智囊 / 敏悟・蘇黃遷謫
蘇子瞻謫儋州,以「儋」字與「瞻」相近也;子由謫雷州,以「雷」字下有「田」字也;黃魯直謫宜州,以「宜」字類「直」字也,此章子厚諧謔之意。當時有術士曰:「『儋』字從立人,子瞻其尚能北歸乎?『雷』字『雨』在『田』上,承天之澤也,子由其未艾乎?『宜』字有蓋棺之義,魯直其不返乎?」後子瞻歸,至毗陵而卒;子由老於潁,十餘年乃終;魯直竟沒於宜。
新字:蘇子瞻謫儋州,以「儋」字与「瞻」相近也;子由謫雷州,以「雷」字下有「田」字也;黄魯直謫宜州,以「宜」字類「直」字也,此章子厚諧謔之意。当時有術士曰:「『儋』字従立人,子瞻其尚能北帰乎?『雷』字『雨』在『田』上,承天之沢也,子由其未艾乎?『宜』字有蓋棺之義,魯直其不返乎?」後子瞻帰,至毗陵而卒;子由老於潁,十余年乃終;魯直竟没於宜。
書き下し
蘇子瞻、儋州に謫せられしは、「儋」の字の「瞻」と相い近きを以てなり。子由、雷州に謫せられしは、「雷」の字の下に「田」の字有るを以てなり。黄魯直、宜州に謫せられしは、「宜」の字の「直」の字に類するを以てなり。此れ章子厚の諧謔の意なり。当時、術士有りて曰く、「「儋」の字は立人に従う。子瞻、其れ尚お能く北に帰らんか。「雷」の字は「雨」「田」の上に在り、天の沢を承く。子由、其れ未だ艾きざらんか。「宜」の字は棺を蓋うの義有り。魯直、其れ返らざらんか」と。後に子瞻、帰りて毗陵に至りて卒す。子由、潁に老い、十余年にして乃ち終う。魯直、竟に宜に没す。
現代語訳
蘇軾(子瞻)が儋州に流されたのは、『儋』の字が『瞻』と似ているからである。弟の子由が雷州に流されたのは、『雷』の字の下に『田』の字があるからである。黄庭堅(魯直)が宜州に流されたのは、『宜』の字が『直』の字に似ているからである。これは章惇(子厚)の冗談めいた意図であった。当時ある術士は言った。「『儋』の字は『立人』の部分を含む。子瞻はなお北へ帰れるだろうか。『雷』は『雨』が『田』の上にあり、天の恵みを受けている。子由はまだ尽きまい。『宜』の字には棺にふたをする意味がある。魯直は帰れないだろう」。のちに子瞻は帰途、毗陵で亡くなった。子由は潁で老い、十数年後に世を去った。魯直はついに宜州で没した。
解説
この章句が説くこと
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