智囊 / 序・智囊補自敘
憶丙寅歲,余坐蔣氏三徑齋小樓近兩月,輯成《智囊》二十七卷。以請教於海內之明哲,往往濫蒙嘉許,而嗜癡者遂冀余有續刻。余蘆中老儒爾,目未睹西山之秘籍,耳未聞海外之僻事,安所得匹此者而續之?顧數年以來,聞見所觸,苟鄰於智,未嘗不存諸胸臆,以此補前輯所未備,庶幾其可。雖然,岳忠武有言:「運用之妙,在乎一心。」善用之,鳴吠之長可以逃死;不善用之,則馬服之書無以救敗。故以羊悟馬,前刻已慶其繁;執方療疾,再補尚虞其寡。第余更有說焉。唐太宗喜右軍筆意,命書家分臨蘭亭本,各因其質,勿泥形模,而民間片紙隻字,乃至搜括無遺。佛法上乘,不立文字,四十二章,後增添至五千四十八卷而猶未已。故致用雖貴乎神明,往跡何妨乎多識?茲補或亦海內明哲之所不棄,不止塞嗜痂者之請而已也。書成,值余將赴閩中,而社友德仲氏以送余,故同至松陵。德仲先行餘《指月》、《衡庫》諸書,蓋嗜痂之尤者,因述是語為敘而之。
新字:憶丙寅歳,余坐蒋氏三径斎小楼近両月,輯成《智嚢》二十七巻。以請教於海内之明哲,往往濫蒙嘉許,而嗜痴者遂冀余有続刻。余蘆中老儒爾,目未睹西山之秘籍,耳未聞海外之僻事,安所得匹此者而続之?顧数年以来,聞見所触,苟鄰於智,未嘗不存諸胸臆,以此補前輯所未備,庶幾其可。雖然,岳忠武有言:「運用之妙,在乎一心。」善用之,鳴吠之長可以逃死;不善用之,則馬服之書無以救敗。故以羊悟馬,前刻已慶其繁;執方療疾,再補尚虞其寡。第余更有説焉。唐太宗喜右軍筆意,命書家分臨蘭亭本,各因其質,勿泥形模,而民間片紙隻字,乃至捜括無遺。仏法上乗,不立文字,四十二章,後增添至五千四十八巻而猶未已。故致用雖貴乎神明,往跡何妨乎多識?茲補或亦海内明哲之所不棄,不止塞嗜痂者之請而已也。書成,値余将赴閩中,而社友徳仲氏以送余,故同至松陵。徳仲先行余《指月》、《衡庫》諸書,蓋嗜痂之尤者,因述是語為敘而之。
書き下し
憶うに丙寅の歳、余は蔣氏の三径斎の小楼に坐すること近く両月、『智囊』二十七巻を輯成す。以て海内の明哲に請教し、往往にして濫りに嘉許を蒙り、而して嗜癡の者遂に余に続刻有らんことを冀う。余は蘆中の老儒のみ。目は西山の秘籍を睹ず、耳は海外の僻事を聞かず。安くんぞ此に匹する者を得て之を続けんや。顧みるに数年以来、聞見の触るる所、苟くも智に鄰するは、未だ嘗て胸臆に存せずんばあらず。此を以て前輯の未だ備わらざる所を補わば、庶幾くは可ならん。然りと雖も、岳忠武に言有り、運用の妙は、一心に在り、と。善く之を用うれば、鳴吠の長も以て死を逃るべし。善く之を用いざれば、則ち馬服の書も以て敗れを救う無し。故に羊を以て馬を悟らしむ、前刻已に其の繁を慶せり。方を執りて疾を療す、再補は尚お其の寡を虞る。第だ余に更に説有り。唐の太宗は右軍の筆意を喜び、書家に命じて分ちて蘭亭本を臨せしむ。各おの其の質に因り、形模に泥む勿からしむ。而るに民間の片紙隻字も、乃ち捜括して遺す無し。仏法の上乗は、文字を立てず、四十二章は、後に増添して五千四十八巻に至るも猶お已まず。故に用を致すは神明を貴ぶと雖も、往跡も何ぞ多識を妨げんや。茲の補も或いは海内の明哲の棄てざる所ならん。止だ嗜痂の者の請を塞ぐのみならざるなり。書成り、余の将に閩中に赴かんとするに値い、社友の徳仲氏は以て余を送り、故に同じく松陵に至る。徳仲は先に『指月』『衡庫』の諸書を行す。蓋し嗜痂の尤なる者なり。因りて是の語を述べ、敘と為して之に贈る。
現代語訳
思い返せば丙寅の年、私は蔣氏の三径斎の小楼にほぼ二か月座り、『智囊』二十七巻を編み上げた。それを天下の賢者たちに見ていただいたところ、しばしば過分の称賛をいただき、癖になるほど好む人々は私に続編を期待した。私は葦の中の老儒にすぎない。目は西山の秘蔵の書を見たことがなく、耳は海外の珍しい出来事を聞いたこともない。どうしてこれに匹敵するものを得て続編を作れようか。しかし、この数年来、見聞きしたことで、少しでも智に近いものは、いつも胸の内にしまってきた。これで前の編で不足していたところを補えば、よいかもしれない。とはいえ、岳忠武はこう言っている。運用の妙は一心にある、と。うまく用いれば、鳴きまねや吠えまねの特技でも死を逃れられる。うまく用いなければ、馬服君の兵書をもってしても敗北は救えない。だから羊の例で馬を悟らせるというやり方で、前の本はすでに話が多すぎるほどだった。処方を固守して病を治そうとするなら、再度の補遺はなお数が足りないのではと心配する。ただ私にはさらに言いたいことがある。唐の太宗は王羲之の筆意を好み、書家に命じて蘭亭序を分担して臨書させた。各人の持ち味に任せ、形に縛られるなと言いながら、民間の紙きれや文字の断片までも残らず集めた。仏法の最上の教えは文字を立てないが、四十二章経は後に増えて五千四十八巻になってもまだ止まらない。だから働かせるときは霊妙さを貴ぶとしても、過去の事例を多く知ることが妨げになるはずはない。この補遺も、天下の賢者に見捨てられないだろう。単に好事家の求めに応じるだけのものではない。書が成った時、私はちょうど福建に赴こうとしており、仲間の徳仲氏が見送りに来て、一緒に松陵まで来てくれた。徳仲はすでに『指月』『衡庫』などの書を刊行した人で、おそらく私のような癖を最も強く持つ人である。そこでこの言葉を述べて序文とし、これを贈る。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『智囊』序・智囊自敘或ひと又た曰く、僕聞く、法を上に取れば、僅かに中を得る、と。子の智を品するや、神奸巨猾も或いは上乗に登り、雞鳴狗盗も亦た奇聞に備う。囊は且に穢れたり。何を以て世に訓えんや。馮子曰く、吾れは智を品するにして人を品するに非ざるなり。唯だに其の人のみならず、唯だ其の事のみ。唯だに其の事のみならず、唯だ其の智のみ。奸猾盗賊と雖も、誰か吾が薬籠中の硝・戟に非ざらん。吾れは一に以て蛛網と為し、推して之を漁すべし。一に以て蚕繭と為し、推して之を室とすべし。譬えば谷王のごとし。衆水同じく帰す。豈に其の流を択びて受けんや。或ひと以て難ずる無く、遂に其の語を篇首に書す。馮子は名は夢龍、字は猶龍、東呉の畸人なり。
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『智囊』序・智囊自敘或ひと又た曰く、舜・孔の事は則ち誠に然り。然れども『智囊』なる者は、固より大夫錯の膏もて漢市に焚かれし所以なり。子は何を取らんや。馮子曰く、不、不。錯は智に死せず、愚に死せり。其の坐して兵を談ずるに方たりては、人主色を動かせしも、七国の事起こるに迨びて、乃ち天子をして将たらしめ、己は居守せんと欲す。一たび不智を為せば、讒興りて身滅ぶ。然りと雖も、錯は身を衛るに愚にして、国を籌るに智なり。故に身死して数千年、人猶お之を痛み、名臣に列す。輓鬥宵の流は、身を衛るに偏えに智にして、国を籌るに偏えに愚なり。此を以て彼に較ぶれば、誰か妍にして誰か媸なるか。且つ『智囊』の名、子は其の一を知りて、二を未だ知らざるなり。錯に前んずる者に樗里子有り。錯に後るる者に魯匡・支謙・杜預・桓範・王倹有り。其の皇明に在りては、楊文襄公並びに此の号を擅にす。数君子は、跡は一軌ならざれども、亦た多く功を成し勲を豎て、身は栄え道は泰かなる者有り。子は其の利を捨てて其の害を懲らす。是れ猶お一人の溺るるを睹て、舟楫の用を廃するがごとし。夫れ亦た愈いよ不智なり。或ひと又た曰く、子の『智囊』を述ぶるは、人をして智を学ばしめんとするなり。智は性より生ずるか、紙上に由るか。馮子曰く、吾れ向に固より之を言えり。智は猶お水のごとし。然して地中に蔵するは性なり。鑿ちて之を出だすは学なり。井澗の用は、江河と参す。吾れは夫の人性の土石に錮せらるるを憂え、紙上の言を以て之が畚鍤と為す。応世に廖ゆること有るに庶からんのみ。
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『智囊』序・智囊自敘馮子曰く、人に智有るは猶お地に水有るがごとし。地に水無ければ焦土と為り、人に智無ければ行屍と為る。智の人に用いらるるは、猶お水の地を行くがごとし。地勢坳なれば則ち水之に満ち、人事坳なれば則ち智之に満つ。古今成敗得失の林を周覧するに、此に由らざるは蔑し。何を以て之を明らかにせん。昔者、梁・紂は愚にして湯・武は智なり。六国は愚にして秦は智なり。楚は愚にして漢は智なり。隋は愚にして唐は智なり。宋は愚にして元は智なり。元は愚にして聖祖は智なり。大を挙ぐれば則ち細は見るべし。斯れ『智囊』の述ぶる所以なり。或ひと之を難じて曰く、智は舜より大なるは莫きに、頑囂に困しめらる。亦た孔より大なるは莫きに、陳・蔡に厄す。西隣の子は六芸に嫻習するも、璞を懐いて售られず、鶉衣にして食を彀う。東隣の子は紇字をも識らざるに、坐して素封を享け、僕従は百に盈つ。又た安くんぞ愚は失い智は得るに在らんや、と。馮子笑いて曰く、子は夫の井を鑿つ者を見ざるか。冬は裸にして夏は裘し、縄もて入り、畚もて出す。平地にして泉を獲る者は智なり。夫の土究まりて石見るは変なり。種世衡なる者有り、石を屑して泉を出だし、潤いは万家に及ぶ。是の故に愚人は石を見、智者は泉を見る。変は智を窮せしむれども、智は復た変に窮せず。もし智が舜・孔に非ざれば、廩に灰し、井に泥し、陳・蔡に俘にされ、何の暇ありて牀に琴し野に弦せんや。子は且つ聖人の智の妙用を未だ知らず、而るに又た何を以て吾が囊を窺わんや。
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『智囊』不戰・兵智部・總序故に或いは戦わずして勝ち、或いは百戦百勝、或いは正にて勝ち、或いは譎にて勝ち、或いは新意を出だして勝ち、或いは古の兵法に倣いて勝つ。天は時を異にし、地は利を異にし、敵は情を異にし、我も亦た勢いを異にす。勢いを用うる者は、之に因りて以て勝ちを取る。往志の兵を論ずる者備われり、其の成敗は簡編に列し、的的として拠るべし。吾は其の成りて敗無き者を、篇に択び著す。首めは「不戦」、次は「制勝」、次は「詭道」、次は「武案」。岳忠武曰く、「運用の妙は、一心に在り」と。武案は則ち運用の跡なり。儒者は兵を言わず、然れども儒者は政に兵を与に言うべからず。儒者の兵を言うは詐を悪む。智者の兵を言うは、政に詐る能わざるを恐る。夫れ唯だ能く詐る者は能く戦う。能く戦う者は、斯に能く不戦を為す者か。形は声に遜り、策は力に絀す。廟堂に勝ちて、疆場に勝たず。疆場に勝ちて、矢石に勝たず。庶わくは天下を方行して敵無かるべし。「不戦」を集む。
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『智囊』靈變・捷智部總序馮子曰く、大事なる者は百年を争い、一息を争わず。然れども一息は固より百年の始めなり。夫れ事変の会は、火の如く風の如し。愚者は焉に犯し、稍や覚れば、則ち去りて之を違る。賀して害せざるのみ。今此に道有り、能く風を返し火を滅ぼさば、則ち木を抜き原を燎くと雖も、適に其の伎を試すに足るのみにして驚かず。嘗試みに之を足力に譬えん。一里の程にも、必ず先に至る者有り、争う所は刻に逾ゆるのみ。之を累ねて十里百里となれば、則ち其の刻を為すこと弥々多し。又況んや智の遅疾、相い去ること啻に千万里のみならざるをや。軍志に之有り、「兵は拙速を聞くも、巧の久しきを聞かず」と。夫れ速くして巧み無き者は、必ず久しくして愈々拙なる者なり。今、径尺の樽有りて、通衢に置かんに、先に至る者は酔うを得、継いで至る者は嘗むるを得、最後に至る者は唇を乾かして返らん。葉葉にして之を摘まば、日を窮むるも一樹を髡くす能わず。秋風霜を下せば、一夕にして零落す。此れ造化の捷きを言うなり。人の若し其れ捷くば、其の霊は万変し、卒に応ずるに窮せず。此れ唯だ敏悟なる者庶幾からん。嗚呼、事変の停まりて我を俟つ能わざること審らかなり。天下も亦た烏んぞ智にして捷からず、捷からずして智なる者有らんや。一日百戦し、成敗は糸の如し。三年にして車を造り、臨時に覆る。凶を去り吉に即くは、夷の思うに匪ず。「霊変」を集む。
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『智囊』得情・察智部總序馮子曰く、察に非ざれば神ならず、察も智に非ざれば精ならず。子思云う、「文理密察、必ず至聖に属す」と。而して孔子も亦た云う、「其の安んずる所を察す」と。是を以て察の用たる、神にして広きを知る。善く人を相する者は、猶お能く貌を鑑み色を弁じて、人の富貴寿貧賤孤夭を察す。況んや其の事に因りて其の心を察するをや。則ち人の忠佞賢奸、灼然たらざる有らんや。其の目を分かちて「得情」と曰い、「詰奸」と曰い、即ち此を以て人を照らす鏡と為すのみ。馮子曰く、語に云う、「淵の魚を察見する者は不祥なり」と。是を以て聖人は夜行を貴び、人の知らざる所に遊ぶ。然りと雖も、人を知るは実に難し、己を知るは何ぞ害あらん。目中に照乗・摩尼無くんば、又た何を以て夜行して躓かざらんや。子輿は舜を賛するに、明と察を並べ挙ぐ。蓋し明に非ざれば察する能わず、察に非ざれば明を顕わさず。之を大照の空に当たるに譬うれば、容光自ら領し、豈に覆盆有らんや、人憾まず。察察として予に好きが如きは、淵魚は之を避けん。吏治の其の最も顕かなる者にして、情を得れば天下に冤民無く、奸を詰すれば天下に戮民無し。夫れ是を精察と謂う。口は緇素を変じ、権は馬鹿を移し、山鬼は昼に舞い、愁魂は夜に哭す。如し其の情を得ば、片言にして獄を折く。唯だ参と由は、吾是れ私淑す。「得情」を集む。
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