武士訓 / 卷五・第10段
勝負の理は。人を制して。人に制せられず。勇氣を身體に充滿しめ。心眼を開ひてすゝむべし。寂然不動の體にゆきあたらば。おのれとくだけざるべし。
新字:勝負の理は。人を制して。人に制せられず。勇気を身体に充満しめ。心眼を開ひてすゝむべし。寂然不動の体にゆきあたらば。おのれとくだけざるべし。
書き下し
勝負の理は。人を制して。人に制せられず。勇氣を身體に充滿しめ。心眼を開ひてすゝむべし。寂然不動の體にゆきあたらば。おのれとくだけざるべし。
現代語訳
勝負の理は、人を制して、人に制せられないことである。勇気を身体に充満させ、心眼を開いて進むべきである。寂然として動かない構えに行き当たれば、おのずから砕けるであろう。
解説
勝負の理を、短く言い切った段です。人を制して人に制せられないこと、勇気を身体に満たし、心眼を開いて進むことを求めます。結びは、寂然として動かない構えに行き当たれば砕ける、という趣旨ですが、末尾の「くだけざるべし」は否定の形で、底本の字や読みに揺れがあるため、ここでは断定を避けて訳しました。前の段までの、気の位で押さえる、止まらない、という話をまとめる位置にあります。主導権を握ること、そのための気力と視野を持つことは、交渉や競争の場でも変わりません。受け身に回らず、全体を見て踏み出す姿勢を点検したくなる段です。
この章句が説くこと
制する勇気心眼寂然不動主導権武士訓
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