皇帝の大徳を忘れたるか。澶淵の役、苟くも諸将の言に従わば、北兵の脱するを得る者無からん。且つ北朝と中国と好みを通ずれば、則ち人主は其の利を専らにして、臣下は獲る所無し。若し兵を用いば、則ち利は臣下に帰し、人主は其の禍に任ず。故に兵を用いんことを勧むる者は、皆身の為に謀るのみ。今、中国の提封は万里、精兵は百万。北朝、兵を用いんと欲すれば、能く必勝を保つか。就使い幸いに勝つとも、亡う所の士馬は、群臣之に当たるか、抑も人主之に当たるか。若し通好絶えざれば、歳幣は尽く人主に帰す。群臣は何の利あらんや」。契丹主、大いに悟り、首肯すること之を久しくす。弼又曰く、「雁門は、元昊に備うる所以なり。塘水は何承矩に始まり、事は通好の前に在り。城隍は旧を修め、民兵も亦た缺を補う。約に違うに非ざるなり」。契丹主曰く、「然りと雖も、吾が祖宗の故地は、当に還されるべきのみ」。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・富弼是に於いて許す所の增幣の誓書を留め、復た耶律仁先及び六符をして其の國の誓書を以て來たらしめ、且つ獻納と爲さんことを求む。公奏して曰く、臣既に死を以て之を拒む。敵の氣折れたり。復た許す勿かる可し。彼れ能く爲す無きなりと。上之に從う。幣二十萬を增して契丹と平らぐ。契丹の君臣、今に至るまで其の語を誦し、其の約を守りて敗るに忍びざる者は、其の心、好を通ずると兵を用うるとの利害の在る所を知るを以てなり。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・富弼公再び使いするに、國書と口傳の詞と同じからず。馳せ還りて奏して曰く、政府故らに此を爲し、臣を死に置かんと欲す。臣の死は惜しむに足らず。國事を奈何せんと。呂夷簡之を爭いて曰く、恐らくは是れ誤りならん。當に改め定めしむべしと。公益ミ辨論して平らかならず。仁宗、樞使晏殊に何如と問う。殊曰く、夷簡決して肯えて此を爲さじ。誠に恐らくは誤りのみと。公怒りて曰く、晏殊は姦邪なり。夷簡に黨して以て陛下を欺くと。公は晏の壻なり。其の忠直なること此くの如し。公力めて獻納の二字を爭う。還るに及びて、晏公已に納と稱せり。
-
『宋名臣言行録』後集巻二・富弼乃ち公を以て英等を接伴せしむ。境に入る。上、中使を遣わして之を勞う。英、足疾に托して拜せず。公曰く、吾嘗て北に使いす。病みて車中に臥するも、命を聞けば輒ち起ちて拜せり。今中使至るに、而して公起たざるは、何を見てぞやと。英矍然として起ちて拜す。公懷を開きて與に語り、夷狄を以て之を待たず。英等遂に去るに、左右密かに其の主の欲する所の者を以て公に告ぐ。且つ曰く、從う可くんば之に從え。從う可からずんば、更に一事を以て之を塞げと。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る