文武訓 / 武訓上
一勇怯とは、勇はけなげなり、怯はつたなきなり。怯とは臆病なるをいふ。勇怯は生れつきたる性により、又ならはしによる。うまれつきもならはしによりて變じて、勇にも怯にもなる。武士の子は武藝をまなび、武勇なる人にまじはり、その物語を聞き、むかしの戰記をよみ、勇をはげまし武をたしなむべし。武士の子も、商人となれば、ならはしとなりて、武道にうとく勇氣よわくなる。ならはしをえらびつゝしむべし。小成は天性のごとく、習慣は自然のごとし、と聖人ものたまへり。いとけなき時よりつとめ學べば、天性生れつきたるごとくなる。ならひ慣れたることは、じねんにつとめずしてよくなるが如しとなり。からもやまとも、軍には農人は用ふれども、商人は武士には用ひず。商人は、其習專利をはかりて、武士に遠ければなり。農人は、其心他の求なく、一筋なれば士に近し。
新字:一勇怯とは、勇はけなげなり、怯はつたなきなり。怯とは臆病なるをいふ。勇怯は生れつきたる性により、又ならはしによる。うまれつきもならはしによりて変じて、勇にも怯にもなる。武士の子は武芸をまなび、武勇なる人にまじはり、その物語を聞き、むかしの戦記をよみ、勇をはげまし武をたしなむべし。武士の子も、商人となれば、ならはしとなりて、武道にうとく勇気よわくなる。ならはしをえらびつゝしむべし。小成は天性のごとく、習慣は自然のごとし、と聖人ものたまへり。いとけなき時よりつとめ学べば、天性生れつきたるごとくなる。ならひ慣れたることは、じねんにつとめずしてよくなるが如しとなり。からもやまとも、軍には農人は用ふれども、商人は武士には用ひず。商人は、其習専利をはかりて、武士に遠ければなり。農人は、其心他の求なく、一筋なれば士に近し。
書き下し
一勇怯とは、勇はけなげなり、怯はつたなきなり。怯とは臆病なるをいふ。勇怯は生れつきたる性により、又ならはしによる。うまれつきもならはしによりて変じて、勇にも怯にもなる。武士の子は武芸をまなび、武勇なる人にまじはり、その物語を聞き、むかしの戦記をよみ、勇をはげまし武をたしなむべし。武士の子も、商人となれば、ならはしとなりて、武道にうとく勇気よわくなる。ならはしをえらびつつしむべし。小成は天性のごとく、習慣は自然のごとし、と聖人ものたまへり。いとけなき時よりつとめ学べば、天性生れつきたるごとくなる。ならひ慣れたることは、じねんにつとめずしてよくなるが如しとなり。からもやまとも、軍には農人は用ふれども、商人は武士には用ひず。商人は、其習専利をはかりて、武士に遠ければなり。農人は、其心他の求なく、一筋なれば士に近し。
現代語訳
勇怯というのは、勇はけなげなこと、怯はつたないことです。怯とは臆病なことをいいます。勇怯は生まれつきの性質により、また習わしにもよります。生まれつきも習わしによって変わり、勇にも怯にもなります。武士の子は武芸を学び、武勇な人と交わり、その物語を聞き、昔の戦記を読み、勇を励まし武をたしなむべきです。武士の子も商人になれば、それが習わしとなって、武道にうとく勇気が弱くなります。習わしを選んで慎むべきです。「少くして成るは天性のごとく、習慣は自然のごとし」と聖人もおっしゃいました。幼いときから努め学べば、生まれつきのようになります。習い慣れたことは、自然に努めなくてもよくできるようになる、ということです。中国も日本も、軍には農民は用いますが、商人は武士としては用いません。商人はその習わしが利益を図ることで、武士から遠いからです。農民はその心にほかの求めがなく、一筋なので士に近いのです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・生くべき時に生き死すべき時に死すされど生くべき時に生き、死すべき時に死するは真の勇なり』と。又た泰西の識者の、肉体の勇と道徳の勇とを区別するが如きは、我国人も亦たつとに之を為す。いやしくも士林に在る者は、小少より既に大勇と匹夫の勇とを弁知せざるものなかりしならん。剛毅、大胆、自若、勇猛の徳性は、青年武士の嚮往する所にして、彼等は実例に則り、実行に由り、世の最も尊尚する此徳を磨厲して、敢て人後に落ちざらんことを努めたり。孩提の児童と雖、なお母の懐に在りて、武功譚、英雄物語に耳を傾け、もし苦痛を哀訴することあらんか、母は『些少の苦痛に泣くは卑怯者』と呵し、継ぐに『戦場に出でて、腕を断たれなば何如。切腹を命ぜられなば何如』等の属語を以てしたり。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・大勇の士は沈着重厚なりされど武士道の勇に於ける観念は、ただにかくの如きに止まらず。勇の人の精神に宿るや、現はれて沈毅となり、不動となる。平静なるは勇の休息せる形にして、又た勇の平衡を得て静止せる現象なり。之に反して大胆なる行為は、其の動勢に表はれたる形なり。大勇の士は、沈着重厚なり。事に処して、其常を失はず、矢石を冒して怖れず、災危に臨んで動かず、雷霆の威に屈せず、風波の烈に驚かず、泰山前に崩るとも変ぜず、鼎釼の中にありて自から安んじ、死生の巷に立ちて自から楽めり。真の勇者は、危を踏み、死に瀕して従容詩歌を詠じ、声音筆蹟毫も平生に異ならず。人、皆之を歎称せり。けだし悠々逼らざること、かくの如きは、其心に多大の余裕あるに因らずんばあらず。
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『武士道』第四章 勇・敢爲堅忍の精神・義を為すは勇なり勇もし義に由らずんば、即ち徳たるに値ひせず。孔子は論語にて、其常とする、消極よりして勇の定義を下し、『義を見て為さざるは勇無きなり』と説きしが、之を積極に換言すれば、則ち『義を為すは勇なり』となる。危を求め、命を殆くし、死の口に馳する事、人の或は之を以て勇に擬するあり。武人の如きは、誤つてシェイクスピアの所謂『庶出の勇』たる、暴虎憑河、死して悔いざる者を賛すと雖、ひとり武士道は然らず、死すべからずして死するを犬死と賤めたり。水戸の義公はプラトーの名さへ耳にせざりき。されば此哲人が勇を称して、『恐るべきものと、恐るべからざるものとを弁識することなり』と云へるが如きは、固より之を学びたること無し。然るに義公は曰へり、『戦に臨んで身を捨つること難からず、田夫野人と雖、之を能くす。
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論語・公冶長篇子曰く、「道行われず、桴に乗りて海に浮かばん。我に従わん者は、其れ由か。」子路之を聞きて喜ぶ。子曰く、「由や、勇を好むこと我に過ぎたり。材を取る所無し。」
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論語・陽貨篇子路曰く、「君子は勇を尚ぶか。」子曰く、「君子は義以て上と為す。君子勇有りて義無ければ乱を為し、小人勇有りて義無ければ盗を為す。」
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『呻吟語』外篇・品藻・至勇は氣無し小勇は噭燥、巧勇は色笑、大勇は沉毅、至勇は氣無し。
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