智囊 / 剖疑・張說・李泌
當時言者猶云:「願陛下不失為慈父,使太子得終天年。」太宗從之,並廢魏王泰。陛下既知肅宗性急,以建寧為冤,臣不勝慶幸。願陛下戒覆車之失,從容三日,究其端緒而思之,陛下必釋然知太子之無他也。若果有其跡,當召大臣知義理者二三人,與臣鞫實,陛下如貞觀之法行之,廢舒王而立皇孫,則百代之後有天下者,猶陛下之子孫也。至於開元之時,武惠妃譖太子瑛兄弟,殺之,海內冤憤,此乃百代所當戒,又可法乎,且陛下昔嘗令太子見臣於蓬萊池,觀其容表,非有蜂目豺聲、商臣之相也,正恐失於柔仁耳。又太子自貞元以來,嘗居少陽院,在寢殿之側,未嘗接外人、預外事,何自有異謀乎?彼譖者巧詐百端,雖有手書如晉愍懷、裹甲如太子瑛,猶未可信,況但以妻母有罪為累乎?幸賴陛下語臣,臣敢以宗族保太子必不知謀。
新字:当時言者猶云:「願陛下不失為慈父,使太子得終天年。」太宗従之,並廃魏王泰。陛下既知粛宗性急,以建寧為冤,臣不勝慶幸。願陛下戒覆車之失,従容三日,究其端緒而思之,陛下必釈然知太子之無他也。若果有其跡,当召大臣知義理者二三人,与臣鞫実,陛下如貞観之法行之,廃舒王而立皇孫,則百代之後有天下者,猶陛下之子孫也。至於開元之時,武恵妃譖太子瑛兄弟,殺之,海内冤憤,此乃百代所当戒,又可法乎,且陛下昔嘗令太子見臣於蓬萊池,観其容表,非有蜂目豺声、商臣之相也,正恐失於柔仁耳。又太子自貞元以来,嘗居少陽院,在寝殿之側,未嘗接外人、預外事,何自有異謀乎?彼譖者巧詐百端,雖有手書如晋愍懐、裹甲如太子瑛,猶未可信,況但以妻母有罪為累乎?幸頼陛下語臣,臣敢以宗族保太子必不知謀。
書き下し
当時、言う者は猶お云う、『願わくは陛下、慈父たるを失わず、太子をして天年を終うるを得しめよ』と。太宗、之に従い、並びに魏王泰を廃す。陛下、既に粛宗の性急なるを知り、建寧を以て冤と為す。臣、慶幸に勝えず。願わくは陛下、覆車の失を戒め、従容として三日、其の端緒を究めて之を思わば、陛下は必ず釈然として太子の他無きを知らん。若し果たして其の跡有らば、当に大臣の義理を知る者二三人を召し、臣と実を鞫すべし。陛下、貞観の法の如く之を行い、舒王を廃して皇孫を立てなば、則ち百代の後、天下を有つ者は、猶お陛下の子孫なり。開元の時に至りては、武恵妃、太子瑛の兄弟を譖して之を殺し、海内冤憤す。此れ乃ち百代の当に戒むべき所、又た法とすべけんや。且つ陛下、昔嘗て太子をして臣を蓬莱池に見えしむ。其の容表を観るに、蜂目豺声、商臣の相有るに非ざるなり。正に柔仁に失せんことを恐るるのみ。又た太子、貞元より以来、嘗て少陽院に居り、寝殿の側に在りて、未だ嘗て外人に接し外事に預からず。何ぞ自ら異謀有らんや。彼の譖者は巧詐百端にして、晋の愍懐の如く手書有り、太子瑛の如く甲を裹むと雖も、猶お未だ信ずべからず。況んや但だ妻の母に罪有るを以て累と為すをや。幸いに陛下の臣に語るに頼り、臣は敢えて宗族を以て太子の必ず謀を知らざるを保す。
現代語訳
当時、論じる者はなお『どうか陛下、慈父の道を失わず、太子に天寿を全うさせてください』と言い、太宗はこれに従い、魏王泰もあわせて廃しました。陛下はすでに粛宗の性急さをご存じで、建寧王を冤罪とお考えです。私は喜びに堪えません。どうか陛下、前の車の転覆を戒めとして、ゆったりと三日、事の端緒を究めてお考えください。陛下はきっとすっきりと、太子にほかの心がないことをお知りになるでしょう。もし本当にその形跡があるのなら、義理をわきまえた大臣二、三人を召して、私とともに事実を取り調べさせてください。陛下は貞観の例のとおりに行い、舒王を廃して皇孫を立てるなら、百代のちに天下を有する者は、やはり陛下の子孫です。開元の頃になると、武恵妃が太子瑛の兄弟を讒言して殺し、天下は冤罪を憤りました。これは百代にわたって戒めるべき例で、手本とできるでしょうか。それに、陛下はかつて太子を蓬莱池で私に会わせられました。その容貌を見ると、蜂のような目や豺のような声といった、商臣のごとき悪相はなく、ただ柔弱で情に厚すぎることが心配なだけです。また太子は貞元以来、少陽院に居り、寝殿のそばにあって、外の人と接したことも外の事に関与したこともありません。どうして自分から異心を抱けましょうか。あの讒言する者は、ずる賢さのあらゆる手段を使い、晋の愍懐太子のように自筆の手紙があっても、太子瑛のように鎧を着込んでいても、なお信じられません。まして単に妻の母に罪があるというだけで、累を及ぼしてよいでしょうか。幸いにも陛下が私に語られたので、私は一族をかけて、太子が謀を知るはずがないと保証します。
解説
この章句が説くこと
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『智囊』剖疑・張說・李泌対えて曰く、「此れ大事なり。願わくは陛下、審らかに之を図りたまえ。臣、始め陛下の聖徳を謂えらく、当に海外の蛮夷をして皆な之を戴くこと父の如くならしむべし、と。豈に自ら子有りて自ら之を疑うを謂わんや。古より父子相疑いて、亡国覆家せざる者有らず。陛下、昔彭原に在りし時、建寧、何の故にか誅されしかを記したまうか」と。上曰く、「建寧叔は実に冤なり。粛宗は性急にして、之を譖する者深かりしのみ」と。泌曰く、「臣、昔、建寧の故を以て官爵を辞し、誓いて天子の左右に近づかず。不幸にして今日又た陛下の相と為り、又た諸事を睹る。臣、彭原に在りて、恩を承くること比い無きも、竟に敢えて建寧の冤を言わず、辞するに臨みて乃ち之を言う。粛宗も亦た悔いて泣く。先帝代宗、建寧の死せしより、常に危懼を懐く。臣も亦た先帝の為に『黄台瓜辞』を誦し、以て讒構の端を防ぐ」と。上曰く、「朕、固より之を知る」と。意色稍や解け、乃ち曰く、「貞観、開元、皆な太子を易えたり。何の故に亡びざるか」と。対えて曰く、「昔、承乾は太宗の太子にして屢ば監国し、托附する者衆く、甲を蔵すること又た多く、宰相侯君集と謀反す。事覚われ、太宗、其の舅長孫無忌をして朝臣数十と之を鞫せしむ。事状顕白にして、然る後に百官を集めて之を議す。
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『智囊』剖疑・張說・李泌或るひと、主の淫乱を告げ、且つ厭禱すと言う。上、大いに怒り、主を禁中に幽し、太子を切責す。太子、蕭妃と離婚せんことを請う。上、李泌を召して之に告げ、且つ曰く、「舒王は近ごろ已に長じ、孝友にして温仁なり」と。泌曰く、「陛下は唯だ一子のみなるに、奈何ぞ之を廃して姪を立てんと欲するか」と。上、怒りて曰く、「卿、何ぞ人の父子を間つることを得んや。誰か卿に舒王を姪と為すと語りしか」と。対えて曰く、「陛下、自ら之を言う。大暦の初め、陛下、臣に語りたまう、『今日、数子を得たり』と。臣、其の故を請えば、陛下言う、『昭靖の諸子は、主上、吾をして之を子とせしむ』と。今、陛下の生む所の子すら猶お之を疑う。姪に於いて何か有らん。舒王、孝なりと雖も、今より陛下宜しく努力して、復た其の孝を望むこと勿かるべし」と。上曰く、「卿、朕の意に違う。何ぞ家族を愛さざるか」と。対えて曰く、「臣、家族を愛すと為す、故に敢えて言を尽くさざるべからず。若し陛下の盛怒を畏れて曲従を為さば、陛下、明日之を悔い、必ず臣を尤めて云わん、『吾、汝を任じて相と為す。力めて諫めず、此に至らしむ』と。必ず復た臣の子を殺さん。臣は老いたり。余年は惜しむに足らず。若し臣の子を冤殺し、姪を以て嗣と為さば、臣、未だ其の祀を歆くるを得ざるなり」と。因りて嗚咽流涕す。上も亦た泣きて曰く、「事、已に此くの如し。朕をして如何にして可ならしむる」と。
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『智囊』剖疑・張說・李泌向使い楊素、許敬宗、李林甫の徒、此の旨を承けなば、已に舒王に就きて定策の功を図らん」と。上曰く、「卿の為に遷延して明日に至りて之を思わん」と。泌、笏を抽きて叩頭し泣きて曰く、「此くの如くんば、臣、陛下の父子慈孝の初めの如きを知るなり。然れども陛下、宮に還らば当に自ら審らかにし、此の意を左右に露わすこと勿かるべし。之を露わせば、則ち彼ら皆な舒王に功を樹てん。太子、危うし」と。上曰く、「具さに卿の意を暁れり」と。間日、上、延英殿を開き、独り泌を召し、流涕闌干として、其の背を撫でて曰く、「卿の切言に非ざれば、朕、今、悔ゆるとも及ぶ無けん。太子は仁孝にして、実に他無きなり」と。泌、拝賀し、因りて骸骨を乞う。〔馮述評〕鄴侯、広平を保全し、及び徳宗に回紇と和親せんことを勧むるは、皆な回天の力を顕す。独り郜国の一事は、患いを微かなるに杜ぎ、宛転激切にして、猜主をして信ぜざるを得ざらしめ、悍主をして柔ならざるを得ざらしむ。真に万世納忠の法なり。
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