武人訓抄録 / 爪牙としての四肢の芸
一士家に四肢の藝ある事、たとへば禽獸の爪牙あるがごとし、爪あるものをば衆禽恐れ、牙あるものをば諸獸懼る、夫猛獸壯禽といへども、陷穽網罟に獲られて其爪牙をきらば、猫兒乳雀も何ぞ恐懼するとあらんや、兵士にして刀鎗射騎の藝なきものは、恰も猛獸壯禽にして爪牙なきにおなじ、何をもてか威敵刺賊の用に備ふべき、士として一技なからむものは用る所なし、すべて禮樂書數の能より、諸職百工の藝、雞鳴狗吠の術にいたるまで、武人のたしむ所無益とはいふべからず、然れども偏に麁暴の藝に癖して武理に拙く、專に柔輭の能を弄じて權略に疎きは、譬ば儒士の詩賦文章を能して德行に暗きが如し、倶に藝能に一偏して、終に宿儒良將の域には至るべからず、
新字:一士家に四肢の芸ある事、たとへば禽獣の爪牙あるがごとし、爪あるものをば衆禽恐れ、牙あるものをば諸獣懼る、夫猛獣壮禽といへども、陥穽網罟に獲られて其爪牙をきらば、猫児乳雀も何ぞ恐懼するとあらんや、兵士にして刀鎗射騎の芸なきものは、恰も猛獣壮禽にして爪牙なきにおなじ、何をもてか威敵刺賊の用に備ふべき、士として一技なからむものは用る所なし、すべて礼楽書数の能より、諸職百工の芸、鶏鳴狗吠の術にいたるまで、武人のたしむ所無益とはいふべからず、然れども偏に麁暴の芸に癖して武理に拙く、専に柔輭の能を弄じて権略に疎きは、譬ば儒士の詩賦文章を能して徳行に暗きが如し、倶に芸能に一偏して、終に宿儒良将の域には至るべからず、
書き下し
一士家に四肢の藝ある事、たとへば禽獸の爪牙あるがごとし、爪あるものをば衆禽恐れ、牙あるものをば諸獸懼る、夫猛獸壯禽といへども、陷穽網罟に獲られて其爪牙をきらば、猫兒乳雀も何ぞ恐懼するとあらんや、兵士にして刀鎗射騎の藝なきものは、恰も猛獸壯禽にして爪牙なきにおなじ、何をもてか威敵刺賊の用に備ふべき、士として一技なからむものは用る所なし、すべて禮樂書數の能より、諸職百工の藝、雞鳴狗吠の術にいたるまで、武人のたしむ所無益とはいふべからず、然れども偏に麁暴の藝に癖して武理に拙く、專に柔輭の能を弄じて權略に疎きは、譬ば儒士の詩賦文章を能して德行に暗きが如し、倶に藝能に一偏して、終に宿儒良將の域には至るべからず、
現代語訳
士の家に刀・槍・射・騎の四つの芸があるのは、たとえば禽獣に爪牙があるようなものです。爪のある者を多くの鳥が恐れ、牙のある者を諸獣が恐れます。猛獣や勇ましい鳥といえども、落とし穴や網にかかってその爪牙を切られれば、子猫や雀さえ恐れるでしょうか。兵士であって刀・槍・射・騎の芸がない者は、ちょうど猛獣や壮鳥に爪牙がないのと同じです。何をもって敵を威圧し賊を討つ用に備えられるでしょうか。士として一つの技もない者は、用いるところがありません。礼楽書数の能から、諸職百工の芸、鶏の鳴き声や犬の吠え声のまねの術まで、武人のたしなむところは、無益とは言えません。しかしただ粗暴な芸に偏って武の理に拙く、ひたすら柔らかな能を弄んで権略に疎いのは、たとえば儒者が詩賦文章に長けて徳行に暗いのと同じです。ともに芸能の一方に偏り、ついには宿儒や良将の域には至れません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『武人訓抄録』・躰と用を弁える一をよそ武門の學者、まづ身上に躰用あるとをしるべし、躰とは脩己治人の道也、用とは射御書數の伎なり、其用の躰における、たとへば婦の夫に從ふがごとく、臣の君に奉ずるがごとし、婦其夫を失なふ時は據ところなし、臣其君に離るゝ時は立ところなし、用其躰に□く時は成ところなし、故に射御書數の用を習ふものも、まづ脩己治人の躰を定てのち、其事にいたるべし、今世士夫の藝能を肆ものを見るに、是を辨知する族少し、玆を以て禮樂書數を習ふ徒は、柔輭にして處女の如く、刀鎗射騎を試る輩は麁暴にして奴隷の如く、或は惰弱の訛あり、或は任俠の弊あり、蓋神心の學は、木の根本のごく、四肢の藝は、其枝葉に均し、止戈の理義に疎くして、猥に手足の事藝にのみ亘れば、かくのごとくの害を脫るゝ事かたし、よく察すべし、
-
『武訓』上・第4段士たる人は、高きいやしき、弓馬劍戟の法をまなぶべし。武藝をしらざれば、戰にのぞみ、敵に對しがたし。されど、大將たる人は、まづ、兵法をならひて、次に、武藝をならふべし。武藝に專なるべからず。武藝は、たゞ、其の大略をならふべし。武藝は末なり。兵法は本なり。有司も、兵法をならふべし。將たる人、武藝のみしりて、兵法をしらざるは、本をすてゝ、末をとるなり。小身の士は、武藝を、大やうは、あまねくまなぶべし。弓馬、劍術、鎗、長刀、拔刀、擊劍、拳法、棒、水練など、皆、ならひしるべし。一事もしらざれば、變に應じがたきことあり。小身の士も、一藝を、すぐれて精しくまなぶは、一事になづみて、他藝に通じがたし。故に、一藝に專一なるべからず。然れども、もし、士の子弟など、一藝を以て、身を立てんと思ふものは、藝を專にして、くはしくまなぶべし。これ、人の師となるにたれり。かやうの人、もし、あまねく多藝にしては、一藝にくはしからず。くはしからざれば、人の師となりがたし。
-
『武士訓』卷一・第4段世俗の說に。われは武人なり。武をこそ專らにすべけれ。文はまなぶにたらずといふは。武の本意をしらざるなり。文武は。車の兩輪のごとく。鳥の二翼にひとしければ。かた〳〵かけてはたちがたし。邵堯夫文武吟にも。旣爲文士。必有武備。文武之道。皆我家事と賦せり。但し文武をまなぶに。まづ文學をすゝめて忠孝の道をさとしめ。其のちに武術をならはすべし。武術を前にして。文學を後にすることなかれ。許棐氏が語に。讀孔孟之書而不嗜殺人者。未爲仁人也。讀孫吳之書而不嗜殺人者。仁人也とあるを考べし。軍學すらすでにしかり。况や其以下の小藝をや。文學は木の根本のごとく。諸藝は枝葉にひとしといへり。幼より文學をせざるうちに。外の藝にわたれば。事によりて。先入主となりて。害をまうくることも多しとなむ。
-
『文武訓』武訓上一士たる人は、高きいやしき、弓馬剣戟の法をまなぶべし。武芸を知らざれば、戦にのぞみ敵に対しがたし。されど、大将たる人は、まづ兵法をならひて、次に武芸をならふべし。武芸に専なるべからず。武芸はただ其大略をならふべし。武芸は末なり、兵法は本なり。有司も兵法をならふべし。将たる人、武芸のみ知りて兵法を知らざるは、本をすてて末をとるなり。小身の士は、武芸を大やうはあまねくまなぶべし。弓馬、剣術鎗長刀、抜刀、撃剣、拳法、棒、水練など皆ならひ知るべし。一事も知らざれば変に応じがたきことあり。小身の士も、一芸をすぐれて精しくまなぶは、一事になづみて他芸に通じがたし。故に一芸に専一なるべからず。然れども、もし士の子弟など、一芸を以て、身を立てんと思ふものは、芸を専にしてくはしくまなぶべし。これ人の師となるに足れり。かやうの人、もしあまねく多芸にしては、一芸にくはしからず、くはしからざれば人の師となりがたし。
-
『武人訓抄録』・家業を怠れば士にあらず一釋氏の佛經を誦し、田夫の耘耔を勤め、武人の兵術を試る類は、各其家業にして藝能にはあらず、釋氏にして佛經を誦せずむば、孰かこれを僧とせむ、田夫にして耘耔を勤ずんば、孰かこれを農とせん、武人にして兵術を試みずむば、孰かこれを士とせむ、然るに近世の庸士、歌舞蹴鞠を翫びて常の事とし、鳥獸草木を愛して恆の行とし、武理のごきは談兵者に遜りて、いまだ曾て不志、兵藝のごきは長藝士に託して、いまだ曾て不習、いたづらに容貌のみ壯士のごく、心中女孺に劣れり、豈是を武家の倫といはんや、愧べきの甚しき所なり、學者よろしく此を躰認して、彼事行にならふ事なかれ、必しもつゝしむべし、
-
『文武訓』武訓上一武士たる人は、武芸を知らずんばあるべからず。弓馬、刀剣、鎗長刀、鳥銃、拳法なども、其法をならはずしては、戦にのぞみて功をなしがたし。中について、弓馬を尤まなぶべし。弓馬の二は、ことさら学ばずしては、ちからつよしとても、妄に其術行はれず。他の武芸はよく習ひても、治世に生れては、一生の間一度も其わざ用に立たざることあり。弓馬は、治世にても日用のことなり。殊に馬は日々乗る物なれば、よく学ぶべし。

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見る