武士道 / 第七章 至誠信實・正直と名誉
テ夫れ正直と名譽との觀念は密切なる關係を有レ、又た此の二字は啻に英語のみならず、拉甸語に於ても、獨逸語に於ても其の語原を一にするものなるを以て、予は今や爰に筆を轉じて、武士道の懷抱したる『名譽』の思想を討究すべき時に至れり。
新字:テ夫れ正直と名誉との観念は密切なる関係を有レ、又た此の二字は啻に英語のみならず、拉甸語に於ても、独逸語に於ても其の語原を一にするものなるを以て、予は今や爰に筆を転じて、武士道の懐抱したる『名誉』の思想を討究すべき時に至れり。
書き下し
それ正直と名誉との観念は密接なる関係を有し、又た此の二字は、ただに英語のみならず、拉甸語に於ても、独逸語に於ても、其の語原を一にするものなるを以て、予は今やここに筆を転じて、武士道の懐抱したる『名誉』の思想を討究すべき時に至れり。
現代語訳
さて正直と名誉という観念は密接な関係を持ち、またこの二つの語は、英語だけでなくラテン語においてもドイツ語においても語源を同じくするものですから、私は今ここで筆を転じて、武士道が抱いていた名誉の思想を探るべき時に至りました。
解説
第七章の結びで、次章へ橋が架けられます。根拠が語源であるところが新渡戸らしく、正直と名誉が同じ語から出ていることを示して二つの徳のつながりを裏づけます。言葉の成り立ちから思想のつながりを示す方法は、第一章で侍とナイトの語源を並べたときと同じです。短い一段ですが、章と章をつなぐ蝶番として働いています。

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正直名誉語源連結転換
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