武士訓 / 卷一・第18段
むかし樂正子春の堂よりおるゝとて。足をやぶりて。いためるけしきありしは。父母の遺體をそこなひしをうれえしなり。千載の下といへども。そのこゝろをはかり知て。感涙に及ぶものもあり。ふるき歌に「われながらわれもなつかしなき人のわきてのこさるかたみとおもへば」ともよめり。
新字:むかし楽正子春の堂よりおるゝとて。足をやぶりて。いためるけしきありしは。父母の遺体をそこなひしをうれえしなり。千載の下といへども。そのこゝろをはかり知て。感涙に及ぶものもあり。ふるき歌に「われながらわれもなつかしなき人のわきてのこさるかたみとおもへば」ともよめり。
書き下し
むかし樂正子春の堂よりおるゝとて。足をやぶりて。いためるけしきありしは。父母の遺體をそこなひしをうれえしなり。千載の下といへども。そのこゝろをはかり知て。感涙に及ぶものもあり。ふるき歌に「われながらわれもなつかしなき人のわきてのこさるかたみとおもへば」ともよめり。
現代語訳
昔、楽正子春が堂から降りるとき、足を痛めて、痛がる様子だったのは、父母から受けた体を損なったことを憂えたからです。千年の後であっても、その心を推し量って、感涙に及ぶ者もいます。古い歌に「われながら我もなつかしい。亡き人がとくに残してくれた形見と思えば」とも詠まれています。
解説
楽正子春が堂から降りるとき足を痛め、父母から受けた体を損なったことを憂えた話です。足の傷そのものより、体は親の遺したものだという意識を持ち続けたことが、千年後の人の涙を誘う、と著者は語ります。古歌は、亡き人がとくに残してくれた形見と思えば自分の身もなつかしい、という意味です。前段が命を軽んじる覚悟を説くのに対し、この段は体を大切にする側面を示し、二つで一組になります。いまの職場では、健康管理や休養を、自分一人のものではなく家族や周囲から預かったものとして扱う見方につながります。
この章句が説くこと
父母の遺体身を慎む楽正子春形見健康武士訓
関連する章句
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呂氏春秋・孝行⑧樂正子春、堂を下りて足を傷つけ、瘳えて數月出でず、猶ほ憂色有り。門人之に問いて曰く、「夫子、堂を下りて足を傷つけ、瘳えて數月出でず、猶ほ憂色有り、敢て其の故を問う。」樂正子春曰く、「善きかな、而の之を問うこと。吾之を曾子に聞く、曾子は之を仲尼に聞く。父母全くして之を生み、子全くして之を歸す。其の身を虧かず、其の形を損わざるは、孝と謂う可し、と。君子咫歩を行くも之を忘るること無し。余孝道を忘れたり、是を以て憂う。」故に曰く、身は其の私有に非ざるなり。嚴親の遺躬なり。
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礼記・祭義楽正子春(がくせいしゅん)、堂を下りてその足を傷つけ、数月出でず、猶お憂色有り。 門弟子曰く、「夫子の足瘳(い)えたり。数月出でず、猶お憂色有るは、何ぞや」と。 楽正子春曰く、「善いかな爾の問いや、善いかな爾の問いや。吾これを曾子に聞き、曾子これを夫子に聞けり。曰く、『天の生ずる所、地の養う所、人より大なるは無し』と。父母全うしてこれを生む、子全うしてこれを帰す、孝と謂うべし。その体を虧(か)かず、その身を辱めざる、全しと謂うべし。故に君子は頃歩(けいほ)にして敢えて孝を忘れざるなり。今予(われ)孝の道を忘れたり。是を以て憂色有るなり。一たび足を挙ぐるにも敢えて父母を忘れず、一たび言を出だすにも敢えて父母を忘れず。一たび足を挙ぐるにも敢えて父母を忘れず、是の故に道(みち)して径(こみち)せず、舟して遊(およ)がず、敢えて先父母の遺体を以て殆(あや)うきを行わず。一たび言を出だすにも敢えて父母を忘れず、是の故に悪言口より出でず、忿言身に反らず。その身を辱めず、その親を羞(はずかし)めざる、孝と謂うべし」と。
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『武士訓』卷一・第19段古語に孝は妻子に衰ふといへるごとく。今の世にさばかり父母によくつかふると見えし者の。妻子にひかれて。うとくなりゆくおほし。いにしへも此等のものを。倚門の望疎にして。結髮の情あつしとそしれり。
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『武士訓』卷一・第17段士は節に臨み。義によりて。身を塵芥になぞらへ。命を鴻毛よりかろんずべし。是父母の遺體をはづかしめざるなり。しかれどもたけくいさめる人の道しらぬは。一朝のいかりに無益の死をとぐる多し。命をすつるのみを勇武とおぼえたるは。古人も盲虎にひとしとそしれり。
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『武士訓』卷一・第15段父母につかふるに。もつぱら孝をつくし。兄弟をあはれみ。少しのゆかりあるものまでも。すぢめをたがえず。朋友にまじはるに。まことをもつてし。一言もいつはらざるやうにすべし。若約束などせば。かならず其とぢめをあはすべし。約諾不定なるべく覺えば。かねてより麤忽に約すべからず。信なくしては。人といひがたし。平生こゝろをつけて毎事皆信にと思ふべし。人はよろづてのむ所によること。花ずきのところに。もろ〳〵の花あつまるごとし。信をてのむこゝろやまざれば。信のみになるものなり。むかし河內守源賴信上野守にて任國にあるとき。其乳母子兵衛尉藤原親孝といふ者の家に。盜賊をとらえ。押こめて置しが。いかゞしけんまぬかれて。逃むとしけるが。去べきやうやなかりけん。親孝が男子の五六歲ばかりなるを人質に取り。膝の下に押え。刀を腹にあてゝひかへたり。折ふし親孝は賴信の館に居けるに。家人來りて。かくと告しかば。はしりかへりて見けれども。すべきやうなし。館にゆきて。なく〳〵賴信に申ければ。賴信かの所に行て見らるゝに。盜賊刀を兒にさしあてゝ。
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