武道初心集 / 有司一
白無垢の小袖と役人とは。新らしき內がよきと申習はし候は。輕き世話ながらも。一段尤の事と存候。子細は白小袖の新らしき內は。隨分暉麗なる者にて候得共。久しく着用致す時は。襟廻り袖口の邊よりよごれ初めて。程なく鼠色の如くなりては。見苦しく手むさき物にて候。儲又事に懸り候役人の義も。新役人の內は。萬づうひ々敷。主君の仰付の趣を。大切に守り詰て。假初の義をも大事と存じ。就中其役儀に付ての誓詞罰文の趣を心に懸て。違背致さぬ樣にと恐れ愼しみ候故。諸事の勤め方殘る所無之候。去るに依て。無欲正直なる好役人かなと。家中一同の譽事に逢ひ候者も。其役儀を久しく勤めて萬づ合點するに隨ひ。うかべ功者に成り。新役人の時無之不調法をも致し候。それのみならず。新役の時は。人より贈る音物をば。誓詞の旨に任せて手際よく返し。もし不受して叶はざる子細あれば受納致して。後日に相當の返禮を致すなど。扨も潔よき仕方かなと申す內。いつの程よりか分別相違仕り。今此役義勤る內。少しなりとも握りためんといふ欲心起るといへ共。今まで音物は受ぬとて。手際よく返したるうへには。今更受納致しがたきといふ底意は。色にもあらはれ。言葉の端にも聞ゆるを以て。人も賢くて底意を悟り。表向は拂はぬふりにて。
新字:白無垢の小袖と役人とは。新らしき内がよきと申習はし候は。軽き世話ながらも。一段尤の事と存候。子細は白小袖の新らしき内は。随分暉麗なる者にて候得共。久しく着用致す時は。襟廻り袖口の辺よりよごれ初めて。程なく鼠色の如くなりては。見苦しく手むさき物にて候。儲又事に懸り候役人の義も。新役人の内は。万づうひ々敷。主君の仰付の趣を。大切に守り詰て。仮初の義をも大事と存じ。就中其役儀に付ての誓詞罰文の趣を心に懸て。違背致さぬ様にと恐れ慎しみ候故。諸事の勤め方残る所無之候。去るに依て。無欲正直なる好役人かなと。家中一同の誉事に逢ひ候者も。其役儀を久しく勤めて万づ合点するに随ひ。うかべ功者に成り。新役人の時無之不調法をも致し候。それのみならず。新役の時は。人より贈る音物をば。誓詞の旨に任せて手際よく返し。もし不受して叶はざる子細あれば受納致して。後日に相当の返礼を致すなど。扨も潔よき仕方かなと申す内。いつの程よりか分別相違仕り。今此役義勤る内。少しなりとも握りためんといふ欲心起るといへ共。今まで音物は受ぬとて。手際よく返したるうへには。今更受納致しがたきといふ底意は。色にもあらはれ。言葉の端にも聞ゆるを以て。人も賢くて底意を悟り。表向は払はぬふりにて。
書き下し
白無垢の小袖と役人とは。新らしき內がよきと申習はし候は。輕き世話ながらも。一段尤の事と存候。子細は白小袖の新らしき內は。隨分暉麗なる者にて候得共。久しく着用致す時は。襟廻り袖口の邊よりよごれ初めて。程なく鼠色の如くなりては。見苦しく手むさき物にて候。儲又事に懸り候役人の義も。新役人の內は。萬づうひ々敷。主君の仰付の趣を。大切に守り詰て。假初の義をも大事と存じ。就中其役儀に付ての誓詞罰文の趣を心に懸て。違背致さぬ樣にと恐れ愼しみ候故。諸事の勤め方殘る所無之候。去るに依て。無欲正直なる好役人かなと。家中一同の譽事に逢ひ候者も。其役儀を久しく勤めて萬づ合點するに隨ひ。うかべ功者に成り。新役人の時無之不調法をも致し候。それのみならず。新役の時は。人より贈る音物をば。誓詞の旨に任せて手際よく返し。もし不受して叶はざる子細あれば受納致して。後日に相當の返禮を致すなど。扨も潔よき仕方かなと申す內。いつの程よりか分別相違仕り。今此役義勤る內。少しなりとも握りためんといふ欲心起るといへ共。今まで音物は受ぬとて。手際よく返したるうへには。今更受納致しがたきといふ底意は。色にもあらはれ。言葉の端にも聞ゆるを以て。人も賢くて底意を悟り。表向は拂はぬふりにて。
現代語訳
白無垢の小袖と役人は、新しいうちがよいと言い習わしているのは、軽い世話事のようでも、まことにもっともなことと存じます。そのわけは、白小袖は新しいうちはたいへん綺麗ですが、長く着ていると襟まわりや袖口のあたりから汚れはじめ、まもなく鼠色のようになって、見苦しく薄汚いものになるからです。事にあずかる役人も同じで、新役人のうちは何ごとも初々しく、主君の仰せつけの趣を大切に守り詰め、かりそめのことも大事と思い、とりわけその役目についての誓詞や罰文の趣旨を心にかけて、違背しないようにと恐れ慎みますから、諸事の勤め方に欠けるところがありません。そのために、無欲で正直な良い役人だと、家中一同から誉められた者でも、その役目を長く勤めてすべて呑み込むにつれ、浮ついた物知りになり、新役のときにはなかった不調法もするようになります。それだけではありません。新役のときは、人から贈られる音物を、誓詞の趣旨のとおりに手際よく返し、受けなければ立ちゆかない事情があるときは受け取って、後日相応の返礼をするなど、まことに潔い仕方だと言われていたのに、いつのまにか分別が違ってきて、今この役目を勤めるうちに、少しでも握り溜めようという欲心が起きても、今まで音物は受けないと手際よく返してきた以上、今さら受け取りにくいという底意は、顔色にも現れ、言葉の端にも聞こえます。人もさとくて、その底意を悟り、表向きは払わぬふりで、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』有司(二)或は內緣に便り。又は種々の手段を以て物を贈れば。いか程も受納を遂げ。其返禮には。上を掠めて。依怙最屓の沙汰に及ぶ外無之候。此よごれ樣と申は。かの白小袖の鼠色になりたるを見るに均しき樣子に候。但し白小袖のよごれ候は。身の垢と。ごみほこりの汚に候得ば。好灰汁を以て洗ひさへ致し候へば。隨分暉麗になり申候。人の心には種々樣々の物が染込。其よごれ深く候に付。只大形に洗ひすゝぎたる分にては。暉麗にはなり兼申候。其上白小袖の義は。年に一度か二度洗ひ候ても事濟み申候。人の心の洗濯と申は。二六時中行住座臥事々物々の上に於て。或はもみあらひ。又はふりすゝぎ。油斷透間なく致し候ても。又其跡からよごれ易く。けがれ易きものにて候。白小袖のすゝぎ洗濯には灰汁に品々習ひ有之候。其ごとく武士の心の洗濯を仕るに付ても。灰汁に習ひ有之候。習ひは何ぞなれば。忠義勇の三つに候。其垢の樣子によりて。忠貞の灰汁にて落す垢も有之節義の灰汁にて落すも有之候。右の如く忠を以てあらひ。義を以てすゝぐといへども。其よごれ強くして落かね候時は。勇猛の灰汁を加へて。力を出し無二無三にもみ洗ひ候て。さつぱりと濯ぎあげ候は。是武士の心のせんだくの至極の秘事に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』出家士(二)いまだ年若き者も妻子を持ち。朝寢晝寢を業と致し。士の常法たる。兵法をさへ學び務めず候からは。ましてや手遠なる。軍法戰法の事は。思ひがけもなくて。一日ぬらりに年月を送る內に。そろ〳〵髭白毛も生ひ出。額口も禿上りて。何樣尤らしき年齡に見ゆるを以て。役ぬけの撰擧に預り。譬へば使番などになり候ても。早當座から行あたり。同役仲間の介抱を以て。何とか相勤め罷在內に。常に無之遠國使など有之時は。俄に胸をつき。旅行の支度にとりまぜて。先輩の口傳を受け。古來の控覺書など借用して。漸々と其塲を勤め候は。幸にして免れたると申すものにて。本道の事とは申されず候。子細を申に。武家の諸役儀大形定り有ものなれば。其身無役の內。連々心にかけ。役義馴れたる功者に參會の序毎には。無益の雜談を相止め。向後の心付にも可罷成と。思ひ寄たる事共をば。幾度も問尋ねて。委細に聞覺え。或は古き控覺書。繪圖等までも借りあつめ寫し置き。勤方の大筋を呑込候得ば。何時何役に成り候ても。務り易き道理に候。其上先輩同役に便りて事を習ひ。介抱に預りて事を濟すも。常式の時の儀に候。萬一世の變に至り候ては。人の介抱引廻しに預る事はならざる事に候間。善くも惡くも我獨分別にて。埒を明るより外は無之候。
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『武道初心集』頭支配番頭支配頭の下に付て。奉公勤る小身の武士。我が頭たる面々の心入。又は組あたりの善惡の義は。其身に引受。能合點致し罷在るに付。我々など若も武士の冥理に叶ひ立身を遂げて。組をも預る仕合にも罷成に於ては。組下の面々を。形の如く勞はり懷けて。主君の御用に相立べし。勿論依怙最屓などは。毛頭も仕るまじき物をと。人々存ずる物に候。然れども其身段々立身致して。番頭支配頭になり上り候へば。前方の心入とは相違致すものにて候。織田家の佐久間。羽柴家の魚住など申す輩。小身の時は。隨分の好武士に候ひしが。大身と成て後。分別相違致して。主君の見かぎりを蒙り。身上亡び候。是等よき先證と存候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』言辭(一)奉公仕る武士。主君より大切の仕もの。放討など仰付らるゝ時は。御家中人多き中に。今度の御用を私へ仰付らるゝ段。武士の冥理に相叶ひ。忝次第に存ずる旨。成程潔よく御請を申上る心得尤に候。然るを生溫き御請に及ぶは。以ての外宜しからず候。子細を申すに。內心には勇氣を勵し。天晴仕すまして御目に懸べきと存じ詰候ても。勝負は時の運によれば討損じ。剩へ返り討に逢事も有之候。何れも後日に至り。諸傍輩の中において善惡の批判有べき事に候。其首尾好ければ。いかさま御請の砌より。仕り乘まじき氣色に見えたるが。能は仕濟したりと申して。もし又仕損じて返り討に逢候時は。右の御請の次第を申出て。中々仕り損ずる樣なる者にては無かりしが。如何致して討損じけるぞと申して。各悔みて惜み申候。扨又少しにても鈍き御請を仕り候時は。たとひ好首尾に致し濟し候ても。
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『武道初心集』絶交奉公仕る武士。傍輩の中に何ぞ子細有て。不通義絶のものも可有之候。然るに主君の仰を以て。其者と同役に罷成候節は。早速其者の方へ罷越。我等義今度貴殿と同役に仰付られ御請に及び候。其許とは日比義絶の義に候得共。既に同役と仰付られ候上は。向後互ひに隔意なく申合せ。御用の相滯り不申候樣に無之てはと存ずる事に候。其許は當役に於て先輩の義にも候へば。諸事御指南頼入存候。但明日にも貴殿我等の內他役に轉じ。同僚を離れ候はゞ。又義絶に及び可申候。それまでの義は。隔意なく申合せ候外無之段申理り。互に心を合せて相勤るは。武士の正義に候。況や日比何の子細無之傍輩と。同役の義ならば。尙更隔意なく申合せずしては叶はず候。然るをやゝもすれば權を爭ひ。或は新役にて諸事不案內なるには。氣をつけ心を添て。首尾好勤めさせべきといふ。おとなしき心はなく。仕落有之を見ては嬉しがり申すなどは。むさきともきたなさとも。兎角の批判に及ばず候。左樣なる心立の武士は。自然の變に臨みては。必定奪ひ首。味方討等。卑怯なる働きをも仕兼ず候。尤耻慎しむべき事に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』出家士(三)就中軍中の使役と申すは。敵の人數の多少。陣取備立の善惡。城の堅固不堅固。或は地形の利不利。合戰勝負の見切までをも。相心得ずしては不叶候。去るに依て。軍使役の儀は古來よりむつかしきものに申し習はし候。然れども使役の義は。たとひ我が物見に相違の儀有之候ても。多分は其身一人の不覺越度にて事濟申候。足輕大將より上の役儀に備り。采拜を取て人數を引廻し候に至ては。味方諸勢の死生に懸り申候。然るに其勘辨なく。なまじひに采拜免許の役儀に高ぶり。諸士の座上を潰し候は沙汰の限り不屆の仕合に候。禪僧のうへにては。平僧の時宗旨の學問に怠り。出世の年臈に至り。頭の禿たる廉を以て。長老和尚に經上り。身に色衣を纏ひ。手に拂子を握り。餘多の大衆を攝得いたすに均しき樣子に候。但し右の賣僧和尚。晴なる法席に臨みて何ぞ不埒有之候得ば。大衆一統の物笑ひとなり。其身一人赤恥をかきて。引込申ばかりの儀にて。大衆へ懸る難義とては少しも無之候。それとは違ひ武家に於て和尚役を務る武士。采拜を振り損じ候時は。味方士卒の身命に懸り。害を爲す事大に候。爰を能々分別仕り。無役にて身の暇有之砌。軍法戰法の修行を極め。采拜所持の職たり共務り乘る儀無之樣。學問修行尤に候。初心の武士心得のため仍如件。
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