囲炉夜話 / 第百十四則・他日那樣の下場を想到すれば發憤すべし
知道自家是何等身分,則不敢虛驕矣。 想到他日是那樣下場,則可以發憤矣。
新字:知道自家是何等身分,則不敢虚驕矣。 想到他日是那様下場,則可以発憤矣。
書き下し
自家は是れ何等の身分なるかを知道すれば、則ち敢へて虛驕せず。 他日是れ那樣の下場なるかを想到すれば、則ち以て發憤すべし。
現代語訳
自分がどれほどの身の程であるかを知っていれば、虚勢を張って驕ることはできなくなります。いつの日か自分がどのような結末を迎えるかを思い至れば、奮い立つことができます。
解説
今の自分を正しく知ることと、先の自分を思い描くことの二つで、驕りを抑え、奮起を促す則です。前半は、自分の身の程、つまり実力や立場を冷静に知れば、中身のない驕りは生まれないと言います。後半の下場は口語で、物事の結末や行く末のことです。このまま怠れば将来どうなるかを想像すれば、自然と発憤できるというのです。前半は現在の自分を見て心を低くし、後半は将来の自分を見て心を奮わせるという、時間の向きの違う二つの眼差しが組み合わされています。今日でも、自分の実力を過大評価して油断したり、先のことを考えずに日々を流したりしがちです。等身大の自分と、十年後の自分を、ときどき並べて見ることが、驕らず怠らない秘訣です。
この章句が説くこと
発憤謙虚自省将来修身
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