武道初心集 / 旅行一
奉公仕る武士旅行の道中に於て。小身者は乘懸馬にも乘らずしては不叶候。然るに於ては。落馬の時の爲。刀脇差の鞘走らざる心得を仕り。大小共にさし堅めて乘べき事に候。去りながら三尺手拭などを以て。刀の柄を蒲團ばりに碇とゆひ付るは。有まじき事に候。持鎗の鞘留を致すとて太き緒繩にて括り留るなども同然。一分の不心懸と申のみにも無之。小荷駄印荷札の書付に。何某家來と記しあれば。主人の家風までも。手淺き樣に見ゆる物にて候。扱又今時道中の習ひにて。馬郎共の相對を以て。馬をかふると申義有之候。向の乘人武士ならば。馬郎の申に任せ。馬より下るゝ躰を見屆け候て後。此方も馬より下り可申候。子細は。馬郎共の言に任せて。此方は馬より下り立たるに。もし向の乘人。馬を替まじきと申す時は。是非替んといふ事もならず。
新字:奉公仕る武士旅行の道中に於て。小身者は乗懸馬にも乗らずしては不叶候。然るに於ては。落馬の時の為。刀脇差の鞘走らざる心得を仕り。大小共にさし堅めて乗べき事に候。去りながら三尺手拭などを以て。刀の柄を蒲団ばりに碇とゆひ付るは。有まじき事に候。持鎗の鞘留を致すとて太き緒縄にて括り留るなども同然。一分の不心懸と申のみにも無之。小荷駄印荷札の書付に。何某家来と記しあれば。主人の家風までも。手浅き様に見ゆる物にて候。扱又今時道中の習ひにて。馬郎共の相対を以て。馬をかふると申義有之候。向の乗人武士ならば。馬郎の申に任せ。馬より下るゝ体を見届け候て後。此方も馬より下り可申候。子細は。馬郎共の言に任せて。此方は馬より下り立たるに。もし向の乗人。馬を替まじきと申す時は。是非替んといふ事もならず。
書き下し
奉公仕る武士旅行の道中に於て。小身者は乘懸馬にも乘らずしては不叶候。然るに於ては。落馬の時の爲。刀脇差の鞘走らざる心得を仕り。大小共にさし堅めて乘べき事に候。去りながら三尺手拭などを以て。刀の柄を蒲團ばりに碇とゆひ付るは。有まじき事に候。持鎗の鞘留を致すとて太き緒繩にて括り留るなども同然。一分の不心懸と申のみにも無之。小荷駄印荷札の書付に。何某家來と記しあれば。主人の家風までも。手淺き樣に見ゆる物にて候。扱又今時道中の習ひにて。馬郎共の相對を以て。馬をかふると申義有之候。向の乘人武士ならば。馬郎の申に任せ。馬より下るゝ躰を見屆け候て後。此方も馬より下り可申候。子細は。馬郎共の言に任せて。此方は馬より下り立たるに。もし向の乘人。馬を替まじきと申す時は。是非替んといふ事もならず。
現代語訳
奉公する武士が旅の道中で、身分の低い者は乗り掛け馬に乗らないわけにはいきません。そうなると、落馬のときのために、刀と脇差の鞘が抜けないよう心得て、大小ともにしっかり差し固めて乗るべきです。とはいえ、三尺の手拭いなどで刀の柄を布団のようにぐるぐると錨のように結びつけるのは、あってはならないことです。持ち槍の鞘止めをするといって、太い緒縄でくくりとめるのも同じことです。これは一人の心がけの不足というだけでなく、小荷駄の印や荷札の書付に「何某の家来」と記してあれば、主人の家風までも浅いものに見えてしまうからです。さてまた、今どきの道中の習いで、馬子たちの間の相談で馬を取り替えるということがあります。向こうの乗り手が武士であれば、馬子の言うに任せ、向こうが馬から下りるのを見届けてから、こちらも馬から下りるべきです。そのわけは、馬子たちの言うに任せてこちらが馬から下り立ったのに、もし向こうの乗り手が馬を替えないと言った場合は、ぜひ替えようということもできず、
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』處變道中の川越舟渡しに於て。大名と大名との出會に。双方の家來口論に及て申つのり。互の方人多く成て。喧嘩に及び候はゞ。其時の樣子次第にて。主人と主人の出入と罷成義可有之。もし双方主人の出入と申すに成ては。落着の所計り難く候。然れば禍は下より起ると心得。主君の御供道中にては。猶以て物を大事にかけ。我身は申すに及ばず。諸傍輩にも氣を付。理不盡の仕形無之樣にと。下々へも能々申付る心得肝要に候。且又江戶において。主君の御供仕りてありき候に。他の大名衆と途中行違ひの時。双方先供の若者共口論を仕出し喧嘩に及ぶ節は。早く氣を付。道具持の手前より主人の御持鎗を受取。御側近く持て罷在。事の成行樣子を見合せ。彌鎭りかね。諸士殘らず拔刀の仕合に及ぶ時は。御駕籠の側へ御馬を牽寄せて。早速召させまいらせ。御鎗の鞘を脫して渡し奉り。其身も拔刀に成て働くと覺悟尤に候。扨又主君御振舞などの御供して參り候節。御座中に於て。不慮の義出來致し。御座敷の體騷動と見及び候に於ては。刀を手に持玄關へ上り。取次の者に出會。某義は誰が家來何某と申ものにて候。何とやらん御座敷の躰。物騷がしく相聞へ候に付。主人の義を無心許存じ。是迄罷上り候旨可申。取次の者の返答には。させる義にては無之候得共。御氣遣の段は御尤に候。其許の御主人樣の御事は。御別條無御座候間。少しも御氣遣無之樣にと。御傍輩中へも御演說被成候へなどゝ可申候。然らば先以大慶仕候。左候はゞ。主人を御呼出。拙者へ御逢せ給り候樣にと申斷り。主君へ御目に掛退出尤に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』陪從奉公を仕る武士。主君御旅行の御供を致し。泊りへ着候に於ては。其所の者をかたらひ。近所に見ゆる。山林寺宮などを目當にして。東西を問尋ね御本陣より何方に當りて。いか樣の廣き塲所有之。道筋は箇樣とまでをも。日の暮前に何となく見分致し。篤と心得罷在義肝要に候。子細は。夜中急火などの節。主君俄に御立退被成刻。御先に立て。御案内可申上が爲に候。扨又其身歩行にて御供を勤る節は。上り坂にては御先に立。下り坂にては御跡に立心得などは。尤輕き事ながらも。奉公の一つに候。右の如くの義を以て。手懸りと致し思案をめぐらし。迚も奉公を仕る身と罷成からは何がな一奉公もがなと。朝暮油斷なく心掛勵み候は。武士の本意に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』旅行(二)然れば折角馬より下り候ても又乘らずしては不叶との遠慮に候。道中徒渡りの川にては。必ず所の川越を雇ひて。越行べき事に候。少しの費を厭ひ。或は水功者を侍みて自分越にいたし。川中にて馬を倒して荷物を水に浸し。或は下人に怪我を致させ候は。大きなる不調法に候。或は道のり近きとて。四日市のりを致し。又は粟津の船に乘る類ひは。無分別の至極に候。子細を申すに。天下の人の往還たる。桑名の船に乘て。風波の難に逢たるには。申譯も相立申候。いはれざる手廻しだてを仕りて。脇道を通り。事の間違ひ有之に於ては。一言の申開きも無之事に候。去るに依て。古人の歌に。ものゝふの。矢橋のわたり。近くとも。いそがばまはれ。瀨田の長はし。个樣の心得は。道中の義のみに限らず。何事に付ても此心持なくては不叶候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』從僕著具小身なる武士は。不慮の變有之刻も。人多く召連候義無之ゆゑ。鎗壹本より外には。持する義成らず候。もし其鎗折損じ候に於ては。持鎗に事を欠は定り事に候。去るに依て。兼て袋鎗の身を支度仕り。柄には竹を仕すげ候てなり共。當用の間に合せ候心掛尤に候。且又少々疵有之候ても。作り丈夫にして。寸の延たる刀を用意して。下人共にさゝせ。若黨には胴丸鉢鐵。小者中間には胸懸。鉢卷。又は鐵笠など。輕き身の圍ひを致して取らせ候は。小身武士の心掛共可申候。扨又太刀打の勝負を遂るには。具足冑の上といふ見合も無之候へば。大方は刀を打折。指替に事を欠事も無くては不叶候。去るに依て。我が指替の刀を若黨にさゝせ。若黨の刀を草履取。又は馬の口取などにさゝせて召連尤に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』謹慎主君の御定紋の付たる御小袖。又は上下など拜領致し候ものは。御紋付の小袖を着用の時は。自分の紋付の上下を着し。御紋付の上下を着し候はゞ。小袖は定めて自分の紋付を着し候心得尤に候。然るに小袖も上下も一様に。御紋付を着し候ては。主君の御親類方に均しき樣子なれば。主君へ對し奉り慮外に候。右拜領の小袖上下。克く成て着用ならぬ時は。御紋所は切拔て燒捨可申候。御紋を汚すまじとの愼しみに候。扨又近所に罷在傍輩の中に。重き病人。又は憂事など有之においては。たとひ其者と心易からぬ挨拶たり共。高笑音曲等堅く相愼しみ。妻子召使などへも其段急度可申付事に候。其者のおもはくばかりにも無之。不遠慮もの不作法者と諸傍輩の下墨を懸ての愼しみに候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』備武(一)奉公を勤る武士は。分限相應に。武具兵具を貯へずしては不叶候。就中其家々の軍法有之。兼々主君より定め置るゝ家中一同の番指物。同じく面々の出子。或は冑の前立。鎗印。袖印。小荷駄印など申す。合印に於ては。油斷なく支度尤に候。其期に臨み俄に支度候ては。日比の油斷も顯はれ。人の下墨も如何に候。合印を疎略に致して。味方討に逢たる者は。討れ損たるべき旨。武家の古法に相見ゑ候。然れば油斷可仕樣としては無之候。たとへば我召仕のものに。人を斬る用が無きとて。刀脇指の身を木竹に致し。尻をからぐる用が無きとて。肌帶をかゝずして罷在樣なる。不心掛者有之ば。其通りに致しては指置がたき道理に候。況や一騎前を勤る武士。似合の祿を受て居ながら軍役の勤めの。成るぞ成らぬぞといふ了簡もなく。如何に靜謐の時代なればとて持ずして叶はざる。武具兵具の用意に不足するは。右に申す刀脇差の身に木竹を用ひ。下帶をかゝぬ若黨仲間には。百双倍も優りたる不心掛者と可申候。
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