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文子 / 自然

老子曰:樸,至大者無形狀,道,至大者無度量,故天員不中規,地方不中矩。往古來今謂之宙,四方上下謂之宇,道在中而莫知其所,故見不遠者,不可與言大,知不博者,不可與論至。夫稟道與物通者,無以相非,故三皇五帝法籍殊方,其得民心一也。若夫規矩勾繩,巧之具也,而非所以巧也,故無絃雖師文不能成其曲,徒絃則不能獨悲,故絃,悲之具也,非所以為悲也。至於神和,遊於心手之間,放意寫神,論愛而形於絃者,父不能以教子,子亦不能受之於父,此不傳之道也。故肅者形之君也,而寂寞者音之主也。

新字:老子曰:樸,至大者無形状,道,至大者無度量,故天員不中規,地方不中矩。往古来今謂之宙,四方上下謂之宇,道在中而莫知其所,故見不遠者,不可与言大,知不博者,不可与論至。夫稟道与物通者,無以相非,故三皇五帝法籍殊方,其得民心一也。若夫規矩勾縄,巧之具也,而非所以巧也,故無絃雖師文不能成其曲,徒絃則不能独悲,故絃,悲之具也,非所以為悲也。至於神和,遊於心手之間,放意写神,論愛而形於絃者,父不能以教子,子亦不能受之於父,此不伝之道也。故粛者形之君也,而寂寞者音之主也。

書き下し

老子曰く、樸は、至大なる者に形状無し。道は、至大なる者に度量無し。故に天円なれども規に中らず、地方なれども矩に中らず。往古来今を之れ宙と謂い、四方上下を之れ宇と謂う。道は中に在りて其の所を知る莫し。故に見ること遠からざる者は、与に大を言うべからず。知ること博からざる者は、与に至を論ずべからず。夫れ道を稟けて物に通ずる者は、以て相い非る無し。故に三皇五帝の法籍は方を殊にすれども、其の民心を得るは一なり。夫れ規矩勾縄は、巧の具なれども、巧なる所以に非ず。故に無絃なれば師文と雖も其の曲を成す能わず、徒絃なれば則ち独り悲しむ能わず。故に絃は悲しみの具にして、悲しむ所以に非ず。神和に至りては、心手の間に遊び、意を放ち神を写し、愛を論じて絃に形す。父も以て子に教うる能わず、子も亦た父より受くる能わず。此れ不伝の道なり。故に肅は形の君なり、而して寂寞は音の主なり。

現代語訳

老子は言った。樸は、至って大きいものには形がない。道は、至って大きいものには度量がない。だから天は円いが規にぴたりとは合わず、地は方形だが矩にぴたりとは合わない。過去から未来までを宙といい、四方と上下を宇という。道はその中にあるが、その在りかを知る者はない。だから見ることの遠くない者とは大を語れず、知ることの博くない者とは至を論じられない。道を受けて物に通じる者は、互いに否定し合わない。だから三皇五帝は法や典籍の方法が違っても、民の心を得たことは同じである。規や矩、墨縄は巧みさの道具であるが、巧みさそのものではない。だから弦がなければ師文のような名人でも曲を成せず、弦だけがあっても独りでは悲しみを奏でられない。だから弦は悲しみの道具であって、悲しみそのものではない。神妙で和やかな境地に至れば、心と手の間に遊び、意を放ち神を写し、情愛を論じて弦に形づくる。それは父が子に教えることもできず、子が父から受けることもできない。これは伝えられない道である。だから厳粛さは形の君であり、静けさは音の主である。

解説

道具と本質の区別を、琴の弦を使って説く段です。「弦は悲しみの具にして、悲しむ所以に非ず」。弦や定規はあくまで道具で、悲しみや巧みさの本質ではない、と言います。さらに本当の境地は「父も以て子に教うる能わず」、つまり言葉や型では伝えられないとします。仕事の技術や手順書を整備しても、最後に残る判断の勘どころは受け渡せない。そこを自覚しながら教える姿勢が、管理職に求められます。型の限界を知ったうえで型を教える、という立場です。

この章句が説くこと

絃は悲しみの具にして此れ不伝の道なり父も以て子に教うる能わず道具不伝技

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