武士訓 / 卷四・第2段
むかし三條院春宮にて東三條にまし〱けるとき。ある夜寢殿の辰巳のかたなる西の檐に。狐ふして居たり。折ふし源賴光そのころ春宮大進にて。伺候したりけるに。春宮御弓と蟇目をたまはりて。あの狐を射よと仰せければ。賴光申やう。わかく候しときは。はか〱しくは候ねども。鹿などをば射候しが。今はたえて候へば。さらに射あて申べしとも覺え候ず。ことにかゝるものは。征箭にてこそつかまつることなるに。弓よはく蟇目はおもし。いかでかと辭せられけれども。御ゆるしなければ。紐さしながら表衣の袖をまくり。弓頭をすこしふせ。ひきまうけてはなつに。夜のことなれば。矢のゆくえは見えざりけれども。きつねの胸にあたりしかば。あやまたずさかさまに池のうちにおちいりぬ。よはき弓におもき蟇目なれば。いかなる射手なりとも。箭はおちんとおぼえしに。射おとしたるは希有の事なりと。春宮かぎりなく御感あつて主上の御馬をめして。賴光にたまふ。賴光庭にをりて。御馬をたまはり。拜謝して。これは某が仕りたる箭にても候はず。恥見せじとて。守護神のたすけ玉へることにこそと申て出にけりと古記にあり。一生武藝におこたらざるにあらずんば。かくのごときの高名あらんや。
新字:むかし三条院春宮にて東三条にまし〱けるとき。ある夜寝殿の辰巳のかたなる西の檐に。狐ふして居たり。折ふし源頼光そのころ春宮大進にて。伺候したりけるに。春宮御弓と蟇目をたまはりて。あの狐を射よと仰せければ。頼光申やう。わかく候しときは。はか〱しくは候ねども。鹿などをば射候しが。今はたえて候へば。さらに射あて申べしとも覚え候ず。ことにかゝるものは。征箭にてこそつかまつることなるに。弓よはく蟇目はおもし。いかでかと辞せられけれども。御ゆるしなければ。紐さしながら表衣の袖をまくり。弓頭をすこしふせ。ひきまうけてはなつに。夜のことなれば。矢のゆくえは見えざりけれども。きつねの胸にあたりしかば。あやまたずさかさまに池のうちにおちいりぬ。よはき弓におもき蟇目なれば。いかなる射手なりとも。箭はおちんとおぼえしに。射おとしたるは希有の事なりと。春宮かぎりなく御感あつて主上の御馬をめして。頼光にたまふ。頼光庭にをりて。御馬をたまはり。拝謝して。これは某が仕りたる箭にても候はず。恥見せじとて。守護神のたすけ玉へることにこそと申て出にけりと古記にあり。一生武芸におこたらざるにあらずんば。かくのごときの高名あらんや。
書き下し
むかし三條院春宮にて東三條にまし〱けるとき。ある夜寢殿の辰巳のかたなる西の檐に。狐ふして居たり。折ふし源賴光そのころ春宮大進にて。伺候したりけるに。春宮御弓と蟇目をたまはりて。あの狐を射よと仰せければ。賴光申やう。わかく候しときは。はか〱しくは候ねども。鹿などをば射候しが。今はたえて候へば。さらに射あて申べしとも覺え候ず。ことにかゝるものは。征箭にてこそつかまつることなるに。弓よはく蟇目はおもし。いかでかと辭せられけれども。御ゆるしなければ。紐さしながら表衣の袖をまくり。弓頭をすこしふせ。ひきまうけてはなつに。夜のことなれば。矢のゆくえは見えざりけれども。きつねの胸にあたりしかば。あやまたずさかさまに池のうちにおちいりぬ。よはき弓におもき蟇目なれば。いかなる射手なりとも。箭はおちんとおぼえしに。射おとしたるは希有の事なりと。春宮かぎりなく御感あつて主上の御馬をめして。賴光にたまふ。賴光庭にをりて。御馬をたまはり。拜謝して。これは某が仕りたる箭にても候はず。恥見せじとて。守護神のたすけ玉へることにこそと申て出にけりと古記にあり。一生武藝におこたらざるにあらずんば。かくのごときの高名あらんや。
現代語訳
昔、三条院が春宮として東三条におられたとき、ある夜、寝殿の辰巳の方にある西の檐に、狐が伏していました。折しも源頼光は、そのころ春宮大進として伺候しており、春宮は弓と蟇目を賜って、あの狐を射よと仰せになりました。頼光は、「若いときは、はかばかしくはありませんでしたが、鹿などは射ておりました。今はすっかりしておりませんので、射当てられるとは思えません。ことにこうしたものは征矢でするものです。弓は弱く蟇目は重いのに、どうして」と辞退しましたが、お許しがないので、紐を差したまま表衣の袖をまくり、弓頭を少し伏せ、引き設けて放ちました。夜なので矢の行方は見えませんでしたが、狐の胸に当たり、あやまたず逆さまに池の中に落ち入りました。弱い弓に重い蟇目なので、どんな射手であっても、矢は落ちると思われたのに、射落としたのは希有のことだと、春宮は限りなく感心され、主上の御馬を召して頼光に賜りました。頼光は庭に下りて御馬を賜り、拝謝して、「これは私が仕った矢でもございません。恥を見せまいと守護神がお助けくださったのでしょう」と申して退出したと古記にあります。一生、武芸を怠らなかったのでなければ、このような高名があるでしょうか。
解説
この章句が説くこと
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『呻吟語』内篇・修身・謙も禮に中らざれば損する所亦た多し或るひと問ふ、「傲は凶德と為らば、則ち謙は吉德なるか」と。曰く、「謙は真に是れ吉なり。然れども謙も禮に中らざれば、損する所亦た多し」と。上に在る者非禮の謙を為さば、則ち名份を亂し紀網を紊し、久しければ法令行はれず。下に在る者非禮の謙を為さば、則ち賤辱を取り氣節を喪ひ、久しければ廉恥地を掃ふ。君子の人に接するは未だ嘗て謹飭ならずんばあらず、身を持するは未だ嘗て正大ならずんばあらず。孔子曰く、「恭にして禮無ければ則ち勞す」と。又た曰く、「巧言令色足恭は、某も亦た之を恥づ」と。
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