文子 / 微明
是故能戴大圓者履大方,鏡大清者視大明,立太平者處大堂,能游於冥冥者,與日月同光,無形而生於有形,是故真人託期於靈臺,而歸居於物之初,視於冥冥,聽於無聲,冥冥之中獨有曉焉,寂寞之中獨有照焉。其用之乃不用,不用而後能用之也,其知之乃不知,不知而後能知之也。道者,物之所道也,德者,生之所扶也,仁者,積恩之證也,義者,比於心而合於眾適者也。道滅而德興,中世守德而不懷,下世繩繩唯恐失仁。故君子非義無以活,失義則失其所以活,小人非利無以活,失利則失其所以活,故君子懼失義,小人懼失利,觀其所懼,禍福異矣。
新字:是故能戴大円者履大方,鏡大清者視大明,立太平者処大堂,能游於冥冥者,与日月同光,無形而生於有形,是故真人託期於霊台,而帰居於物之初,視於冥冥,聴於無声,冥冥之中独有暁焉,寂寞之中独有照焉。其用之乃不用,不用而後能用之也,其知之乃不知,不知而後能知之也。道者,物之所道也,徳者,生之所扶也,仁者,積恩之証也,義者,比於心而合於衆適者也。道滅而徳興,中世守徳而不懐,下世縄縄唯恐失仁。故君子非義無以活,失義則失其所以活,小人非利無以活,失利則失其所以活,故君子懼失義,小人懼失利,観其所懼,禍福異矣。
書き下し
是の故に能く大円を戴く者は大方を履み、大清を鏡とする者は大明を視、太平に立つ者は大堂に処り、能く冥冥に游ぶ者は日月と光を同じくす。無形にして有形に生ず。是の故に真人は期を霊台に託し、物の初めに帰居す。冥冥に視、無声に聴く。冥冥の中に独り暁る有り、寂寞の中に独り照らす有り。其の用いるや乃ち用いず、用いずして後に能く之を用う。其の知るや乃ち知らず、知らずして後に能く之を知る。道は物の道とする所、徳は生の扶くる所、仁は恩を積むの証、義は心に比して衆適に合う者なり。道滅びて徳興り、中世は徳を守りて懐わず、下世は縄縄として唯だ仁を失わんことを恐る。故に君子は義に非ざれば以て活くる無し。義を失えば則ち其の活くる所以を失う。小人は利に非ざれば以て活くる無し。利を失えば則ち其の活くる所以を失う。故に君子は義を失うを懼れ、小人は利を失うを懼る。其の懼るる所を観れば、禍福異なれり。
現代語訳
こうして、大いなる円の天を戴く者は大いなる方の地を踏み、大いなる清らかさを鏡とする者は大いなる明るさを見、泰平に立つ者は大いなる堂に居り、冥冥の中に遊べる者は日月と光を同じくする。形のないものから形あるものが生じる。だから真人は居場所を霊台に寄せ、物の初めに帰って居る。暗がりの中に見て、音のないところに聴く。暗い中に独り明らかなものがあり、寂寞の中に独り照らすものがある。用いるといってもそれは用いることではなく、用いないところにこそよく用いる。知るといってもそれは知ることではなく、知らないところにこそよく知る。道は物がそれによって道とするもの、徳は生を支えるもの、仁は恩を積んだ証、義は心に照らして衆人の適うところに合うものである。道が滅びて徳が興り、中世は徳を守っても懐かず、下世は細々と仁を失うことだけを恐れる。だから君子は義でなければ生きてゆけず、義を失えば生きる理由を失う。小人は利でなければ生きてゆけず、利を失えば生きる理由を失う。だから君子は義を失うことを懼れ、小人は利を失うことを懼れる。その懼れるところを観れば、禍福は異なる。
解説
この章句が説くこと
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『五常訓』巻之四・義一孟子の、梁恵王に対して、利をおさへて、仁義を説き給ふは、仁なれば、心に私欲なくして、人を愛する故に、人をそこなひて、わが身を利することはせず。義なれば人に取ると、人に与ふると、必宜しきにかなふ故、取るまじき物を取りて、我が身ひとりを利する事をばせず。利は仁義のうら也。我が身に私して、人をかへり見ず我が身を利すれば、必人を害す。其はては、必我が身の禍となる。義を行へば利を求めずして、利自らあり。故に利を以て利とせず、義を以て利とす。されども利を得んために義を行ふは、真の義にあらず。
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『慎思録』巻之六近世の俗儒、名を好み異を立つるを以て心と為す者は、義利公私の弁を知らず、徒に利を言はざるを以て高しと為す。故に大学の所謂国は利を以て利と為さず、義を以て利と為すの言を疑ひて、以て利を言ふの事にして、君子の言に非ずと為す。知らず、利は是れ身を養ひ民を養ひ、国家に無かるべからざるの事、即ち是れ義の和なることを。故に君子も亦利を欲せざるに非ず。蓋し義有りて利自ら来たれば、則ち義に於いて害無し。只義を舎てて利を取り、利の為に義を行ふ者は、不可なり。苟も義を以て主と為せば、則ち利も亦義なり。利を以て主と為せば、則ち義も亦利なり。公私の間に在るのみ。蓋し利は人に施すべくして、己に専らにすべからず。夫子罕に利を言ふは、利を言はざるに非ざるなり。
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『都鄙問答』卷之二・或學者、商人ノ學問ヲ譏ノ段曰く、夫にては汝の為に損なるが、損の往くを喜び、是を義と云ふは如何。答ふ、否、損にあらず、大いに利あり。曰く、忽ちに損の見えたるを、利と云ふは、如何なることぞ。答ふ、孟子も、君子は生を舎てて義を取る者なりとのたまふ。君子は命をすて義を取る。木綿は軽きことなり。仮令一国を得、万金を得るとも、道にたがはば、何ぞ不義を行はん。外物の損を為し、心を養ひて利を得。此の外に勝ること何か有らん。
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