武備和訓 / 卷五・仁義の勇者は勝負の前に勝っている
勢源は自手一尺三寸の木刀を携ふ、梅津撿使へむかいて眞劔を以て勝負せん事を願ふ、撿使勢源にかくと告る、源曰、相手はともかくも、我は木刀を用べしと云により、双方木刀に究りぬ、梅津は大太刀、勢源は小太刀なるに、梅津が風情は偏に獅子奮迅の勢に異ならず、勢源睡猫の新に一鼠を見たるが如く聲をかけて、勝負をなすに、梅津が首朱に成て血衣紋に流る、梅津奮て勢源を打、源笑て梅津が右の腕を强く打て彼が木刀を打おとし踏折之、時に梅津腰刀をぬかんとすれども不叶して仆る、勢源が勢ひ偏に竹を破がごとくなりしと、予が先輩土岐何某、其祖父土岐新右衞門能其勝負を見たりと語るを聞く、愚云、勝負已前に勢源の勝たる事明に知れたり、勢源は仁義の勇者、梅津は暴虎の勇者なり、不仁を以て仁義に敵するにいかんぞ勝べけんや、梅津仁義の勇なきにより、自ら狂じて我慢心を起し勝負を望む、さるによつて本心動じて騷敷により、齋して心をおさめんとす、富田は本心靜なるにより、勝負を苦勞にせず、唯天運に任せり、身伎手足は一心の統る處、刀檜を以撃も刺も皆一心のなせる處也、たとへば本心は三軍の將帥のごとく、手足は士卒のごとし、無法の賊兵といふとも、良將これを司どれば、進退皆規矩にあたる、武藝の奧義、仁義の勇を悟て、心法を鍊ふにあるべし、
新字:勢源は自手一尺三寸の木刀を携ふ、梅津撿使へむかいて真剣を以て勝負せん事を願ふ、撿使勢源にかくと告る、源曰、相手はともかくも、我は木刀を用べしと云により、双方木刀に究りぬ、梅津は大太刀、勢源は小太刀なるに、梅津が風情は偏に獅子奮迅の勢に異ならず、勢源睡猫の新に一鼠を見たるが如く声をかけて、勝負をなすに、梅津が首朱に成て血衣紋に流る、梅津奮て勢源を打、源笑て梅津が右の腕を強く打て彼が木刀を打おとし踏折之、時に梅津腰刀をぬかんとすれども不叶して仆る、勢源が勢ひ偏に竹を破がごとくなりしと、予が先輩土岐何某、其祖父土岐新右衛門能其勝負を見たりと語るを聞く、愚云、勝負已前に勢源の勝たる事明に知れたり、勢源は仁義の勇者、梅津は暴虎の勇者なり、不仁を以て仁義に敵するにいかんぞ勝べけんや、梅津仁義の勇なきにより、自ら狂じて我慢心を起し勝負を望む、さるによつて本心動じて騷敷により、斎して心をおさめんとす、富田は本心静なるにより、勝負を苦労にせず、唯天運に任せり、身伎手足は一心の統る処、刀檜を以撃も刺も皆一心のなせる処也、たとへば本心は三軍の将帥のごとく、手足は士卒のごとし、無法の賊兵といふとも、良将これを司どれば、進退皆規矩にあたる、武芸の奥義、仁義の勇を悟て、心法を錬ふにあるべし、
書き下し
勢源は自手一尺三寸の木刀を携ふ、梅津撿使へむかいて眞劔を以て勝負せん事を願ふ、撿使勢源にかくと告る、源曰、相手はともかくも、我は木刀を用べしと云により、双方木刀に究りぬ、梅津は大太刀、勢源は小太刀なるに、梅津が風情は偏に獅子奮迅の勢に異ならず、勢源睡猫の新に一鼠を見たるが如く聲をかけて、勝負をなすに、梅津が首朱に成て血衣紋に流る、梅津奮て勢源を打、源笑て梅津が右の腕を强く打て彼が木刀を打おとし踏折之、時に梅津腰刀をぬかんとすれども不叶して仆る、勢源が勢ひ偏に竹を破がごとくなりしと、予が先輩土岐何某、其祖父土岐新右衞門能其勝負を見たりと語るを聞く、愚云、勝負已前に勢源の勝たる事明に知れたり、勢源は仁義の勇者、梅津は暴虎の勇者なり、不仁を以て仁義に敵するにいかんぞ勝べけんや、梅津仁義の勇なきにより、自ら狂じて我慢心を起し勝負を望む、さるによつて本心動じて騷敷により、齋して心をおさめんとす、富田は本心靜なるにより、勝負を苦勞にせず、唯天運に任せり、身伎手足は一心の統る處、刀檜を以撃も刺も皆一心のなせる處也、たとへば本心は三軍の將帥のごとく、手足は士卒のごとし、無法の賊兵といふとも、良將これを司どれば、進退皆規矩にあたる、武藝の奧義、仁義の勇を悟て、心法を鍊ふにあるべし、
現代語訳
勢源は自分で一尺三寸の木刀を携えました。梅津は検使に向かって、真剣で勝負したいと願いました。検使が勢源にそのことを告げると、勢源は、相手のことはともかく、私は木刀を用いる、と言いましたので、双方とも木刀と定まりました。梅津は大太刀、勢源は小太刀でしたが、梅津の様子はまさに獅子奮迅の勢いでした。勢源は、眠っていた猫が新しく一匹の鼠を見たようにして、声をかけて勝負をしたところ、梅津の首は朱に染まり、血が衣の紋に流れました。梅津は奮い立って勢源を打とうとしましたが、勢源は笑って梅津の右腕を強く打って木刀を打ち落とし、踏み折りました。そのとき梅津は腰の刀を抜こうとしましたが叶わず、倒れました。勢源の勢いは、まさに竹を割るようでした、と、私の先輩の土岐某が、その祖父の土岐新右衛門がその勝負をよく見ていたと語るのを聞きました。私が思うに、勝負の前から、勢源が勝つことは明らかでした。勢源は仁義の勇者、梅津は暴虎の勇者です。不仁でもって仁義に敵対して、どうして勝てるでしょうか。梅津は仁義の勇がないので、自ら狂って我慢の心を起こし、勝負を望みました。それで本心が動揺して騒がしいので、斎戒して心を収めようとしました。富田は本心が静かなので、勝負を苦労とせず、ただ天運に任せました。身伎や手足は一心が統べるところで、刀や槍で撃つのも刺すのも、すべて一心のなすところです。たとえば本心は三軍の将帥のようで、手足は士卒のようなものです。無法な賊兵であっても、良い将が司ればその進退はみな規矩に当たります。武芸の奥義は、仁義の勇を悟って心法を練ることにあるでしょう。
解説

人生を、一行の式にしてみた。
志×積×時×憤÷(1+執)+命。古典から導いた式『人生の方程式』と、二十四の悩みに古典が答える『人生の教科書』(PDF)、師導の全機能1か月がセットで700円です。
本の中身を見るこの章句が説くこと
関連する章句
-
『武備和訓』・卷五・仁義を先に学び沈勇を養う(勢源と梅津)一本朝元來義武の國にして、人物天性と猛し、されば、神功皇后より豐臣秀吉公に至りて、外國と鬪ふ事數々ありて、吾國の兵終に敗れず、是武國の驗にあらずや、然るに人文大に開けて仁義荐に行れば、中國といへども恥べきにあらず、爰を以武門の少年最初に仁義の道を學び、次に兵を學ぶ事勿論なるべし、遂に道の本理を悟る事は、壯年にあらずんばかたかるべけれども、假にも道にあらざれば、敎じとの意、又は初一念のはなれがたきは凡情の常なればなり、それ仁義なきの勇武は、猛獸のふるまひに近かるべし、一勝負の道は勇をおさめて、妄りに猛かるべからず、沈勇のものは必勝、浮勇のものは必負べし、むかし富田勢源越前を出て美濃に行けるに、其比常陸國香島の住人梅津と云刀術の達人、濃州にありて刀法を敎へ、我藝に誇り自流の外に兵法はなしと稱し、勢源が來るを聞て仕合せん事を望む、勢源聞て兵法は凶賊を討べきもの也、梅津と勢源双方罪なし、又相憤て勝負すべきの謂なし、素より我刀術未熟也、比ぶべきものにもあらずと云、梅津聞て勢源越前に於て口をばさくとも、我が太刀先にまはらば活ざらん事を怖てかくいふ覽と、彌々廣言に及ぶ、濃州の國主齋藤義龍、勢源が溫寬に荷擔して、吉崎伊豆、武藏淡路と云者、兩人を以、仕合を望る、勢源辭す、已に使者三度に及ぶ、勢源今は不及是非と云て、命に從ひ、撿使を乞ふ、義龍武藤吉崎を以て撿使とし、則吉崎が宅におゐて勝負すべしと定む、梅津は二夜三日身を淸め信心を致す、勢源にも齋を勸る人あり、源曰、我常に心に信を存せり、常に存せざる信を事に望んで求むるとも、何の神か肯ひ給はん、我素より不仁の心を以て人を害せん事をおもわず、再三に辭せん事も武の本意にあらず、只人の望みに應じてやむ事を不得もの也、既に其日に至れば、兩方吉崎が宅に相望む、梅津は數十人の弟子を卒ひ、三尺六寸の木刀を袋に納て持之、
-
『武備和訓』・卷五・破竹の勢い・階上の三人を捕えた機転一勢源の勢ひ竹を破がごとくなりしといひしに付て、其破竹の勢と云によく相叶へる勝負の事跡あり、九州の一城邑におゐて壯勇の武士三人にて五人を討て立退事あり、追手急に進んで已に及んとす、罪士せんかたなく町屋に駈入二階に上る、追手一人續て其家に入すでに二階に上らんとひしめく、其時階上より氷のごとくなる刀長三鋒鼎のごとく組て、階除に望み、上らば寸寸にせんと勇威を奮ふ、追手の壯士屑ともせず、つる〱と階梯四五段上る時、三人の內一人は罪を御免なると云て飛上り、先一人を俘て縛る、二人互に疑いて猶豫處を又一人を縛り、徐にして終に三人を捕得たり、是等は誠に大膽の勇士にして、能兵法の奇を出すに叶へり、是を以破竹の勢といはんも可ならんか、
-
『武備和訓』・卷二・武芸の誇りが招いた災い(下)節短なるが、風に曝れて火色になりたるを、根引にし、長サ四尺八寸に捻切、己が三尺六寸の鞘囊を用竹刀とし、廷上に躍出る、是に續て七人の勇士は、各ゝ木刀を提げて後にしたがふ、芝任枇杷の木刀を八の字のごとくに組み、中央にたてり、淸水芝任が正面にむかへば、其外の七人、周りて八陣の方位のごとくに是を圍み、颯と聲をかくるとひとしく、八方一度に奮迅して打之、淸水四尺の竹刀を苧がらの如くに擧げ、力を揮ひて打之、芝任飛蝶の如くに躍り、左右の二刀をむなしとせず、或は潜りて圍みをぬけ、千變萬化に相闘ふ、淸水竹刀を橫斜に挈、芝任を塀際に追詰、延かけて打けるに、芝任が首の鉢を筋違に、左の肩骨を打碎て、大地に打居ける、劔客大勇力に打れ、立所に息絕たり、執事も興を覺しける所に、一時ばかり後に蘇れり、厥后四五日を經て、遂に逐電せり、古語に、出一言則難追駟馬、口是禍門、舌是斬身刀、深閉口藏舌、身安而所々寧、或一藝に名ある人の歌に、上手とは、外を謗ず、自慢せず、身の及ぬを、恥る人なり、一藝に名ある者は用ひられずと云事なしと、韓退之の云置り、誠の上手名人は、何程自拙しと謙るとも、人必つたなしとせず、遊藝等には興に乘じて自贊すとも、武藝は、言のはびにも誇る事なきを、武道とせり、
-
『武備和訓』・卷一・流派の優劣を争わず鍛錬で勝負が決まる一劔術におゐては流義の勝劣を論ずべからず候、若此優劣を爭ふものは、たとへば甲冑の主意をしらずして鎧はあながちに弓鐵砲刀鎗を防ぐものとのみおもふがごとし、劔術は本小武小藝にして、假令刀劔の威武をおとさじとの敵なれば、己が心の信仰鍊磨の位によりて、勝負は心に備るべし、常に鍛鍊數〱するに、竹刀を用る流義あり、木刀を用る流あり、眞劔刄引を用る者あり、各々其主意ありて流義をたつ、たとへば刄引を用る流義より、竹刀を用て非を責、其虛間をせゝるがごときの事は、眞劔を用て勝負の時は難成もの也といふ、それ程の事を辨へざる疎き武士も又少かるべければ、况や竹刀の流義といふとも、其理をしらざる事はあるべからず、又竹刀の流義よりは、刄引を用てはおもふやうに打闘事ならず、若竹刀のごとく心に任せ力を奮ば立所に打殺すべし、竹刀を用るすら當處によりて絕入事もまゝ有之、其上少年の小腕のごときには、眞劔の刄引用難しと、互に水かけ論に鏡のしあひをなさば、つゞまる處眞劔の勝負を決するより外はなかるべし、是其本、我佛尊しとするより事起れり、武備志に、本朝の眞影流の手法を載て、刀劔の術を以、
-
『文武訓』武訓下一或武人、敵と我、両人戦ふ時のこころをよめる拙き歌あり。身は捨てつ心ばかりははふらさじ人のうごきを待ちてぞ打つべきいふ意は、敵と戦ふに臨まば、身は捨つべし。身をのがれんと思へば、心みだれおそれひるみて、敵に勝つべき力なし。されど、心ひとつは失ふべからず。敵と戦ふ時に、つねの如くにして心を動すべからず。我方よりみだりにかからず、こらへて早くうつべからず、人の動をまちて、其隙を見て早くうつべし。是敵に勝つの道なりといへり。一士となる者、平生は温厚和平にして、いかりをおさへ色をはげしくすべからず。みづから楽み人を愛すべし。されども、常に志をたもち気を養ひて、義理にいさむべし。変にあひては、平生の志を守りて、勇剛を失ふべからず。
-
『武備和訓』・卷一・劔術は小武、本心で芸を使い芸に使われるな和奴(明朝より日本人をさして云言語也)の藝とするといへるを、或儒士是をいぶかりて曰、刀劔の術和奴のみ是を用ると云時は、中華其外の外國、なべて此藝なしといふものに似たり、恐くは是弟氏(武備志の作者)が見る處窄くして、博識ならざるかと難ぜり、愚謂ふに、中華と云とも、刀劔を用て罪ある者を誅する事、吾國に異なるべからず、盖し劔術は本一人を以て一人に捷つの義、大勇の人、さのみ心身を勞すべきには非ず、されば中華の武をいふもの、先づ王道の仁義節制の武を說て、次に覇者の道をいひ、陣法權略をのべて、專ら弓弩巧車火器等の道を說、唯三軍の勝を全ふする事を宗として、相手向ひの小武には泥ずと見へたり、最哉、其國に生れては、我劔術をしらざれば敵も又不知、只勇臆を以勝負に充つ、何ぞ弟氏が見る處せばくして、中華の事をしらずといふべけんや、已に博くしてよく本朝の事を記せり、武人爰を以悟れ、優劣は其人の鍛鍊にありて、流義にあらず、勝負は其人の心にありて、流義によるべからず、常に心を刀劔に置て、危き事を恐れ、威武を心に備ふるを、劔術の本意とせり、本心を以て藝をつかひて、藝の爲につかわるべからず、一劔術何流にもせよ、最初は竹刀を用て手法を傳へ、木刀を用て手先を利し、眞劔の刄引を用て奧義を鍛鍊し、竹刀木刀を用て擊闘すべし、只一ぺんにかたよるべからず候、學習しば〱して鍛鍊功つもる時は、生死の勝負目前に明なるべし、