文子 / 九守
夫血氣者人之華也,五藏者人之精也,血氣專乎內而不外越,則胸腹充而嗜欲寡,嗜欲寡則耳目清而聽視聰達,聽視聰達謂之明。五藏能屬於心而無離,則氣意勝而行不僻,精神盛而氣不散,以聽無不聞,以視無不見,以為無不成,患禍無由入,哀氣不能襲,故所求多者所得少,所見大者所知小。夫孔竅者精神之戶牖,血氣者五藏之使候,故耳目淫於聲色,即五藏動搖而不定,血氣滔蕩而不休,精神馳騁而不守,禍福之至雖如丘山,無由識之矣,故聖人愛而不越。聖人誠使耳目精明玄達,無所誘慕,意氣無失清靜而少嗜欲,五藏便寧,精神內守形骸而不越,即觀乎往世之外,來事之內,禍福之間何足見也,故其出彌遠者,其知彌少。
新字:夫血気者人之華也,五蔵者人之精也,血気専乎内而不外越,則胸腹充而嗜欲寡,嗜欲寡則耳目清而聴視聰達,聴視聰達謂之明。五蔵能属於心而無離,則気意勝而行不僻,精神盛而気不散,以聴無不聞,以視無不見,以為無不成,患禍無由入,哀気不能襲,故所求多者所得少,所見大者所知小。夫孔竅者精神之戸牖,血気者五蔵之使候,故耳目淫於声色,即五蔵動揺而不定,血気滔蕩而不休,精神馳騁而不守,禍福之至雖如丘山,無由識之矣,故聖人愛而不越。聖人誠使耳目精明玄達,無所誘慕,意気無失清静而少嗜欲,五蔵便寧,精神内守形骸而不越,即観乎往世之外,来事之内,禍福之間何足見也,故其出弥遠者,其知弥少。
書き下し
夫れ血気は人の華なり、五蔵は人の精なり。血気内に専らにして外に越えざれば、則ち胸腹充ちて嗜欲寡なし。嗜欲寡なければ則ち耳目清くして聴視聡達なり。聴視聡達なるを之を明と謂う。五蔵能く心に属して離れざれば、則ち気意勝ちて行僻まず、精神盛んにして気散ぜず。以て聴けば聞かざる無く、以て視れば見ざる無く、以て為せば成らざる無し。患禍入る由無く、哀気襲う能わず。故に求むる所多き者は得る所少なく、見る所大なる者は知る所小なり。夫れ孔竅は精神の戸牖、血気は五蔵の使候なり。故に耳目声色に淫すれば、即ち五蔵動揺して定まらず、血気滔蕩として休まず、精神馳騁して守らず。禍福の至ること丘山の如しと雖も、之を識る由無し。故に聖人は愛して越えず。聖人誠に耳目をして精明玄達ならしめ、誘慕する所無く、意気清静を失わずして嗜欲少なければ、五蔵便ち寧く、精神内に形骸を守りて越えず。即ち往世の外を観、来事の内を観れば、禍福の間何ぞ見るに足らん。故に其の出づること彌いよ遠き者は、其の知ること彌いよ少なし。
現代語訳
そもそも血気は人の花であり、五臓は人の精である。血気が内に集まって外に出なければ、胸と腹が満ち足りて、欲は少なくなる。欲が少なければ耳目は清らかになり、聞くことも見ることも通じる。聞くことも見ることも通じるのを明という。五臓が心に従って離れなければ、気と意が勝って行いは偏らず、精神は盛んで気は散らない。それで聞けば聞こえないものがなく、見れば見えないものがなく、為せば成らないものがない。災いは入る道がなく、悲しみの気も襲えない。だから求めるものが多い者は得るものが少なく、見るものが大きい者は知るものが小さい。そもそも穴は精神の戸や窓であり、血気は五臓の使いである。耳目が音色にふけると、五臓が揺れ動いて定まらず、血気がうねり続けて休まず、精神は駆け回って守りを失う。そうなれば禍福が丘や山のように迫っても、それに気づくことができない。だから聖人は大切にして外へ出させない。聖人がまことに耳目を鋭く奥深く通じさせ、誘われ慕うものがなく、意気が清く静かで欲が少なければ、五臓は安らぎ、精神は内で身体を守って外に出ない。そうすれば過去の外も未来の内も見通せ、禍福の分かれ目など見るに足りない。だから外へ出ることが遠いほど、知ることは少なくなる。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『淮南子』精神訓夫れ血氣 能く五藏に專らにして外に越えざれば、則ち胸腹充ちて嗜欲省かる。胸腹充ちて嗜欲省かるれば、則ち耳目清く、聽視達す。耳目清く、聽視達する、之を明と謂う。五藏 能く心に屬きて乖けば、則ち㪍志勝ちて行い僻ならず。㪍志勝ちて之を行いて僻ならざれば、則ち精神盛んにして氣散ぜず。精神盛んにして氣散ぜざれば則ち理まり、理まれば則ち均しく、均しければ則ち通じ、通ずれば則ち神なり。神なれば則ち以て視るに見えざる無く、以て聽くに聞こえざる無く、以て為すに成らざる無きなり。是の故に憂患も入る能わず、而して邪氣も襲う能わず。故に事 之を四海の外に求めて遇う能わざる有り、或いは之を形骸の內に守りて見えざるなり。故に求むる所の多き者は得る所少なく、見る所の大なる者は知る所小なり。
-
文子・九守以て精神は外に淫せしむ可からざるを言うなり。故に五色は目を乱し、目をして明らかならざらしめ、五音は耳に入り、耳をして聡からざらしめ、五味は口を乱し、口をして創を生ぜしめ、趣舎は心を滑し、行いをして飛揚せしむ。故に嗜欲は人の気をして淫せしめ、好憎は人の精をして労せしむ。疾く之を去らざれば、則ち志気日に耗す。夫れ人の其の天年を終うる能わざる所以の者は、生を生とするの厚きを以てなり。夫れ唯だ生を以て為す無き者は、即ち長生を得る所以なり。天地運りて相い通じ、万物摠べて一と為る。能く一を知れば即ち一として知らざる無く、一を知る能わざれば即ち一として能く知る無し。吾が天下に処るも亦た一物と為り、物も亦た物なり。物と物と、何を以てか相い物とせん。生を欲するも事とす可からず、死を憎むも辞す可からず。之を賤しむも憎む可からず、之を貴ぶも喜ぶ可からず。其の資に因りて之を寧んじ、敢えて極めず、敢えて極めざれば、即ち至楽極まるなり。
-
『淮南子』精神訓夫れ孔竅なる者は、精神の戶牖なり。而して氣志なる者は、五藏の使候なり。耳目 聲色の樂に淫すれば、則ち五藏搖動して定まらず。五藏搖動して定まらざれば、則ち血氣滔蕩として休まず。血氣滔蕩として休まざれば、則ち精神 外に馳騁して守らず。精神 外に馳騁して守らざれば、則ち禍福の至ること、丘山のごとしと雖も、之を識るに由無し。耳目をして精明玄達にして誘慕無く、氣志をして虛靜恬愉にして嗜欲を省き、五藏をして定寧充盈にして泄れず、精神をして內に形骸を守りて外に越えざらしむれば、則ち往世の前を望み、來事の後を視るも、猶お未だ為すに足らず。豈に直だ禍福の間のみならんや。故に曰く、其の出づること彌々遠き者は、其の知ること彌々少なし、と。精神の外に淫せしむ可からざるを言うなり。是の故に五色は目を亂して、目をして明ならざらしめ、五聲は耳を嘩がして、耳をして聰ならざらしめ、五味は口を亂して、口をして爽傷せしめ、趣舍は心を滑らして、行をして飛揚せしむ。此の四者は、天下の性を養う所なり。然れども皆な人の累なり。故に曰く、嗜欲なる者は、人の氣をして越えしめ、好憎なる者は、人の心をして勞せしむ。疾やかに去らざれば、則ち志氣日々に耗る、と。
-
文子・九守老子曰く、人の気を天に受くるは、耳目の声色に於ける、鼻口の芳臭に於ける、肌膚の寒温に於けるが如く、其の情は一なり。或いは以て死し、或いは以て生き、或いは君子と為り、或いは小人と為るは、制を為す所以の者の異なればなり。神は智の淵なり、神清ければ則ち智明らかなり。智は心の府なり、智公なれば則ち心平らかなり。人は流潦に鑑みずして澄水に鑑みるは、其の清く且つ静かなるを以てなり。故に神清く意平らかにして、乃ち能く物の情を形す。故に之を用うる者は必ず不用を仮る。夫れ鑑明らかなる者は則ち塵垢も汚さず、神清き者は嗜欲も誤らざるなり。故に心の至る所有れば、則ち神慨然として之に在り、之を虚に反せば、則ち躁を消し息を蔵す。此れ聖人の遊びなり。故に天下を治むる者は、必ず性命の情に達して而る後に可なり。
-
文子・九守老子曰く、聖人は陰と俱に閉じ、陽と俱に開き、能く無楽に至るや、即ち楽しまざる無し。楽しまざる無きは、即ち至楽極まるなり。是を以て内は外を楽しませ、外を以て内を楽しませず、故に自ら楽しむ有り、即ち自ら志して天下に貴きを有つ。然る所以は、因りて天下の要を為せばなり。彼に在らずして我に在り、人に在らずして身に在り。身得れば則ち万物備わる。故に心術の論に達する者は、即ち嗜欲好憎外なり。是の故に喜ぶ所無く、怒る所無く、楽しむ所無く、苦しむ所無く、万物玄同にして、非も無く是も無し。故に士に一定の論有り、女に易えざるの行い有り、勢を待たずして尊く、財を須たずして富み、力を須たずして強く、貨財を利とせず、世名を貪らず、貴を以て安しとせず、賤を以て危しとせず、形神気志各おの其の宜しきに居る。夫れ形は生の舎なり、気は生の元なり、神は生の制なり。一たび其の位を失えば即ち三者傷つく。故に神を以て主と為す者は形従いて利あり、形を以て制と為す者は神従いて害あり。其の生、貪叨多欲の人は、勢利より宜しきは莫く、名位を誘慕し、幾ど過人の知を以て位世に高きも、即ち精神日に耗して以て遠く、久しく淫して還らず、形閑中に拒めば、即ち入る由無し。是を以て時に盲忘自失の患い有り。夫れ精神志気は、静なれば日に充ちて以て壮んに、躁なれば日に耗して以て老ゆ。是の故に聖人は其の神を持養し、其の気を和弱にし、其の形を平夷にして、道と浮沈す。此くの如くなれば則ち万物の化偶せざる無く、百事の変応ぜざる無し。
-
文子・九守老子曰く、勢を尊び利を厚くするは、人の貪る所なるも、之を身に比ぶれば則ち賤し。故に聖人は食は以て虚を充たし気を接ぐに足り、衣は以て形を蓋い寒を禦ぐに足り、情に適いて余を辞し、得るを貪らず、多く積まず、目を清くして視ず、耳を静めて聴かず、口を閉じて言わず、心を委ねて慮らず、聡明を棄て、太素に反り、精神を休め、知故を去り、好憎無し。是を大通と謂う。穢を除き累を去るは、未だ始めより其の宗を出でざるに若くは莫し。何をか為して成らざらん。養生の和を知る者は、即ち懸くるに利を以てす可からず、内外の符に通ずる者は、誘うに勢を以てす可からず。無外の外は至大、無内の内は至貴、能く大貴を知れば、何くに往くとして遂げざらん。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る