武道初心集 / 臣職二
殘し置れずしては叶はず候。去るに依て。常々はさして御入用も無之樣に候得共。大身小身へかけ。數多の士を抱へ置被成。家中多き中には不器量沙汰の限り。或は五體不具なる生れ付。又は心行不足に見ゆる者をも。大目に御覽被成て。父祖の知行を相違なく下し置るゝ事に候。然れば御家來の身にて勘辨致すべきは。日本國中國主城主多き中に。いかなる宿緣ありてか主從の約をなし。似合相應の祿を賜り。譬ば百石と申す少知にても。十年には千石の米高に罷成候を。先祖の代より其身の代まで幾十年ともなく。拜領致し來りたる俵子を積り候はゝ。凡如何程に可相成や。此君恩の深きに報謝し奉らんには。常々の番役供役使役などは。治世の只居り役と申物にて。世並人並の義なれば。押立たる奉公とは申難し。只明日にもすはといふ時。平塲の迫合ならば壹番鎗。敵城を攻るに於ては一番乘。もし味方利を失ひ引退く刻は殿。或は品に寄り敵の射る矢おもてに立塞りて。主君大將の御身代りにも罷立。
新字:残し置れずしては叶はず候。去るに依て。常々はさして御入用も無之様に候得共。大身小身へかけ。数多の士を抱へ置被成。家中多き中には不器量沙汰の限り。或は五体不具なる生れ付。又は心行不足に見ゆる者をも。大目に御覧被成て。父祖の知行を相違なく下し置るゝ事に候。然れば御家来の身にて勘弁致すべきは。日本国中国主城主多き中に。いかなる宿縁ありてか主従の約をなし。似合相応の禄を賜り。譬ば百石と申す少知にても。十年には千石の米高に罷成候を。先祖の代より其身の代まで幾十年ともなく。拝領致し来りたる俵子を積り候はゝ。凡如何程に可相成や。此君恩の深きに報謝し奉らんには。常々の番役供役使役などは。治世の只居り役と申物にて。世並人並の義なれば。押立たる奉公とは申難し。只明日にもすはといふ時。平塲の迫合ならば壱番鎗。敵城を攻るに於ては一番乗。もし味方利を失ひ引退く刻は殿。或は品に寄り敵の射る矢おもてに立塞りて。主君大将の御身代りにも罷立。
書き下し
殘し置れずしては叶はず候。去るに依て。常々はさして御入用も無之樣に候得共。大身小身へかけ。數多の士を抱へ置被成。家中多き中には不器量沙汰の限り。或は五體不具なる生れ付。又は心行不足に見ゆる者をも。大目に御覽被成て。父祖の知行を相違なく下し置るゝ事に候。然れば御家來の身にて勘辨致すべきは。日本國中國主城主多き中に。いかなる宿緣ありてか主從の約をなし。似合相應の祿を賜り。譬ば百石と申す少知にても。十年には千石の米高に罷成候を。先祖の代より其身の代まで幾十年ともなく。拜領致し來りたる俵子を積り候はゝ。凡如何程に可相成や。此君恩の深きに報謝し奉らんには。常々の番役供役使役などは。治世の只居り役と申物にて。世並人並の義なれば。押立たる奉公とは申難し。只明日にもすはといふ時。平塲の迫合ならば壹番鎗。敵城を攻るに於ては一番乘。もし味方利を失ひ引退く刻は殿。或は品に寄り敵の射る矢おもてに立塞りて。主君大將の御身代りにも罷立。
現代語訳
残しておかなくてはなりません。それゆえ、ふだんは特に御入用もないようでありながら、大身・小身にわたって数多くの士を抱えておかれ、家中が多い中には、不器量もはなはだしい者、あるいは五体不具に生まれついた者、または心ばえが足りなく見える者をも、大目に見て、父祖の知行を違えず下されるのです。そうであれば、家来の身として思案すべきは、日本国中に国主・城主が多い中で、どんな宿縁があってか主従の約束を結び、身分相応の禄を賜り、たとえば百石という少ない知行でも十年では千石の米高になるものを、先祖の代からわが代まで何十年となく拝領してきた俵子を積算すれば、およそどれほどになるでしょうか。この君恩の深さに報い奉るには、ふだんの番役・供役・使い役などは、太平の世のただ居るだけの役というもので、世間並み人並みのことですから、目立った奉公とは言いがたいのです。ただ明日にも「すわ」という時、平場の合戦なら一番槍、敵城を攻めるなら一番乗り、もし味方が不利になって引き退くときは殿、あるいは場合によっては敵の射る矢の正面に立ちふさがって、主君・大将の身代わりにもなり、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』臣職(一)主君より恩祿を受。一騎役を勤る士は。此身をも命をも。我物と心得候ては事濟不申候。子細を申すに。武家の奉公人の內に。二段の樣子有之候。身輕き小人中間なんど申類の義は。晝夜共に身の暇なく。手足に骨をば折候へ共。大切の一命は。必主君の御用に立ねばならぬと申す定めは無之に付。合戰迫合の塲所に於て。未練の振舞有之候ても。强ち不屆との詮議も懸り不申候。然れば身ばかりを賣切の奉公人共可申にて候。武士の義はそれとは違ひ。一命を奉る奉公人に候。抑主君はもと變の御役人なれば。萬一世の變有之刻は御身上相應の軍役有之。譬ば十萬石の高にて。馬上百七十騎。弓足輕六十人。鐵砲足輕三百五十人。鎗百五十本。旗二十本。これは公義より定め置るゝ所の軍役に候。外に召連玉ふ人數は。其大將の御器量次第。又思召次第に候。扱右の通相定れる軍役の人數を引つれ。御出陣あられたる跡とても。居城を持かためて。人に取られぬ樣に相守る程の人數をば。
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『武道初心集』奉公(一)奉公を勤る武士。我が頼み奉る主君。何ぞ大きなる御物入さし集ひて。御勝手向ひしと廻りかね。何共可被成樣無之に至りて。常々家中へ下し置るゝ知行切符の內を。いか程づゝ何が年が間。御借川に被成度などゝ有之義もなくては不叶候。其多少によらず。畏りて御請を申上るより初ては。他人の義は申すに及ばず。たとひ女房子供の寄合雜談の中に於ても。是は難義の至り。迷惑の仕合など。言葉の端にも申出すは。武士の本意に非ず候。子細を申すに。昔が今に至るまで。主君の御難義をば家來共が打寄て是を見屆け奉り。家來の難義をば。主君の御力を以て救ひ被下候は。是皆定れる武家の作法に候。頼み奉る主君の御內證御さし詰り。御手づかへ申すに至りては。公界へ懸り。是は大名役にて不被成しては叶はざる義までも。大形はさし止められ。萬事を御勘忍被成候を見奉るに付ては。御家來の身にて。氣の毒にも。口惜しくも存間敷樣とては無之候。但常式の義は成次第とも可申候。只明日にも天下の國端に於て。不慮の騷動有之刻。相定れる軍役を以て。近日彼地へ發向あられ候樣にとの上意下り。すはや其支度あるに及ても。先づ入用のものは金銀に候。然れば其才覺と有ても。何方よりも出所無之。石にて手を詰たると申す喩のごとくにて。跡へも先へも行乘る難義の內に。同刻の大名衆は。用意相調ひ。
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『武道初心集』述懷奉公仕る武士。何事にてもあれ。主君の御爲に對し。一廉ある奉公を仕り。我が心にも。天晴一奉公をば勤めたりと存じ。人も感じ譽るといへ共。主君の御心には左程の事とも思召入られざるにや。又は御心底には感じ思召といへ共。何ぞ外に相障る事も有之やらん。異なる御恩賞もなく。功勞空しく埋るゝに付心底に不足を挾さみ。御情なき事と述懷たらだらにて。身に染ぬ奉公を致す者は。兎角に及ばず。心得違の事に候。戰國の武士の一生の間。幾度といふ事なく軍に立。主君大將の御爲に身命を拋ち。手柄高名を極めたる前に於ては。中々口のさかるゝ義にては無之候。子細は何を申しても治國の奉公と申すは。疊の上を這廻り。互ひに手の甲をさすり。舌先三寸の勝負を爭ふのみの善惡にて。身命をかけそくの働とては。先づは無之事に候。尤忠義の志に於ては。戰國にても治國にても。替る事は無之。勿論奉公する武士の役義に候。それを奇特と有て御賞美可被成も。被成間敷も。其段は主君の御心次第にて。自分は自分の役義を務るとさへ覺悟致し候得ば。事相濟。何にても不足述懷と申義無之道理に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』奉公(二)來る幾日には必ず出馬と申合せ定り候ては。もはや延も縮もならざるに付。不足たらだらながらも出勢なくては不叶候。靜謐の時代には。我も人も能見物と心得市屋町屋を借りふさげ。野にも山にも立わだり。貴賤目晒しの武者押は。形のごとくの晴事なるに。家中の人馬出立共に。諸手に劣りて見苦しき樣子ならば。主君大將の御身に取て。御一生の御恥辱是に過ず。此一大事を以て考へ候時は。家中大小の諸士。新參古參に限らず拜領し罷在知行切符の內。分に相應に差上ずしては叶はず候。然れば物成減少の年限の內は。隨分簡略仕り。人馬をも減し。冬は紙子木綿の衣類。夏は布かたびらを着し。朝夕は黑米飯。糠味噌汁と分別を極め。自身は水を汲薪をさき。妻子に飯饗せ力に稱ふ程は難義苦勞を致し。何卒主君の御用途を整へさせまゐらせ度と一筋に存じ入候は。奉公の本意たるべく候。且又右の通り艱難を仕り罷在年限の內たり共。何ぞ臨時の御用を承り。非常の物入ある事も有べく候。左樣の砌りは。自身の指替。女房の手箱を質物に入ても。其償ひを致し。金銀拜借などを此方よりは願ふべからず候。子細を申すに。たとひ主君の御耳にこそ入らず共。家老年寄中の下墨にも。物成減少にあひたるを下心に含み。武士に似合ざるねだり言を申と思はれては。重ねて口もきかれずとのたしなみに候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』陪從奉公を仕る武士。主君御旅行の御供を致し。泊りへ着候に於ては。其所の者をかたらひ。近所に見ゆる。山林寺宮などを目當にして。東西を問尋ね御本陣より何方に當りて。いか樣の廣き塲所有之。道筋は箇樣とまでをも。日の暮前に何となく見分致し。篤と心得罷在義肝要に候。子細は。夜中急火などの節。主君俄に御立退被成刻。御先に立て。御案内可申上が爲に候。扨又其身歩行にて御供を勤る節は。上り坂にては御先に立。下り坂にては御跡に立心得などは。尤輕き事ながらも。奉公の一つに候。右の如くの義を以て。手懸りと致し思案をめぐらし。迚も奉公を仕る身と罷成からは何がな一奉公もがなと。朝暮油斷なく心掛勵み候は。武士の本意に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』言辭(一)奉公仕る武士。主君より大切の仕もの。放討など仰付らるゝ時は。御家中人多き中に。今度の御用を私へ仰付らるゝ段。武士の冥理に相叶ひ。忝次第に存ずる旨。成程潔よく御請を申上る心得尤に候。然るを生溫き御請に及ぶは。以ての外宜しからず候。子細を申すに。內心には勇氣を勵し。天晴仕すまして御目に懸べきと存じ詰候ても。勝負は時の運によれば討損じ。剩へ返り討に逢事も有之候。何れも後日に至り。諸傍輩の中において善惡の批判有べき事に候。其首尾好ければ。いかさま御請の砌より。仕り乘まじき氣色に見えたるが。能は仕濟したりと申して。もし又仕損じて返り討に逢候時は。右の御請の次第を申出て。中々仕り損ずる樣なる者にては無かりしが。如何致して討損じけるぞと申して。各悔みて惜み申候。扨又少しにても鈍き御請を仕り候時は。たとひ好首尾に致し濟し候ても。
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