武学啓蒙 / 論・容家の礼法と国の古い作法
目あり、殊に、使擾禮と稱する、太刀、折紙類、今日、仕官の要用たり、夫より、弓馬の式法を、格入と號し、弓箭の諸禮、器物、制品の故實、軍儀の法度、出陣、かどでより、かちどき、諸實撿の作法、及び狩獵の故實、其場の、ことばづかひの式、軍中、陰陽、風雨、望氣、日取の吉凶等、是を極むるを、軍配の奥義とす、本邦の古風なれば、武門の子弟、演習せずんば、あるべからず、されども、此容家にて事を盡すにはあらず、古風を學ぶの一つを云なり、上にも云如く、本邦は、代のかわりしことなき、喜慶邦故、西土に、たへたる卜法など傳る類にて、神代の古器、弓箭の義には、周家の典禮に、名のみ殘りて、其物、わきまへがたきも、我邦に、考ふべきもの多し、殊に、千載の末にも、凶邪、逆戾の罪を、征伐の道を、名付て、弓箭の格とよぶ、故實あり、上帝政に、御執の奏あり、つゞきて、公侯に、弓箭の禮あり、武門を、物部とすべ稱し、弓とりとす、史に、弓箭とる身は、名こそおしけれとある、是なり、かく寫することの廣博なるは、緣故あることゝ、察すべし、近來、文人、やゝもすれば、國故を、なひがしろに、いふは、よろしからず、西土の文字さへ、弓矢にとるの義、甚多し、わけて、國の主を、侯と云は、忘れたりとも、國故を輕視するは、己が親をすてゝ、他人を愛し、己が君をすてゝ、他國に媚ると、同じく、既に孝經の義に戾れり、他人の善を習ひ、異境の美を學ぶは、まことに、日新富有の業、我先王、すでに、此を用て、集大成し玉ふ、されども、今、堂々たる制度備りたる國にて、みだりに、自から夷と下し、あまつさへ國故を蔑如するは、國に對するの無禮、春秋の法を何とかいはん、武夫彼かさやぶりの說にならひ、我邦の、比岐女、鳴弦、鳴鏑、神通、神頭、躰の矢、節蔭等の、故實、わけなきことに、みるべからず、予嘗て、彼天竺咒文の蟇目等に、疑惑すること久し、
新字:目あり、殊に、使擾礼と称する、太刀、折紙類、今日、仕官の要用たり、夫より、弓馬の式法を、格入と号し、弓箭の諸礼、器物、制品の故実、軍儀の法度、出陣、かどでより、かちどき、諸実撿の作法、及び狩猟の故実、其場の、ことばづかひの式、軍中、陰陽、風雨、望気、日取の吉凶等、是を極むるを、軍配の奥義とす、本邦の古風なれば、武門の子弟、演習せずんば、あるべからず、されども、此容家にて事を尽すにはあらず、古風を学ぶの一つを云なり、上にも云如く、本邦は、代のかわりしことなき、喜慶邦故、西土に、たへたる卜法など伝る類にて、神代の古器、弓箭の義には、周家の典礼に、名のみ残りて、其物、わきまへがたきも、我邦に、考ふべきもの多し、殊に、千載の末にも、凶邪、逆戻の罪を、征伐の道を、名付て、弓箭の格とよぶ、故実あり、上帝政に、御執の奏あり、つゞきて、公侯に、弓箭の礼あり、武門を、物部とすべ称し、弓とりとす、史に、弓箭とる身は、名こそおしけれとある、是なり、かく写することの広博なるは、縁故あることゝ、察すべし、近来、文人、やゝもすれば、国故を、なひがしろに、いふは、よろしからず、西土の文字さへ、弓矢にとるの義、甚多し、わけて、国の主を、侯と云は、忘れたりとも、国故を軽視するは、己が親をすてゝ、他人を愛し、己が君をすてゝ、他国に媚ると、同じく、既に孝経の義に戻れり、他人の善を習ひ、異境の美を学ぶは、まことに、日新富有の業、我先王、すでに、此を用て、集大成し玉ふ、されども、今、堂々たる制度備りたる国にて、みだりに、自から夷と下し、あまつさへ国故を蔑如するは、国に対するの無礼、春秋の法を何とかいはん、武夫彼かさやぶりの説にならひ、我邦の、比岐女、鳴弦、鳴鏑、神通、神頭、体の矢、節蔭等の、故実、わけなきことに、みるべからず、予嘗て、彼天竺咒文の蟇目等に、疑惑すること久し、
書き下し
目あり、殊に、使擾禮と稱する、太刀、折紙類、今日、仕官の要用たり、夫より、弓馬の式法を、格入と號し、弓箭の諸禮、器物、制品の故實、軍儀の法度、出陣、かどでより、かちどき、諸實撿の作法、及び狩獵の故實、其場の、ことばづかひの式、軍中、陰陽、風雨、望氣、日取の吉凶等、是を極むるを、軍配の奥義とす、本邦の古風なれば、武門の子弟、演習せずんば、あるべからず、されども、此容家にて事を盡すにはあらず、古風を學ぶの一つを云なり、上にも云如く、本邦は、代のかわりしことなき、喜慶邦故、西土に、たへたる卜法など傳る類にて、神代の古器、弓箭の義には、周家の典禮に、名のみ殘りて、其物、わきまへがたきも、我邦に、考ふべきもの多し、殊に、千載の末にも、凶邪、逆戾の罪を、征伐の道を、名付て、弓箭の格とよぶ、故實あり、上帝政に、御執の奏あり、つゞきて、公侯に、弓箭の禮あり、武門を、物部とすべ稱し、弓とりとす、史に、弓箭とる身は、名こそおしけれとある、是なり、かく寫することの廣博なるは、緣故あることゝ、察すべし、近來、文人、やゝもすれば、國故を、なひがしろに、いふは、よろしからず、西土の文字さへ、弓矢にとるの義、甚多し、わけて、國の主を、侯と云は、忘れたりとも、國故を輕視するは、己が親をすてゝ、他人を愛し、己が君をすてゝ、他國に媚ると、同じく、既に孝經の義に戾れり、他人の善を習ひ、異境の美を學ぶは、まことに、日新富有の業、我先王、すでに、此を用て、集大成し玉ふ、されども、今、堂々たる制度備りたる國にて、みだりに、自から夷と下し、あまつさへ國故を蔑如するは、國に對するの無禮、春秋の法を何とかいはん、武夫彼かさやぶりの說にならひ、我邦の、比岐女、鳴弦、鳴鏑、神通、神頭、躰の矢、節蔭等の、故實、わけなきことに、みるべからず、予嘗て、彼天竺咒文の蟇目等に、疑惑すること久し、
現代語訳
項目があります。とりわけ使擾礼と称する太刀や折紙の類は、今日、仕官するうえで必要なものです。それから、弓馬の式法を格入と号し、弓箭の諸礼、器物の制式の故実、軍儀の法度、出陣や門出から勝鬨(かちどき)、諸々の実検の作法、および狩猟の故実、その場のことばづかいの式、軍中の陰陽・風雨・望気・日取りの吉凶など、これを極めることを、軍配の奥義とします。わが国の古風ですから、武門の子弟は演習しなければなりません。ただし、この容家だけで事を尽くすのではなく、古風を学ぶ一つを言うのです。上にも言うように、わが国は代の替わったことがない喜ばしい国ですから、西の国で絶えた卜法などが伝わっている類で、神代の古い器、弓箭の義は、周家の典礼に名だけが残って、その物は弁えがたいものでも、わが国には考えるべきものが多いのです。特に、千年の末にも、凶邪や逆戻の罪を征伐する道を名づけて弓箭の格と呼ぶ故実があります。上帝の政に御執の奏があり、続いて公侯に弓箭の礼があります。武門を物部と総称し、弓取りと言います。史書に「弓箭取る身は名こそ惜しけれ」とあるのが、これです。このように広く写されているのは、縁故のあることと察しなさい。近ごろ、文人がともすれば国の古い事柄をないがしろに言うのはよくありません。西の国の文字でさえ、弓矢に取る義が非常に多いのです。まして国の主を「侯」と言うことは忘れたとしても、国の古い事柄を軽んじるのは、自分の親を捨てて他人を愛し、自分の君を捨てて他国に媚びるのと同じで、すでに孝経の義に反しています。他人の善を習い、異境の美を学ぶのは、まことに日々新たに富み有る業で、わが先王もすでにこれを用いて集大成なさいました。しかし今、堂々たる制度のそなわった国で、みだりに自ら夷と下し、あまつさえ国の古い事柄を蔑むのは、国に対する無礼で、春秋の法をどう言えばよいのでしょう。武夫が、あの鞘破りの説にならい、わが国の比岐女(蟇目)、鳴弦、鳴鏑、神通、神頭、体の矢、節蔭などの故実を、わけのないこととして見てはいけません。私は以前から、あの天竺の呪文による蟇目などに、長く疑いを抱いていました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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