武備和訓 / 卷五・仁義を先に学び沈勇を養う勢源と梅津
一本朝元來義武の國にして、人物天性と猛し、されば、神功皇后より豐臣秀吉公に至りて、外國と鬪ふ事數々ありて、吾國の兵終に敗れず、是武國の驗にあらずや、然るに人文大に開けて仁義荐に行れば、中國といへども恥べきにあらず、爰を以武門の少年最初に仁義の道を學び、次に兵を學ぶ事勿論なるべし、遂に道の本理を悟る事は、壯年にあらずんばかたかるべけれども、假にも道にあらざれば、敎じとの意、又は初一念のはなれがたきは凡情の常なればなり、それ仁義なきの勇武は、猛獸のふるまひに近かるべし、一勝負の道は勇をおさめて、妄りに猛かるべからず、沈勇のものは必勝、浮勇のものは必負べし、むかし富田勢源越前を出て美濃に行けるに、其比常陸國香島の住人梅津と云刀術の達人、濃州にありて刀法を敎へ、我藝に誇り自流の外に兵法はなしと稱し、勢源が來るを聞て仕合せん事を望む、勢源聞て兵法は凶賊を討べきもの也、梅津と勢源双方罪なし、又相憤て勝負すべきの謂なし、素より我刀術未熟也、比ぶべきものにもあらずと云、梅津聞て勢源越前に於て口をばさくとも、我が太刀先にまはらば活ざらん事を怖てかくいふ覽と、彌々廣言に及ぶ、濃州の國主齋藤義龍、勢源が溫寬に荷擔して、吉崎伊豆、武藏淡路と云者、兩人を以、仕合を望る、勢源辭す、已に使者三度に及ぶ、勢源今は不及是非と云て、命に從ひ、撿使を乞ふ、義龍武藤吉崎を以て撿使とし、則吉崎が宅におゐて勝負すべしと定む、梅津は二夜三日身を淸め信心を致す、勢源にも齋を勸る人あり、源曰、我常に心に信を存せり、常に存せざる信を事に望んで求むるとも、何の神か肯ひ給はん、我素より不仁の心を以て人を害せん事をおもわず、再三に辭せん事も武の本意にあらず、只人の望みに應じてやむ事を不得もの也、既に其日に至れば、兩方吉崎が宅に相望む、梅津は數十人の弟子を卒ひ、三尺六寸の木刀を袋に納て持之、
新字:一本朝元来義武の国にして、人物天性と猛し、されば、神功皇后より豊臣秀吉公に至りて、外国と闘ふ事数々ありて、吾国の兵終に敗れず、是武国の験にあらずや、然るに人文大に開けて仁義荐に行れば、中国といへども恥べきにあらず、爰を以武門の少年最初に仁義の道を学び、次に兵を学ぶ事勿論なるべし、遂に道の本理を悟る事は、壮年にあらずんばかたかるべけれども、仮にも道にあらざれば、教じとの意、又は初一念のはなれがたきは凡情の常なればなり、それ仁義なきの勇武は、猛獣のふるまひに近かるべし、一勝負の道は勇をおさめて、妄りに猛かるべからず、沈勇のものは必勝、浮勇のものは必負べし、むかし富田勢源越前を出て美濃に行けるに、其比常陸国香島の住人梅津と云刀術の達人、濃州にありて刀法を教へ、我芸に誇り自流の外に兵法はなしと称し、勢源が来るを聞て仕合せん事を望む、勢源聞て兵法は凶賊を討べきもの也、梅津と勢源双方罪なし、又相憤て勝負すべきの謂なし、素より我刀術未熟也、比ぶべきものにもあらずと云、梅津聞て勢源越前に於て口をばさくとも、我が太刀先にまはらば活ざらん事を怖てかくいふ覧と、弥々広言に及ぶ、濃州の国主斎藤義竜、勢源が温寛に荷担して、吉崎伊豆、武蔵淡路と云者、両人を以、仕合を望る、勢源辞す、已に使者三度に及ぶ、勢源今は不及是非と云て、命に従ひ、撿使を乞ふ、義竜武藤吉崎を以て撿使とし、則吉崎が宅におゐて勝負すべしと定む、梅津は二夜三日身を清め信心を致す、勢源にも斎を勧る人あり、源曰、我常に心に信を存せり、常に存せざる信を事に望んで求むるとも、何の神か肯ひ給はん、我素より不仁の心を以て人を害せん事をおもわず、再三に辞せん事も武の本意にあらず、只人の望みに応じてやむ事を不得もの也、既に其日に至れば、両方吉崎が宅に相望む、梅津は数十人の弟子を卒ひ、三尺六寸の木刀を袋に納て持之、
書き下し
一本朝元來義武の國にして、人物天性と猛し、されば、神功皇后より豐臣秀吉公に至りて、外國と鬪ふ事數々ありて、吾國の兵終に敗れず、是武國の驗にあらずや、然るに人文大に開けて仁義荐に行れば、中國といへども恥べきにあらず、爰を以武門の少年最初に仁義の道を學び、次に兵を學ぶ事勿論なるべし、遂に道の本理を悟る事は、壯年にあらずんばかたかるべけれども、假にも道にあらざれば、敎じとの意、又は初一念のはなれがたきは凡情の常なればなり、それ仁義なきの勇武は、猛獸のふるまひに近かるべし、一勝負の道は勇をおさめて、妄りに猛かるべからず、沈勇のものは必勝、浮勇のものは必負べし、むかし富田勢源越前を出て美濃に行けるに、其比常陸國香島の住人梅津と云刀術の達人、濃州にありて刀法を敎へ、我藝に誇り自流の外に兵法はなしと稱し、勢源が來るを聞て仕合せん事を望む、勢源聞て兵法は凶賊を討べきもの也、梅津と勢源双方罪なし、又相憤て勝負すべきの謂なし、素より我刀術未熟也、比ぶべきものにもあらずと云、梅津聞て勢源越前に於て口をばさくとも、我が太刀先にまはらば活ざらん事を怖てかくいふ覽と、彌々廣言に及ぶ、濃州の國主齋藤義龍、勢源が溫寬に荷擔して、吉崎伊豆、武藏淡路と云者、兩人を以、仕合を望る、勢源辭す、已に使者三度に及ぶ、勢源今は不及是非と云て、命に從ひ、撿使を乞ふ、義龍武藤吉崎を以て撿使とし、則吉崎が宅におゐて勝負すべしと定む、梅津は二夜三日身を淸め信心を致す、勢源にも齋を勸る人あり、源曰、我常に心に信を存せり、常に存せざる信を事に望んで求むるとも、何の神か肯ひ給はん、我素より不仁の心を以て人を害せん事をおもわず、再三に辭せん事も武の本意にあらず、只人の望みに應じてやむ事を不得もの也、既に其日に至れば、兩方吉崎が宅に相望む、梅津は數十人の弟子を卒ひ、三尺六寸の木刀を袋に納て持之、
現代語訳
一つ、わが国はもともと義武の国で、人物は天性猛々しい。だから、神功皇后から豊臣秀吉公に至るまで、外国と戦うことがたびたびあり、わが国の兵はついに敗れませんでした。これは武国の験(しるし)ではないでしょうか。しかし人文が大いに開け、仁義がしきりに行われるようになれば、中国(唐土)であっても恥じることはありません。そのため武門の少年は、最初に仁義の道を学び、次に兵を学ぶのが当然です。ついに道の本理を悟ることは、壮年にならなければ難しいでしょうが、かりそめにも道でないことは教えまいという意図があり、また最初の一念は離れがたいのが凡人の常だからです。そもそも仁義のない勇武は、猛獣の振る舞いに近いのです。一勝負の道は勇を収め、みだりに猛ってはなりません。沈勇の者は必ず勝ち、浮勇の者は必ず負けるでしょう。昔、富田勢源が越前を出て美濃に行ったとき、そのころ常陸国香島の住人で梅津という刀術の達人が美濃にいて刀法を教え、自分の芸に誇って、自流のほかに兵法はないと称し、勢源が来ると聞いて、試合をしたいと望みました。勢源は聞いて、兵法は凶賊を討つためのもので、梅津と勢源はどちらにも罪がなく、憤り合って勝負する理由はない、そもそも自分の刀術は未熟で、比べるほどのものでもない、と言いました。梅津はこれを聞いて、勢源は越前では口を利くが、私の太刀先にかかれば生きられないことを恐れてこう言うのだろう、と、いよいよ広言に及びました。美濃の国主斎藤義龍は、勢源の穏やかで寛容な態度に肩入れし、吉崎伊豆と武藤淡路という二人を使いとして、試合を望みました。勢源は辞退しました。使者はすでに三度に及び、勢源は、今はやむを得ないと言って、命に従い、検使を求めました。義龍は武藤・吉崎を検使とし、吉崎の宅で勝負することと定めました。梅津は二夜三日、身を清め信心を尽くしました。勢源にも斎を勧める人がいましたが、勢源は、私は常に心に信を持っている、常に持たない信を事に臨んで求めても、どんな神が聞き入れるだろうか、私はもとより不仁の心で人を害することを思わない、再三辞退したのも武の本意ではないからで、ただ人の望みに応じてやむを得ずするのだ、と言いました。すでにその日になると、両者は吉崎の宅で向かい合いました。梅津は数十人の弟子を率い、三尺六寸の木刀を袋に納めて持っていました。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
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『武備和訓』・卷五・仁義の勇者は勝負の前に勝っている勢源は自手一尺三寸の木刀を携ふ、梅津撿使へむかいて眞劔を以て勝負せん事を願ふ、撿使勢源にかくと告る、源曰、相手はともかくも、我は木刀を用べしと云により、双方木刀に究りぬ、梅津は大太刀、勢源は小太刀なるに、梅津が風情は偏に獅子奮迅の勢に異ならず、勢源睡猫の新に一鼠を見たるが如く聲をかけて、勝負をなすに、梅津が首朱に成て血衣紋に流る、梅津奮て勢源を打、源笑て梅津が右の腕を强く打て彼が木刀を打おとし踏折之、時に梅津腰刀をぬかんとすれども不叶して仆る、勢源が勢ひ偏に竹を破がごとくなりしと、予が先輩土岐何某、其祖父土岐新右衞門能其勝負を見たりと語るを聞く、愚云、勝負已前に勢源の勝たる事明に知れたり、勢源は仁義の勇者、梅津は暴虎の勇者なり、不仁を以て仁義に敵するにいかんぞ勝べけんや、梅津仁義の勇なきにより、自ら狂じて我慢心を起し勝負を望む、さるによつて本心動じて騷敷により、齋して心をおさめんとす、富田は本心靜なるにより、勝負を苦勞にせず、唯天運に任せり、身伎手足は一心の統る處、刀檜を以撃も刺も皆一心のなせる處也、たとへば本心は三軍の將帥のごとく、手足は士卒のごとし、無法の賊兵といふとも、良將これを司どれば、進退皆規矩にあたる、武藝の奧義、仁義の勇を悟て、心法を鍊ふにあるべし、
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『武備和訓』・卷二・道の大本を立て、利を捨てて学ぶ一武士文武の藝を習ふは、己れが仁義の家業を忘れず、忠孝を失ふまじき爲なれば、道の大本を立て、私の利を舍つべし、多くは道を捨て、利にもとづくにより、師を殺し、君父に乖く如きの人、武門に多し、君父師に背きて、己が身を立るは、禽獸にもあるまじき道なり、誠に小き蟲なれども、蜂にさへ君臣の義あり、主を殺す虫あれば、必ず臣讎を復する事目前也、然れば道をしらずして血勇に誇り、仁義の家業を忘れたるは、蜂にもおとりたれば、禽獸ともいふべからず、まして況や武士をや、武は則義なり、義は武の德なれば、武士を通稱して義士といはんも可ならんか、かならずしも、武士の義あるべき事の、勿論なるを思ふべし、次に智を明にして、善を善とし、惡を惡とし、假令君父師の事跡たりとも、惡を捨て、善を習ふべし、聖人にあらざれば、過なき事あたわず、されば軍術を學ぶとも、先づ仁義王道の兵法を尋聞て、道の大本を察し、其後和軍を習稽ふべし、深く文字に通ぜずとも、王覇の兵論を聞事難しとすべからず、先其大意を聞定て、後に和の軍術を習はゞ、心利貪にかたまる事あるべからず、必ず人少年の時、聞容たる事を是とし、壯年の後に聞事を非とするものなり、必ず心得べし、若心、利にうつり、忠孝にくらくば、長く大勇を曉る事あるべからず、當世には人文過半ひらけて、和げ著す處の書多く、俗に通ずる和漢の記錄ども不少ば、古を鑑として、今を稽へ、かりそめにも義路にあらずんば行べからず、道のくはしき事を知事ならずば、其道ありといふ噂ばかりも聞べし、
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『武備和訓』・卷一・文武は左右の手、武は鞘に収めて威を保つ一武士仁義文武を家業とすると云事は、此仁義の內に諸の事こもれり、本より君臣、父子、禮智信の道は、いふにも及ばざればなり、然るに文武の二ッのものは、たとへば左右の手のごとし、相助ずしては立べからず候、それ文道は、書を讀ざれども、よく行ひの道であたるをもつて、士君子とし、武道は常に勵務めて、用る事なきを以、達德の賢武士とせり、仁義本より文武の二ッなり、仁は文道の花のごとく、義は武道の花のごとし、此二ッをよく治得て、自由するものをもつて、智といへり、右三ッのもの〻、全く備るを以、智仁勇の三德とはいへり、されば寢ても、寤ても、或は食事の時も此仁義の道ははなるべからず候、此道缺たる人をば、祿貴く、爵高くとも、武門とはいひ難く候、然るに文學を好みあまたの書を見るとも、道を行ずして仁化なき人は、文あるとはいふべからず候、又武藝千萬人に秀るとも、血氣にはやり、剽殺を事とする人は、武とは云べからず候、武は內に藏て外に陽さず、則刀劔の鞘にありて、其威の嚴なるがごとし、是其鞘をはづすに至りては、武德の衰へたるにて、勝ても仁義の勇者とせず、武功は亂世にのみありとおもひ、劔は鞘をはづして功を立るものとのみおもふは、大なる僻事なるべく候、亂るゝ時に軍を出し、常に刀劔の鞘をはづす事は、唯やむ事を得ざるにて、智仁勇の心には不可有候、
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『翁問答』下卷之本武篇は忠孝の一色にして、孝忠の心真実なれば、必武篇つよきものなり、此ことわりを弁へぬれば、武篇のたしなみばかり士道にして、仁義を行ふは士道にあらずと云る迷あきらめ易し、その上親にそむき君に謀叛して悪逆をもつばらとして、士の道もたち国も治まりぬる事、むかしも今もそのためしなけれど、仁義の道をすてゝ士の道もたち世も治まりたるなどいへるも片腹いたきことなるべし、さて又仁義の道にそむきて、欲のためにはたらく勇は、むほん人ぬす人にして武篇にあらず、しかるを何の吟味もなく、いかつにたけく腕だてをして人を殺す事を好むを、武篇のたしなみと心得ぬるは、あさましくなげかはしきことなるべし。
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『武備和訓』・卷五・王者の兵を先に学び、義を貫く一兵法を學ばゝ、必王者の兵を尋聞て、其後和軍を習ひ、諸家の事を見聞すべし、それ兵法に王覇の差なくして、道に王覇の別あり、周の武王兵法を用ひ給ひて四海に王たり、齊の桓公其蹤を從ひて兵法を以天下に覇たり、然るに桓公管仲のごときすら、王者の兵を學んで其道を行ふ事あたわず、まして況や、吾國の今道を不論して、みだりに和軍の法を以、少年などの耳に說敎る事あらば、心かならず利にうつりて恐くは義を害すべし、至て性質の美なる人はさもあるまじけれど、十人が九人皆事にふれては遷る心あるもの也、されば本朝は義戰少く、武士かり初の約束はかたくして、不變事金石のごとしなどいへども、亂世にありては、種々樣々の不義無道を行ひて、人の國を押領し、大約を變ずる事あり、其小約は變ずとも道の大義を不失を、大行の義者とはいへり、たとへ權謀をばなすとも、義に與して忠功のためになす謀は、是則王者の兵謀なるべし、武士は必拙きわざをなして一旦の利を貪るべからず、浮雲の富は聖賢の惡む處なり、仁義忠信を盡して道行れず、天運極りていかんともすべきやうなきにおゐては、死を潔ふする程の快き道はあらじ、武士の義に荷擔する事は、節に死んとの嗜なり、その節に死するものは忠孝の二つを盡せばなり、