文武訓 / 文訓下之末
一朱子曰。如孝弟忠信人倫日用事。播爲樂章。使人歌之。傚周禮讀法。偏示鄕村聚落。亦可代今粉壁所書條禁。篤信謂、今世若人ありて、國字を以て樂章を作り、古雅にして諷誦しやすからしめ、孝弟忠信人倫日用の事をいひ、是にまじふるに古人の嘉言善行を以てして、うたひ物とし、人に敎へて詠歌せしめば、世敎に補あるにちかゝらん。今、俗のうたひ物の中に、頗音聲の淫哇ならざるもあれども、其詞妄誕多く、其曲節も急迫にして、衆を眩はし情を亂るに足れり。夫樂は風を移し俗を易へ、人をして善に感じ惡を化するの具なれば、其聲音歌章ともに、正しくせずんばあるべからず。
新字:一朱子曰。如孝弟忠信人倫日用事。播為楽章。使人歌之。傚周礼読法。偏示郷村聚落。亦可代今粉壁所書条禁。篤信謂、今世若人ありて、国字を以て楽章を作り、古雅にして諷誦しやすからしめ、孝弟忠信人倫日用の事をいひ、是にまじふるに古人の嘉言善行を以てして、うたひ物とし、人に教へて詠歌せしめば、世教に補あるにちかゝらん。今、俗のうたひ物の中に、頗音声の淫哇ならざるもあれども、其詞妄誕多く、其曲節も急迫にして、衆を眩はし情を乱るに足れり。夫楽は風を移し俗を易へ、人をして善に感じ悪を化するの具なれば、其声音歌章ともに、正しくせずんばあるべからず。
書き下し
一朱子曰く、孝弟忠信人倫日用の事の如きは、播して楽章と為し、人をして之を歌はしめ、周礼の読法に傚ひて、偏く郷村聚落に示さば、亦今の粉壁に書する所の条禁に代ふべし。篤信謂、今世若人ありて、国字を以て楽章を作り、古雅にして諷誦しやすからしめ、孝弟忠信人倫日用の事をいひ、是にまじふるに古人の嘉言善行を以てして、うたひ物とし、人に教へて詠歌せしめば、世教に補あるにちかからん。今、俗のうたひ物の中に、頗音声の淫哇ならざるもあれども、其詞妄誕多く、其曲節も急迫にして、衆を眩はし情を乱るに足れり。夫楽は風を移し俗を易へ、人をして善に感じ悪を化するの具なれば、其声音歌章ともに、正しくせずんばあるべからず。
現代語訳
朱子が言いました。「孝悌・忠信・人倫・日用の事のようなことは、広めて歌の章とし、人にこれを歌わせ、『周礼』の読法(法令を読み聞かせる制度)にならって、あまねく村里に示せば、今の白壁に書いてある禁令の代わりにもなるだろう」。私、篤信(益軒)が思うに、今の世にもし人がいて、仮名で歌の章を作り、古雅で口ずさみやすくし、孝悌・忠信・人倫・日用の事を言い、これに古人の良い言葉と良い行いを交えて歌い物とし、人に教えて歌わせたなら、世の教えに補いがあるのに近いでしょう。今、世俗の歌い物の中には、音声がみだらでないものもかなりありますが、その詞にはでたらめが多く、その節回しも急で、人々を惑わし情を乱すのに十分です。そもそも音楽は、風俗を移し変え、人を善に感じさせ悪を改めさせる道具ですから、その声・音・歌・章ともに、正しくしなければなりません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』三辯程繁、子墨子に問いて曰く、「『聖王は樂を為さず』と。昔、諸侯は聴治に倦めば、鍾鼔の樂に息い、士大夫は聴治に倦めば、竽瑟の樂に息い、農夫は春に耕し夏に耘り、秋に斂め冬に蔵むれば、聆缶の樂に息う。今、夫子は『聖王は樂を為さず』と曰う。此れ之を譬うるに猶お馬駕して稅かず、弓張りて弛めざるがごとし。乃ち血氣有る者の至る能わざる所に非ざる無からんや」と。子墨子曰く、「昔者、堯舜に《第期》なる者有り、且つ以て禮と為し、且つ以て樂と為す。湯、桀を大水に放ち、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。自ら樂を作り、命じて《九招》と曰う。武王、殷に勝ち紂を殺し、天下を環りて自ら立ちて以て王と為り、事成り功立ちて、大いなる後患無し。先王の樂に因り、又た自ら樂を作り、命じて《象》と曰う。周の成王は先王の樂に因り、命じて《騶虞》と曰う。周の成王の天下を治むるや、武王に若かず。武王の天下を治むるや、成湯に若かず。成湯の天下を治むるや、堯舜に若かず。故に其の樂の逾いよ繁き者は、其の治、逾いよ寡し。此れより之を觀れば、樂は天下を治むる所以に非ざるなり」と。
-
『十善法語』巻第四・不妄語戒左伝ニ。八音ヲ節ニシテ八風ヲ行フトアリ。書経ニ。夔カ石ヲ拊擊スレハ。百獣率ヰ舞トアル。毗奈耶雑事ニ。緊那羅女ヨリ伝ヘシ箜篌ノ第一絃ヲ奏スルトキ。船舶破砕シ。商人悉ク漂没ストアル。又史記ニ。晋ノ平公音ヲ好ム。師曠カ黄帝合鬼神ノ楽ヲ奏ス。晋ノ国三年旱スト有ル。殷ノ紂王カ靡靡ノ楽ヲ作ル。是ニ由テ国ヲ亡スト云コトシヤ。此等ヲモ虚言トハカリ云レヌシヤ。近代書生ノ類カ大言ヲ好テ古人ヲ排シ。此般ノ事ヲ疑フハ。古ヲ信スルコトノナキト云ヘシ。孔子モ信シテ古ヲ好ムトアル。古ヲハ信スヘキコトシヤ。
-
論語・八佾篇子、魯の太師に楽を語りて曰く、『楽は其れ知る可し。始め作せば翕(きゅう)の如く、之れに従えば純の如く、繹(えき)の如くして以て成る。』
-
論語・泰伯篇子曰く、師摯の始め、関雎の乱、洋洋乎として耳に盈つるかな。
-
『武士道』第五章 仁・愛不忍の心・アルカディアの音楽却つて是れ、噌々切々たる琵琶の音の、猛き心を和げ、思を腥風血雨の外に馳せしむるものなりき。希臘の史家ポリビオスの伝ふる所によれば、往古アルカディアに於ては、其厳慄なる風土の、峻峭なる性情を賦与するを融和せんが為、国法として三十歳以上の男子に課するに音楽を以てしたりと云ふ。而して史家は、彼の荒涼なるアルカディア山国の人民の、能く残忍の性より免れたる所以のものは、ひとへに此れを音楽の賜なりとせり。凡そ我国到る処として、武士を教ふるに温雅の質、優美の性を以てせざるは無かりき。薩藩の如きは、わずかに其一例たるに過ぎず。白河楽翁公の、心に映るままを、そこはかと無く婉なる筆に記したるが中に云へることあり、『枕に通ふとも、咎無きものは、花の香、遠寺の鐘、霜夜の虫の音は殊に哀れなり』と。
-
『十善法語』巻第五・不綺語戒如上且ツ糸竹管絃ヲ以テ誠ノ楽ニ比対シテ。其及フ所其及フ所ナラヌト云。元来道ニ高下ナシ。法ハ麁細ヲ絶スルナレハ。此糸竹管絃ヲ棄ヨト云デハナイ。是糸竹管絃モ古ノ聖賢ノ道ヲ寓スル器シヤ。黄帝ノ伶倫ニ命シテ六律六呂ヲ定メシト云。虚誕ニテモアルマシキソ。密教ノ中ニ。嬉鬘歌舞ノ菩薩アル。皆盧舎那ノ妙智印ト云。其跡ヨリ云ハ。総シテ聖賢ヲ除テ外ハ。皆気質ニ偏ナル所アルト云コトシヤ。此偏ヲ解クハ。楽ヲ第一トス。此形アレハ此声アル。此声アレハ此感アル。声韻ノ物ヲ感スルハ。至テ親シキモノシヤ。古ニ雅頌ノ音理リテ民正シク。噪□ノ声興テ士奮ヒ。鄭衛ノ曲動テ心淫ストアル。五声ヲ調テ過不及ノ気質ヲ等クス。宗廟朝廷ノ威儀進退ヲ称ハシメ。上下ノ情ヲ和スル。擴メテ云ハハ。此楽ニ由テ政治ヲ輔佐シ。陰陽五行ヲ調和スルモ。アルベキ理ゾ。孔子モ韶ヲ聞テ三月肉ノ味ヲ知ラストアル。仏法ノ中ニモ。馬鳴菩薩ガ和羅伎ヲ制ス。世人此声韻ニ感シテ苦空無我ヲ覚リ。無漏道ノ因縁ニ成シトアル。此等ニ由テ見レハ。舞楽声韻ノ中ニ。聖賢ノ地位ニモ至ルベキシヤ。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る