文子 / 精誠
老子曰:夫道之與德,若圍之與革,遠之即近,近之即逺,稽之不得,察之不虛。是故聖人若鏡,不將不迎,應而不藏,萬物而不傷。其得之也,乃失之也,其失之也,乃得之也,故通於大和者,闇若醇醉而甘臥以游其中,若未始出其宗,是謂大通,此假不用能成其用也。
新字:老子曰:夫道之与徳,若囲之与革,遠之即近,近之即遠,稽之不得,察之不虚。是故聖人若鏡,不将不迎,応而不蔵,万物而不傷。其得之也,乃失之也,其失之也,乃得之也,故通於大和者,闇若醇酔而甘臥以游其中,若未始出其宗,是謂大通,此仮不用能成其用也。
書き下し
老子曰く、夫れ道と徳とは、囲と革の若し。之を遠ざくれば即ち近く、之に近づけば即ち遠し。之を稽うれども得ず、之を察すれども虚しからず。是の故に聖人は鏡の若く、将らず迎えず、応じて蔵せず、万物にして傷わず。其の之を得るや、乃ち之を失うなり。其の之を失うや、乃ち之を得るなり。故に大和に通ずる者は、闇として醇酔の若く、甘臥して以て其の中に游び、未だ始めより其の宗を出でざるが若し。是を大通と謂う。此れ不用に仮りて能く其の用を成す。
現代語訳
老子は言った。道と徳とは、囲いと革のようなものである。遠ざければ近づき、近づければ遠ざかる。調べても得られず、察しても空しくはない。だから聖人は鏡のようで、送らず迎えず、応じて蔵せず、万物に接しても傷つかない。得たと思えば失っており、失ったと思えば得ている。だから大和に通じた者は、濃い酒に酔ったようにぼんやりとし、気持ちよく眠ってその中に遊び、始めから根本を離れたことがないかのようである。これを大通という。これは用いないことに頼って、その用を成すのである。
解説
道と徳の関係を、遠ざければ近づき、近づけば遠ざかる、という逆説で描く短い段です。続く「聖人は鏡の若く、将らず迎えず、応じて蔵せず」は、『荘子』にも見える有名な喩えで、映したものを心に溜めず、来たものにただ応じる姿を言います。管理職にとっては、過去の成功や失敗、特定の部下への評価を引きずらず、毎回目の前の事実に向き合うことの勧めに読めます。「得れば失い、失えば得る」は、握りしめると指の間からこぼれる、という知恵でもあります。冒頭の「囲と革」の比喩は意味が取りにくく、訳は直訳に近くしています。
この章句が説くこと
聖人は鏡の若く将らず迎えず乃ち之を失うなり大通無執着鏡
関連する章句
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『淮南子』覽冥訓夫れ道の德と、韋の革とのごとく、之を遠ざくれば則ち邇く、之に近づけば則ち遠し。其の道を得ざれば、鯈魚を觀るがごとし。故に聖は鏡のごとく、將らず迎えず、應じて藏せず。故に萬化して傷むこと無し。其れ之を得るは、乃ち之を失うなり。其れ之を失うは、乃ち之を得るに非ざるなり。今 弦を調ぶるを失う者、宮を叩けば宮應じ、角を彈けば角動く。此れ同聲相い和する者なり。夫れ一弦を改め調ぶること有りて、其れ五音に於いて比する所無きも、之を鼓せば二十五弦皆な應ず。此れ未だ始めより聲に異ならずして、音の君 已に形るるなり。故に太和に通ずる者は、昏として純醉して甘く臥し以て其の中に遊ぶがごとくにして、其の由りて至る所を知らざるなり。
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文子・精誠老子曰く、夫れ人道は、性を全くし真を保ち、其の身を虧かず、急迫難に遭えども、精天に通ず。若し乃ち未だ始めより其の宗を出でざる者は、何を為して成らざらん。死生域を同じくして、脅凌す可からず。又況んや天地に官たり、万物を懐き、造化に返り、至和を含みて、己未だ嘗て死せざる者をや。精誠内に形われて、外人心に喩す、此れ不伝の道なり。聖人上に在りて、道を懐き言わず、沢万民に及ぶ。故に不言の教は、芒として大なるかな。君臣心を乖けば、倍譎天に見われ、神気相い応じて徴あり。此を不言の弁、不道の道と謂う。夫れ遠きを召す者には無為ならしめ、近きを親しむ者には無事を言う。唯だ夜行く者のみ能く之を有つ。走馬を卻けて以て糞し、車軌遠方の外に接せず、是を坐馳陸沈と謂う。天道は私に就くこと無く、私に去ること無し。能者は余り有り、拙者は足らず。之に順う者は利あり、之に逆う者は凶なり。是の故に智を以て治を為す者は国を持し難く、唯だ大和に同じくして自然を持して応ずる者のみ、能く之を有つと為す。
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