武道初心集 / 忠死三
女中集を致し。其外琴ひき三線ひき。舞子踊子など申す類ひの者迄をも拘へ集め。時折節の氣延氣晴しには。無て叶ひ不申と誘めまゐらするに付。元來不足に生れ付被成たる主君の義は申に及ばず。才智發明なる御生れ付にても。色の道には迷ひ易きを以て。頓て御分別相違あられ。其戲れを面白きと思召付ては止事なく。次第に物ごく成り。後々は晝夜の界もなく。亂舞の跡は必酒宴と申樣に成行。ひたすら奧ばいりのみ被成に付。表向家中の用事。領內の仕置をば。悉皆餘所事の樣に思召。御心に染ず外の家老年寄などの。御前へ罷出度と申すをばいやがり被成。萬づの義を。件の壹人を以て。埒を明け被成に付。其者の威勢は日々に盛になり外の家老年寄は。有無の樣子に成り。肩身を窄めて閉口仕り。萬端に付。宜しからぬ家風と成行候。四ッには。右の樣子なれば。人の知らぬ內證にて費の物入多く。償ひの致し方無之に付ては。前代の仕置に背きたる。新法の簡略を仕出し。爰にせこを入。彼所にさつとを込め。家中へ渡すべき物をも渡さず。下の諸人大きに痛み苦しみ。迷惑仕る勘辨は毛頭無之。
新字:女中集を致し。其外琴ひき三線ひき。舞子踊子など申す類ひの者迄をも拘へ集め。時折節の気延気晴しには。無て叶ひ不申と誘めまゐらするに付。元来不足に生れ付被成たる主君の義は申に及ばず。才智発明なる御生れ付にても。色の道には迷ひ易きを以て。頓て御分別相違あられ。其戯れを面白きと思召付ては止事なく。次第に物ごく成り。後々は昼夜の界もなく。乱舞の跡は必酒宴と申様に成行。ひたすら奥ばいりのみ被成に付。表向家中の用事。領内の仕置をば。悉皆余所事の様に思召。御心に染ず外の家老年寄などの。御前へ罷出度と申すをばいやがり被成。万づの義を。件の壱人を以て。埒を明け被成に付。其者の威勢は日々に盛になり外の家老年寄は。有無の様子に成り。肩身を窄めて閉口仕り。万端に付。宜しからぬ家風と成行候。四ッには。右の様子なれば。人の知らぬ内証にて費の物入多く。償ひの致し方無之に付ては。前代の仕置に背きたる。新法の簡略を仕出し。爰にせこを入。彼所にさつとを込め。家中へ渡すべき物をも渡さず。下の諸人大きに痛み苦しみ。迷惑仕る勘弁は毛頭無之。
書き下し
女中集を致し。其外琴ひき三線ひき。舞子踊子など申す類ひの者迄をも拘へ集め。時折節の氣延氣晴しには。無て叶ひ不申と誘めまゐらするに付。元來不足に生れ付被成たる主君の義は申に及ばず。才智發明なる御生れ付にても。色の道には迷ひ易きを以て。頓て御分別相違あられ。其戲れを面白きと思召付ては止事なく。次第に物ごく成り。後々は晝夜の界もなく。亂舞の跡は必酒宴と申樣に成行。ひたすら奧ばいりのみ被成に付。表向家中の用事。領內の仕置をば。悉皆餘所事の樣に思召。御心に染ず外の家老年寄などの。御前へ罷出度と申すをばいやがり被成。萬づの義を。件の壹人を以て。埒を明け被成に付。其者の威勢は日々に盛になり外の家老年寄は。有無の樣子に成り。肩身を窄めて閉口仕り。萬端に付。宜しからぬ家風と成行候。四ッには。右の樣子なれば。人の知らぬ內證にて費の物入多く。償ひの致し方無之に付ては。前代の仕置に背きたる。新法の簡略を仕出し。爰にせこを入。彼所にさつとを込め。家中へ渡すべき物をも渡さず。下の諸人大きに痛み苦しみ。迷惑仕る勘辨は毛頭無之。
現代語訳
女中を大勢集め、そのほか琴弾き・三味線弾き、舞子・踊子などの類まで抱え集め、折々の気晴らしには、なくてはならないものだと誘い申し上げるので、もともと不足なく生まれついておられる主君はもちろん、才知が優れた生まれつきの方でも、色の道には迷いやすいものですから、やがて分別が狂ってしまわれ、その戯れを面白いとお思いつきになっては、やむことなく、次第に物に溺れ、後々は昼夜の区別もなく、乱舞のあとは必ず酒宴という具合になり、ひたすら奥入りばかりなさるので、表向きの家中の用事や領内の仕置を、すべて他人事のようにお思いになり、心に染まず、他の家老や年寄が御前へ出たいと申すのも嫌がられ、万事を、さきの一人だけで片づけなさるために、その者の威勢は日々に盛んになり、他の家老や年寄は有るか無きかの様子になり、肩身をすぼめて口を閉ざし、万事につけて、よくない家風になっていきます。四つには、そのような様子ですので、人の知らない内証で費用がかさみ、償う方法もないため、前代の仕置に背いた新法の簡略を始め、ここへ「せこ」を入れ、あそこへ「さっと」を込め、家中に渡すべきものも渡さず、下の人々が大いに痛み苦しんで迷惑するということは、少しも考えません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』忠死(四)主君の御事は。被成度まゝの費侈りを被成候故。家中大小の諸奉公人。口に出してこそ言はね。心には各不足を抱さ。誰壹人身に染て。忠義を勵む者も無之ものに候。五つには。大名たるもの。弓矢の道を不沙汰可被成樣とては無之候得共。件の壹人武道不心掛にて。かゝる芽出度靜謐の御代には。武備の吟味穿鑿には不可及と申すに付。元來不嗜なる家中の諸人。それを好事に致して。武藝を務めず。武具兵具の用意も致さず。何事も只當座の間さへ合ばよきぞと申す家風なれば。其御先祖に。世に聞えある名將のをはしましたる家柄の樣には少しも無之。只明日にも事の變有之に於ては。大きに狼狽騷ぎたるばかりにて。事の埒は一つも明兼可申と。覺束なき次第に候。六つには主君の御事。遊興酒色に長じ被成に付。次第に御氣隨もつのり。剩へ病身にまで御成候へば。家中の諸士氣を屆し。心のまめしげなく。一日暮しの樣子なれば。世間の取沙汰。上の思召不可然。畢竟のつまり。主君の御身上にも相障り可申か。然れば大きなる物怪也。其根取を仕る件の壹人は。當家の惡魔。主君の怨敵と申て。
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『武道初心集』忠死(二)二つには。其家の家老年寄。其外近習の士の中に於て。主君の御氣に入。外には並ぶ者もなく。出頭致す士の心に入かはり。主人の心を惑はし。非義非道の行ひをさせ申す類ひに候。扨右出頭の士主君の心を惑はし候に。大躰六つの品有之候。一つには主君の御耳目を塞ぐ分別を仕り。己が同役同職たり共。外々の者は存寄を申事ならず。たとひ申ても。御用ひ不被成樣に致し成し。其家の大事小事共に。己一人して申承るに付。主君には此者なくてはと。思召樣に仕なすものに候。二つには。近習徘徊の士の中に。少しは志も有之。主君の御爲にも可罷成と見ゆる物をば。左右に事を寄せて。役儀を改め。御側を遠ざけ。己が由緒有もの。又は手前へ心を寄せ。追從輕薄を致し。我が申付る義を。いやと言ぬ者のみ取持て。近習の役人となし置。己が身の奢り。私を致す義を。主君の御耳へ入ぬ樣にと分別仕り候。三ッには。主君の御心を盪かし。且は內緣の爲にもと存ずるを以て。兎角御子孫御相續に增たる義無御座と申立。何者の娘子供といふ吟味もなく。美目貌さへよくはと申して。
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『武道初心集』假威竊威(三)其物の我儘依怙最屓。內證の榮耀の程。御存じあるべき樣も無之。何もかも其者の致す義をば。宜しきとばかり思召。御油斷の上に於て。大きなる御難義にも及び。且は人をよく御存じなきは。主君大將の御人柄には似合不申と。世の謗りも必定に候。其上彼者は。主君の御耳目をさへ恐れ憚らぬ心からは。ましてや諸傍輩の氣をかね。おもはくを憚る義とては曾て無之。小役人共を愛付け。たとへば我が知る人近付の許へ付屆けを致すにも。主人の物入に致し遣はし。其向より返禮に來る音物をば。我が手前へとり込。其外來客を饗應とても。主君の御臺所より。酒の肴の茶の菓子のと申して持運ばせ。主の物は我が物。我が物は我が物と申す如くの仕形なれば。畢竟は主君の御勝手の弱りともなり。是亦御損の一つに候。右の次第を能々了簡致し。主君の御念比ふかく。御目をかけ被成に付ては。猶々我が身を謙り。心の驕りを抑へ愼しみ。兎にも角にも主君の御威光の耀く樣に仕る義肝要に候。忠臣は君有る事を知て。身有る事を知らず。とやらん申す古語も有之由に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』假威竊威(二)巳に其御用も足り候節は。そろ〱御取返し不被成しては不叶候處に。御心永くいつまでも便々と借置被成候から事起りて。後々は取返し惡き樣に罷成り。つまりは借取に値ひ被成候。是を名付て家來に威を盜まるゝと申候。是は主君の御身にとりて。大きなる御恥辱と申すばかりにも無之。數々の御損も有之事に候。家來に威勢が付過ぎ候へば。おのづから主君の御威光は薄くなり。何もかも家來次第の樣に罷成。あの人さへ能呑込て合點なれば。御上の儀は事濟み埒明くと心得。一家中の諸士。其物の機嫌を取事を肝要と仕り。主君の御事をば。假令の樣に存ずるを以て。主從の親しみも離れ。自然と家中に忠義の武士の出來可申樣も無之。萬一事の變到來の節。好人に事を欠なされ候。扨外樣向の士は申すに及ばず。主君の側近く奉公致し。或はおとなしき役義を勤むる士までも彼壹人の權威に抑れ。すくみかへりて罷在仕合なれば。是は御爲宜しからずと心付たる事とても。一言申出す事罷りならず。或は心底に悔み。扨は心安き友傍輩と。喞きつぶやき候へ共。誰有て進み出。主君の御聞に達し候者無之故。
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『武道初心集』儉畜(一)奉公仕る武士は。大身小身に限らず。常に儉約を用ゐて。隨分勝手をすり切不申分別尤に候。但し知行高を取武士の義は。たとひ一度勝手をすり切候ても。早く思案を致しかへて。爰をつめ彼所をちゞめ。諸事に氣を付て簡畧をさへ致候へば。程なく勝手を取直し申義も罷成候は。身上に餘計あるを以ての義に候。小身にて大身の眞似を致し。無用の義に物を入れ。勝手を仕損じ候ては。身上の餘計無之に付。萬事跡ひけになり。何程簡略致し候ても補ひ兼。後々は跡へも先へも行兼る。大すり切と罷成るは必定に候。人々勝手に成るぞ成らぬぞとは申すは內證の義にて。奉公を致す身には。傍輩一列の格合有之。止事を得ざる物入もなくては叶はず。左樣の刻み爲方なければ。種々の才覺手段に及び。云まじき事をもいひ。仕間敷事をも仕りて。生れも付ざる不律義もの。大はつ者の名取を仕るも。畢竟不勝手より起る過失に候。爰を以て前かたより其覺悟を定め。
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『武道初心集』聚歛(一)奉公仕る武士。御勝手向に懸りたる諸役の義は。いかにも難義なるものに候。子細を申すに。其家中大小の奉公人を初め。城下の町人。鄕村の百姓に至るまで。迷惑不仕して。主君の御爲に罷成やう取まかなひ候は。大方の智慧才覺にては難成事に候。一筋に主君の御爲と存ずる時は。下の諸人の難義迷惑と成り。又下つ方の悅ぶ樣にばかり仕候ては。上の御勝手に惡く相成り。何れぞ一方へ障り出來申ものに候。其上いか程利根才覺に生れ付たる武士の心にも。貪欲と申す病氣は付安きものなるゆへ。主君の御勝手向を取まかなひ。諸人の用ひに預り。金銀のやりくりも自由になり候へは。頓て奢り生じ。身のはゞも致し度相成るに付。工夫をめぐらし。主君の物をとり込。分に過たる家普請道具集め。振廻數寄などを仕る。是を名付て盜臣と申候。扨又主君の御爲と申て。前代の仕置の筋に違ひたる新法の簡略を仕出して。家中の難儀迷惑と罷成勘辨もなく。
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