呂氏春秋 / 孝行⑧
樂正子春下堂而傷足,瘳而數月不出,猶有憂色。門人問之曰:“夫子下堂而傷足,瘳而數月不出,猶有憂色,敢問其故?”樂正子春曰:“善乎而問之。吾聞之曾子,曾子聞之仲尼:父母全而生之,子全而歸之,不虧其身,不損其形,可謂孝矣。君子無行咫步而忘之。余忘孝道,是以憂。”故曰:身者非其私有也,嚴親之遺躬也。
新字:楽正子春下堂而傷足,瘳而数月不出,猶有憂色。門人問之曰:“夫子下堂而傷足,瘳而数月不出,猶有憂色,敢問其故?”楽正子春曰:“善乎而問之。吾聞之曽子,曽子聞之仲尼:父母全而生之,子全而歸之,不虧其身,不損其形,可謂孝矣。君子無行咫歩而忘之。余忘孝道,是以憂。”故曰:身者非其私有也,厳親之遺躬也。
書き下し
樂正子春、堂を下りて足を傷つけ、瘳えて數月出でず、猶ほ憂色有り。門人之に問いて曰く、「夫子、堂を下りて足を傷つけ、瘳えて數月出でず、猶ほ憂色有り、敢て其の故を問う。」樂正子春曰く、「善きかな、而の之を問うこと。吾之を曾子に聞く、曾子は之を仲尼に聞く。父母全くして之を生み、子全くして之を歸す。其の身を虧かず、其の形を損わざるは、孝と謂う可し、と。君子咫歩を行くも之を忘るること無し。余孝道を忘れたり、是を以て憂う。」故に曰く、身は其の私有に非ざるなり。嚴親の遺躬なり。
現代語訳
楽正子春が堂を下りて足を痛め、治ってから数か月も外出せず、なお憂いの色があった。門人が尋ねた。「先生は足を痛め、治って数か月経つのに外出もせず、まだ憂え顔です。その理由を伺いたい。」楽正子春は言った。「よい問いだ。私は曾子から聞き、曾子は孔子から聞いた。父母は完全な体で子を生み、子は完全な体で親に返す。体を欠けさせず形を損なわないのが孝だ、と。君子はわずかな歩みの間もこれを忘れない。私は孝の道を忘れて足を傷つけた、だから憂えるのだ。」そこで言う、身は自分の私物ではなく、父母から授かった体なのである。
解説
孔子から曾子、楽正子春へと伝えられた孝の教えを、足を負傷したことを深く恥じ憂える逸話で描きます。背景には、体を無事に保ち親に返すことが孝だという前段の身体観があり、ここではそれを実生活で徹底しようとする厳格さが示されます。わずかな一歩の間も忘れないという緊張感が印象的です。身は私物でなく親から授かったものだ、という結びは自己の相対化を促します。現代では過度にも映りますが、自分の身を大切にする責任が自分だけのものではないという視点は、なお考えさせられます。
この章句が説くこと
楽正子春曽子孔子全生全帰孝身体
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