文子 / 精誠
老子曰:若夫聖人之游也,即動乎至虛,游心乎太無,馳於方外,行於無門,聽於無聲,視於無形,不拘於世,不繫於俗。故聖人所以動天下者,真人不過,賢人所以矯世者,聖人不觀。夫人拘於世俗,必形繫而神泄,故不免於累,使我可拘係者,必其命有在外者。
新字:老子曰:若夫聖人之游也,即動乎至虚,游心乎太無,馳於方外,行於無門,聴於無声,視於無形,不拘於世,不繋於俗。故聖人所以動天下者,真人不過,賢人所以矯世者,聖人不観。夫人拘於世俗,必形繋而神泄,故不免於累,使我可拘係者,必其命有在外者。
書き下し
老子曰く、若し夫れ聖人の游ぶや、即ち至虚に動き、心を太無に游ばせ、方外に馳せ、無門を行き、無声を聴き、無形を視る。世に拘わらず、俗に繋がれず。故に聖人の天下を動かす所以は、真人は過ぎず、賢人の世を矯す所以は、聖人は観ず。夫れ人世俗に拘われば、必ず形繋がれ神泄れ、故に累を免れず。我をして拘係す可からしむる者は、必ず其の命の外に在る者有らん。
現代語訳
老子は言った。聖人が遊ぶときは、至虚に動き、心を太無に遊ばせ、世俗の外に馳せ、門のないところを行き、声のないものを聴き、形のないものを視る。世に拘らず、俗に繋がれない。だから聖人が天下を動かす手段は、真人にとっては取るに足りず、賢人が世を正す手段は、聖人は見向きもしない。人が世俗に拘われると、必ず身体は縛られ精神は漏れ出て、累いを免れない。私を拘束できないと言える者は、必ずその運命の外に身を置いているのだろう。
解説
世俗にとらわれず、虚の中に遊ぶ聖人の境地を描いた短い段です。注目したいのは、聖人の手段は真人から見れば取るに足りず、賢人の手段は聖人が見向きもしない、という階層の見方です。上の段階から見れば、下の段階の努力は些細に見える。ただしこれは見下しでなく、視野の高さの違いを述べているのでしょう。世俗に拘われると「形繋がれ神泄る」とあり、評価や慣習への過剰な適応が心身を消耗させるという指摘は、現代の職場にも当てはまります。末尾の一文は本文が不安定で、読みに揺れが残ります。
この章句が説くこと
心を太無に游ばせ世に拘わらず形繋がれ神泄れ世俗自由虚
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