武学啓蒙 / 序・藤原則徳の序・先生の転機と人柄
先生初專志于著述、自經學文章、至兎園士苴、以十數焉、或請梓行于世、先生笑曰、惟此輯錄實備遺忘耳、何爲問于大方耶、蓋其意有所竣云、後罹天明戊申之災、著書皆烏有焉、生徒深惜之、然而先生不以爲意、曰、祝融有意、適藏吾拙也矣爾來不屑以詩文成名、幡然改轍、唯武備是講、遂以兵法皷篋士大夫、其名籍々起矣、先生爲人、義氣慷慨、窮而益堅、老而益壯、可謂確乎大丈夫也、余蒙先生之橐鑰、三十年于玆、而未能涓滴報其顧眄、常以爲愧矣、今也敎諭之一端、啓蒙之義成、先生不謀諸世之聞人、特命叙于余、余雖不文無損益先生之才名、因是以錄顧眄萬分之一、不亦宜乎、乃不辭而執筆、纔記刻成之日月、云爾、文化三年丙寅春二月朔藤原則德撰武學啓蒙序傳曰、有文事者、必有武備也、故禮以一張一弛稱焉、及至晚近、世衰道微、執一廢百、比々皆是也、獨吾力先生能得兼備云、先生爲人、亮直誠至、初受伏原公之古學、旁及那波翁之性理、切磋文辭于東西、屢試倚鞍而待之捷、又修家學之武備、大研精和漢之兵略、特致意于水戰術、數十年于玆、先生之業、可謂博學而篤志者也、向(豪)卒然問蟇目射術者、先生曰、蟇目者無稽之言哉、
新字:先生初専志于著述、自経学文章、至兎園士苴、以十数焉、或請梓行于世、先生笑曰、惟此輯録実備遺忘耳、何為問于大方耶、蓋其意有所竣云、後罹天明戊申之災、著書皆烏有焉、生徒深惜之、然而先生不以為意、曰、祝融有意、適蔵吾拙也矣爾来不屑以詩文成名、幡然改轍、唯武備是講、遂以兵法鼓篋士大夫、其名籍々起矣、先生為人、義気慷慨、窮而益堅、老而益壮、可謂確乎大丈夫也、余蒙先生之橐鑰、三十年于玆、而未能涓滴報其顧眄、常以為愧矣、今也教諭之一端、啓蒙之義成、先生不謀諸世之聞人、特命叙于余、余雖不文無損益先生之才名、因是以録顧眄万分之一、不亦宜乎、乃不辞而執筆、纔記刻成之日月、云爾、文化三年丙寅春二月朔藤原則徳撰武学啓蒙序伝曰、有文事者、必有武備也、故礼以一張一弛称焉、及至晩近、世衰道微、執一廃百、比々皆是也、独吾力先生能得兼備云、先生為人、亮直誠至、初受伏原公之古学、旁及那波翁之性理、切磋文辞于東西、屡試倚鞍而待之捷、又修家学之武備、大研精和漢之兵略、特致意于水戦術、数十年于玆、先生之業、可謂博学而篤志者也、向(豪)卒然問蟇目射術者、先生曰、蟇目者無稽之言哉、
書き下し
先生、初め専ら著述に志し、経学・文章より兎園士苴に至るまで、十数を以てす。或ひと世に梓行せんことを請ふ。先生笑ひて曰く、「惟だ此の輯録は実に遺忘に備ふるのみ。何為れぞ大方に問はんや」と。蓋し其の意に竣つ所有りと云ふ。後、天明戊申の災に罹り、著書皆烏有となる。生徒深く之を惜しむ。然れども先生は意と為さず、曰く、「祝融意有り、適ゝ吾が拙を蔵すなり」と。爾来、詩文を以て名を成すを屑しとせず、幡然として轍を改め、唯だ武備を是れ講じ、遂に兵法を以て士大夫に鼓篋せしむ。其の名籍々として起こる。先生の人と為り、義気慷慨、窮して益ゝ堅く、老いて益ゝ壮んなり。確乎たる大丈夫と謂ふべきなり。余、先生の橐鑰を蒙ること三十年、玆に、未だ涓滴も其の顧眄に報ゆること能はず、常に以て愧と為す。今や教諭の一端、啓蒙の義成る。先生、諸を世の聞人に謀らず、特に命じて余に叙せしむ。余、不文なりと雖も、先生の才名を損益すること無し。是に因りて以て顧眄の万分の一を録するは、亦宜ならずや。乃ち辞せずして筆を執り、纔かに刻成の日月を記すと、爾か云ふ。文化三年丙寅春二月朔、藤原則徳撰す。武学啓蒙序。伝に曰く、「文事有る者は、必ず武備有り」と。故に礼は一張一弛を以て称せらる。晩近に及びて、世衰へ道微へ、一を執りて百を廃すること、比々として皆是れなり。独り吾が力先生のみ能く兼備を得たりと云ふ。先生の人と為り、亮直誠至、初め伏原公の古学を受け、旁ら那波翁の性理に及び、文辞を東西に切磋し、屡ゝ鞍に倚りて捷を待つを試む。又家学の武備を修め、大いに和漢の兵略を研精し、特に水戦術に意を致すこと、数十年玆に。先生の業は、博学にして篤志なる者と謂ふべきなり。向に(豪)卒然として蟇目の射術を問ふ。先生曰く、「蟇目は無稽の言なるかな」と。
現代語訳
先生は初め、もっぱら著述に志し、経学・文章から『兎園士苴』に至るまで、十数種に及びました。ある人が世に出版することを願いました。先生は笑って言いました。「この輯録は、ただ忘れたときの備えにするだけのものです。どうして大方の人に問う必要がありましょう」と。思うにその意には、見通していたところがあったのだといいます。後に天明戊申の災いに遭い、著書はことごとく焼けてなくなりました。門人たちは深くこれを惜しみました。しかし先生は気にせず、言いました。「祝融(火の神)に意があって、ちょうど私の拙いものを隠してくれたのだ」と。それ以来、詩文で名を成すことをよしとせず、にわかに方向を改め、ただ武備のみを講じ、ついに兵法を士大夫に教えるようになり、その名声は盛んに起こりました。先生の人柄は、義気に富んで激しく、窮してますます堅く、老いてますます盛んで、まことに確かな大丈夫というべきです。私は先生の導きを受けて三十年になりますが、いまだわずかばかりもそのお引き立てに報いることができず、常に恥じています。今、教えのひとつとして、『啓蒙』の義が成りました。先生はこれを世の有名人に相談せず、特に命じて私に序を書かせました。私は文才がありませんが、先生の才名を損なうことも増やすこともありません。これによって、お引き立ての万分の一を記すのは、またふさわしいことではないでしょうか。そこで辞退せずに筆を執り、ただ刊行の成った年月を記すだけだと、そう申します。文化三年丙寅、春二月朔日、藤原則徳が撰しました。『武学啓蒙』序。伝に言います。「文事のある者には、必ず武備がある」と。ゆえに礼は一張一弛(張ることと緩めること)によって称えられます。近ごろになって、世が衰え道が微かになり、一つに執着して百を捨てることが、どこにも見られます。ただ我が力先生だけが兼ね備えることができたといいます。先生の人柄は、潔く正直で誠が至り、初め伏原公の古学を受け、傍ら那波翁の性理に及び、文辞を東西で磨き合い、しばしば鞍に寄りかかって捷報を待つ試みもしました。また家学の武備を修め、大いに和漢の兵略を研き、特に水戦術に意を注ぐこと数十年に及びます。先生の業は、博学で志の篤い者というべきです。先ごろ(豪)が突然、蟇目の射術について尋ねました。先生は言いました。「蟇目は根拠のない言葉である」と。
解説

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