文子 / 道原
孔子問道。老子曰:正汝形,一汝視,天和將至;攝汝知,正汝度,神將來舍,德將為汝容,道將為汝居。瞳子,若新生之犢,而無求其故,形若枯木,心若死灰,真其實知而不以曲故自持,恢恢無心可謀,“明白四達,能無知乎?”
新字:孔子問道。老子曰:正汝形,一汝視,天和将至;摂汝知,正汝度,神将来舎,徳将為汝容,道将為汝居。瞳子,若新生之犢,而無求其故,形若枯木,心若死灰,真其実知而不以曲故自持,恢恢無心可謀,“明白四達,能無知乎?”
書き下し
孔子、道を問う。老子曰く、汝の形を正し、汝の視を一にすれば、天和将に至らんとす。汝の知を摂め、汝の度を正せば、神将に来たりて舎り、徳将に汝の容と為り、道将に汝の居と為らん。瞳子は新たに生まれし犢の若くして、其の故を求むる無かれ。形は枯木の若く、心は死灰の若くして、其の実の知を真にして曲故を以て自ら持せず。恢恢として心の謀る可き無し。「明白四達して、能く知る無からんか」と。
現代語訳
孔子が道を問うた。老子は言った。「お前の姿勢を正し、お前の視線を一つに定めれば、天の和が訪れようとする。お前の知を収め、お前の度量を正せば、精神がやって来て宿り、徳がお前の容貌となり、道がお前の住まいとなる。目は生まれたばかりの子牛のようにして、物事の理由を詮索してはならない。身体は枯れ木のように、心は冷えた灰のようにして、実のある知を真実のものとし、こざかしい理屈で自分を支えてはならない。ゆったりと広く、心で謀ることは何もない。『明らかにあらゆる方向に通じていながら、知ることなしでいられるか』と」。
解説
孔子が老子に道を問う、という有名な構図の段で、答えは知識でなく所作から始まります。「形を正し、視を一にす」。姿勢と視線を整えるだけで、精神と徳と道が順に宿る、と順番を示します。続く「瞳子は新たに生まれし犢の若くして」は、物事に理由を問い詰めない、まっさらな見方のことです。『老子』の「能く知る無からんか」を結びに引き、知っていることを手放す余白を勧めています。職場でも、会議の前に姿勢と注意を一点に絞る、という実践は通じます。
この章句が説くこと
汝の形を正し汝の視を一にすれば瞳子は新たに生まれし犢の若くして形は枯木の若く無知虚心
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