武道初心集 / 旅行二
然れば折角馬より下り候ても又乘らずしては不叶との遠慮に候。道中徒渡りの川にては。必ず所の川越を雇ひて。越行べき事に候。少しの費を厭ひ。或は水功者を侍みて自分越にいたし。川中にて馬を倒して荷物を水に浸し。或は下人に怪我を致させ候は。大きなる不調法に候。或は道のり近きとて。四日市のりを致し。又は粟津の船に乘る類ひは。無分別の至極に候。子細を申すに。天下の人の往還たる。桑名の船に乘て。風波の難に逢たるには。申譯も相立申候。いはれざる手廻しだてを仕りて。脇道を通り。事の間違ひ有之に於ては。一言の申開きも無之事に候。去るに依て。古人の歌に。ものゝふの。矢橋のわたり。近くとも。いそがばまはれ。瀨田の長はし。个樣の心得は。道中の義のみに限らず。何事に付ても此心持なくては不叶候。初心の武士心得のため仍如件。
新字:然れば折角馬より下り候ても又乗らずしては不叶との遠慮に候。道中徒渡りの川にては。必ず所の川越を雇ひて。越行べき事に候。少しの費を厭ひ。或は水功者を侍みて自分越にいたし。川中にて馬を倒して荷物を水に浸し。或は下人に怪我を致させ候は。大きなる不調法に候。或は道のり近きとて。四日市のりを致し。又は粟津の船に乗る類ひは。無分別の至極に候。子細を申すに。天下の人の往還たる。桑名の船に乗て。風波の難に逢たるには。申訳も相立申候。いはれざる手廻しだてを仕りて。脇道を通り。事の間違ひ有之に於ては。一言の申開きも無之事に候。去るに依て。古人の歌に。ものゝふの。矢橋のわたり。近くとも。いそがばまはれ。瀨田の長はし。个様の心得は。道中の義のみに限らず。何事に付ても此心持なくては不叶候。初心の武士心得のため仍如件。
書き下し
然れば折角馬より下り候ても又乘らずしては不叶との遠慮に候。道中徒渡りの川にては。必ず所の川越を雇ひて。越行べき事に候。少しの費を厭ひ。或は水功者を侍みて自分越にいたし。川中にて馬を倒して荷物を水に浸し。或は下人に怪我を致させ候は。大きなる不調法に候。或は道のり近きとて。四日市のりを致し。又は粟津の船に乘る類ひは。無分別の至極に候。子細を申すに。天下の人の往還たる。桑名の船に乘て。風波の難に逢たるには。申譯も相立申候。いはれざる手廻しだてを仕りて。脇道を通り。事の間違ひ有之に於ては。一言の申開きも無之事に候。去るに依て。古人の歌に。ものゝふの。矢橋のわたり。近くとも。いそがばまはれ。瀨田の長はし。个樣の心得は。道中の義のみに限らず。何事に付ても此心持なくては不叶候。初心の武士心得のため仍如件。
現代語訳
せっかく馬から下りても、また乗らなければならないという困った立場になります。道中で徒歩で渡る川では、必ずその土地の川越え人を雇って越えるべきです。わずかな費用を惜しみ、あるいは水に慣れた者を頼みにして自分で渡ろうとし、川の中で馬を倒して荷物を水に浸したり、下人に怪我をさせたりするのは、大きな不調法です。あるいは道のりが近いからといって四日市の道を通ったり、粟津の船に乗ったりする類は、この上ない無分別です。そのわけを申しますと、天下の人が往来する桑名の船に乗って風波の難にあったのなら、申し開きも立ちます。いわれのない手回しだてをして脇道を通り、間違いがあったときは、一言の申し開きもできません。そこで古人の歌に、「ものゝふの矢橋のわたり近くとも急がば回れ瀬田の長橋」とあります。このような心得は道中のことだけに限らず、何事についてもこの心持ちがなくてはなりません。初心の武士の心得のために、以上のとおりです。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『武道初心集』旅行(一)奉公仕る武士旅行の道中に於て。小身者は乘懸馬にも乘らずしては不叶候。然るに於ては。落馬の時の爲。刀脇差の鞘走らざる心得を仕り。大小共にさし堅めて乘べき事に候。去りながら三尺手拭などを以て。刀の柄を蒲團ばりに碇とゆひ付るは。有まじき事に候。持鎗の鞘留を致すとて太き緒繩にて括り留るなども同然。一分の不心懸と申のみにも無之。小荷駄印荷札の書付に。何某家來と記しあれば。主人の家風までも。手淺き樣に見ゆる物にて候。扱又今時道中の習ひにて。馬郎共の相對を以て。馬をかふると申義有之候。向の乘人武士ならば。馬郎の申に任せ。馬より下るゝ躰を見屆け候て後。此方も馬より下り可申候。子細は。馬郎共の言に任せて。此方は馬より下り立たるに。もし向の乘人。馬を替まじきと申す時は。是非替んといふ事もならず。
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『武道初心集』處變道中の川越舟渡しに於て。大名と大名との出會に。双方の家來口論に及て申つのり。互の方人多く成て。喧嘩に及び候はゞ。其時の樣子次第にて。主人と主人の出入と罷成義可有之。もし双方主人の出入と申すに成ては。落着の所計り難く候。然れば禍は下より起ると心得。主君の御供道中にては。猶以て物を大事にかけ。我身は申すに及ばず。諸傍輩にも氣を付。理不盡の仕形無之樣にと。下々へも能々申付る心得肝要に候。且又江戶において。主君の御供仕りてありき候に。他の大名衆と途中行違ひの時。双方先供の若者共口論を仕出し喧嘩に及ぶ節は。早く氣を付。道具持の手前より主人の御持鎗を受取。御側近く持て罷在。事の成行樣子を見合せ。彌鎭りかね。諸士殘らず拔刀の仕合に及ぶ時は。御駕籠の側へ御馬を牽寄せて。早速召させまいらせ。御鎗の鞘を脫して渡し奉り。其身も拔刀に成て働くと覺悟尤に候。扨又主君御振舞などの御供して參り候節。御座中に於て。不慮の義出來致し。御座敷の體騷動と見及び候に於ては。刀を手に持玄關へ上り。取次の者に出會。某義は誰が家來何某と申ものにて候。何とやらん御座敷の躰。物騷がしく相聞へ候に付。主人の義を無心許存じ。是迄罷上り候旨可申。取次の者の返答には。させる義にては無之候得共。御氣遣の段は御尤に候。其許の御主人樣の御事は。御別條無御座候間。少しも御氣遣無之樣にと。御傍輩中へも御演說被成候へなどゝ可申候。然らば先以大慶仕候。左候はゞ。主人を御呼出。拙者へ御逢せ給り候樣にと申斷り。主君へ御目に掛退出尤に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』陪從奉公を仕る武士。主君御旅行の御供を致し。泊りへ着候に於ては。其所の者をかたらひ。近所に見ゆる。山林寺宮などを目當にして。東西を問尋ね御本陣より何方に當りて。いか樣の廣き塲所有之。道筋は箇樣とまでをも。日の暮前に何となく見分致し。篤と心得罷在義肝要に候。子細は。夜中急火などの節。主君俄に御立退被成刻。御先に立て。御案内可申上が爲に候。扨又其身歩行にて御供を勤る節は。上り坂にては御先に立。下り坂にては御跡に立心得などは。尤輕き事ながらも。奉公の一つに候。右の如くの義を以て。手懸りと致し思案をめぐらし。迚も奉公を仕る身と罷成からは何がな一奉公もがなと。朝暮油斷なく心掛勵み候は。武士の本意に候。初心の武士心得のため仍如件。
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『武道初心集』懈惰(二)我が宿所よりの道法と日の長短とを考へ計り。交代の時刻より。少し早めに出候樣に心得べく候。迚も出べき勤番所へ。出からかひを仕り。茶を一服。煙草を一ぷくと申てぶらつき。或は女房子供と。一口づゝの雜談に時を移して。宿を遲く出ては俄に狼狽。行違ふ人の見さかひもなき程道を急き。大汗を流して番所へ馳付。寒中にも扇を遣ひながら。ちと不叶用事有りて遲く罷出候などゝ。利口がましく申すなどは。空氣たる事と可申候。武士の勤番と申すは警衛の義なれば。何樣の義たりといふ共。私用を以て遲參に及ぶべき義は無之候。扨又右の心得を以て。我が身はいつとても早く出勤致すといへ共。相手替りの傍輩の遲く出るを待兼。もゝ尻に成りて大欠を仕り。主君の御舘の內には。しばらくも居る事をいやがり。歸りいそぎを仕るも。近頃見苦しきものに候。初心の武士心得のため仍如件。
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