武備和訓 / 卷二・武芸の誇りが招いた災い上
一士たらん者は、かならず過言を愼むべし、若藝者ならば我が家藝の道には猶更謙退して誇るべからず候、先年宮本武藏(二刀之元祖なり、)が弟子、芝任と云浪人來り、知行四百石にて仕官す、其國の執事何某武藝を好て、己が家禮の若黨數十人、彼が門弟となして、二刀を習しむ、一日執事芝任に謂て云、足下が劔術、尤鍛鍊いふべからず、願くは其奧手とする所を見たしと、芝任が曰、我が藝に八人詰と云事の候、恐くは尋常の者、八人八方より我を圍候とも、容易切拔る術なりと云、執事聞て、究竟の壯士八人を出し、幸足下が門弟なり、是等を敵手にせられよと募る、劔客莞爾として、弱者ども木刀風を見せ候はゞ皆逃散候はんと云、壯士等大に怒りて、今迄は師弟、是より後は寇讐たり、僅の技藝を抱へて大國に來り、吐出す言語こそ有べけれ、唯擊殺せと訇り、髭をなで、腕をさすりて、爭進む、其中に淸水何某とて、其比九州無双の大力あり、三年竹の六寸周ありて、
新字:一士たらん者は、かならず過言を慎むべし、若芸者ならば我が家芸の道には猶更謙退して誇るべからず候、先年宮本武蔵(二刀之元祖なり、)が弟子、芝任と云浪人来り、知行四百石にて仕官す、其国の執事何某武芸を好て、己が家礼の若党数十人、彼が門弟となして、二刀を習しむ、一日執事芝任に謂て云、足下が剣術、尤鍛錬いふべからず、願くは其奥手とする所を見たしと、芝任が曰、我が芸に八人詰と云事の候、恐くは尋常の者、八人八方より我を囲候とも、容易切抜る術なりと云、執事聞て、究竟の壮士八人を出し、幸足下が門弟なり、是等を敵手にせられよと募る、剣客莞爾として、弱者ども木刀風を見せ候はゞ皆逃散候はんと云、壮士等大に怒りて、今迄は師弟、是より後は寇讐たり、僅の技芸を抱へて大国に来り、吐出す言語こそ有べけれ、唯撃殺せと訇り、髭をなで、腕をさすりて、争進む、其中に清水何某とて、其比九州無双の大力あり、三年竹の六寸周ありて、
書き下し
一士たらん者は、かならず過言を愼むべし、若藝者ならば我が家藝の道には猶更謙退して誇るべからず候、先年宮本武藏(二刀之元祖なり、)が弟子、芝任と云浪人來り、知行四百石にて仕官す、其國の執事何某武藝を好て、己が家禮の若黨數十人、彼が門弟となして、二刀を習しむ、一日執事芝任に謂て云、足下が劔術、尤鍛鍊いふべからず、願くは其奧手とする所を見たしと、芝任が曰、我が藝に八人詰と云事の候、恐くは尋常の者、八人八方より我を圍候とも、容易切拔る術なりと云、執事聞て、究竟の壯士八人を出し、幸足下が門弟なり、是等を敵手にせられよと募る、劔客莞爾として、弱者ども木刀風を見せ候はゞ皆逃散候はんと云、壯士等大に怒りて、今迄は師弟、是より後は寇讐たり、僅の技藝を抱へて大國に來り、吐出す言語こそ有べけれ、唯擊殺せと訇り、髭をなで、腕をさすりて、爭進む、其中に淸水何某とて、其比九州無双の大力あり、三年竹の六寸周ありて、
現代語訳
一つ、士たらん者は、必ず過言(言い過ぎ)を慎むべきです。もし芸者であれば、自分の家芸の道にはなおさらへりくだって、誇ってはなりません。先年、宮本武蔵(二刀流の元祖です)の弟子で芝任という浪人が来て、知行四百石で仕官しました。その国の執事の何某は武芸を好み、自分の家来の若党数十人を彼の門弟として二刀を習わせました。ある日、執事が芝任に言いました。あなたの剣術は鍛錬の深さは言うまでもありません。願わくはその奥の手とするところを見たいものです。芝任は言いました。私の芸に八人詰というものがあります。普通の者が八人で八方から私を囲んでも、たやすく切り抜ける術です。執事はこれを聞いて、屈強の壮士八人を出し、幸いあなたの門弟です。これらを相手にしてください、と募りました。剣客はにこやかに、弱い者どもが木刀の風を見せれば皆逃げ散るでしょう、と言いました。壮士たちは大いに怒って、今までは師弟だったが、これから後は敵だ。わずかな技芸を抱えて大国に来て、よくも大言を吐いたものだ。ただ打ち殺せ、と叫び、髭をなで、腕をさすって、争って進みました。その中に清水何某という、そのころ九州無双の大力の者がいて、三年竹の周り六寸で、
解説

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『武備和訓』・卷二・武芸の誇りが招いた災い(下)節短なるが、風に曝れて火色になりたるを、根引にし、長サ四尺八寸に捻切、己が三尺六寸の鞘囊を用竹刀とし、廷上に躍出る、是に續て七人の勇士は、各ゝ木刀を提げて後にしたがふ、芝任枇杷の木刀を八の字のごとくに組み、中央にたてり、淸水芝任が正面にむかへば、其外の七人、周りて八陣の方位のごとくに是を圍み、颯と聲をかくるとひとしく、八方一度に奮迅して打之、淸水四尺の竹刀を苧がらの如くに擧げ、力を揮ひて打之、芝任飛蝶の如くに躍り、左右の二刀をむなしとせず、或は潜りて圍みをぬけ、千變萬化に相闘ふ、淸水竹刀を橫斜に挈、芝任を塀際に追詰、延かけて打けるに、芝任が首の鉢を筋違に、左の肩骨を打碎て、大地に打居ける、劔客大勇力に打れ、立所に息絕たり、執事も興を覺しける所に、一時ばかり後に蘇れり、厥后四五日を經て、遂に逐電せり、古語に、出一言則難追駟馬、口是禍門、舌是斬身刀、深閉口藏舌、身安而所々寧、或一藝に名ある人の歌に、上手とは、外を謗ず、自慢せず、身の及ぬを、恥る人なり、一藝に名ある者は用ひられずと云事なしと、韓退之の云置り、誠の上手名人は、何程自拙しと謙るとも、人必つたなしとせず、遊藝等には興に乘じて自贊すとも、武藝は、言のはびにも誇る事なきを、武道とせり、
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『武備和訓』・卷一・刀は鞘の中に威があり、師を敬う一刀劔術の本意は、鞘の中にある時、威功靈明にして、鞘をはづす事は、威武の德おとろへたるなれば、百たび鞘を發し、百たび利を得るとも、刀術の本意にあらず、乍然血氣の人々は、其主意少ちがふ樣に脇より見ゆるも在之候、必ずつゝしむべし、爰に又往々の劔術者を見るに、師に事へて其藝を精熟し、或は奧義を殘して不傳かと、惑のうたがひを起し、或は己が未熟にして師に不及事を辱ず、却て簒奪の心を逞ふして、終に其師を殺し、自貴からん事を求る者、獨り刀劔の藝に多し、誠に其心禽獸にひとし、聖賢の道には、師は君父とひとしく、三年の喪をうくるといへり、必刀劔の術を習ふ人、其祖師を貴んで手法を習ふとも、心に取捨あらん事肝要成べし、其藝をば貴ぶとも、道に戻る心法をば、かならず貴むべからず、非道の操に少もうつる事あらば、武運に盡ん事必然たるべし、刀劔の術を習ふ事は、靈劔の德をおとさず、義理に死む爲の修行なり、其虎狼の心あらんよりは、習ざらんむかしこそ、ひとり神武の勇なるべけれ、
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『武備和訓』・卷二・力の誇示を戒め、游俠を退ける一右の戒ものがたりにつひていふ事あり、彼淸水氏は、元來寺澤家の浪人なりけるが、後に黑田家の陪臣となれり、或時冑の名鍛、妙珍と云者の家に至り、樣の鍪を乞て見けるに、最上の重鍪を出して淸水に見せけるが、淸水曰此冑の如きは我心にいらず、是は我拳を擧ても能挫くべしと、鍛冶大に詈りて曰、御士の言は鐵石のごとく成べし、其冑拳を以て碎き給はゞ、御望に任せ、價をうけず、妙珍が秘製を用ひ冑を作りて進ずべし、疾ゝ冑を破給へと募る、元來淸水は大兵ならず、面相容貌頗平人に類ひしければ、絕世の强力とはおもひかけざるも理なり、淸水莞爾として、冑を左の掌にのせ、右の人さし指を以壓之に、鐵砲の痕より大に指の形に壓窪めり、其後鍪を碁盤にのせ、拳を擧げて徐に打之けるに、冑ひしげて荷葉の風に破たるごとくになれり、後に細川家に至り、臂力を以食祿五百石に仕官せり、劔術、柔術、其外武藝に聞ゆ、誠に絕代の壯士なり、愚云、淸水力に誇る意あり、冑を碎きたるは血氣の甚きものなり、妙珍が詈る事ありて、後に冑を碎ねば、男夫の道立ぬになりゆきたるは、先の過言ある故なり、游俠は武道にあらず、武士萬人に優る力ありとも、常に隱して人に知られず、忠義にあらざればこれを奮じと覺悟すべし、
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『武備和訓』・卷一・劔術は小武、本心で芸を使い芸に使われるな和奴(明朝より日本人をさして云言語也)の藝とするといへるを、或儒士是をいぶかりて曰、刀劔の術和奴のみ是を用ると云時は、中華其外の外國、なべて此藝なしといふものに似たり、恐くは是弟氏(武備志の作者)が見る處窄くして、博識ならざるかと難ぜり、愚謂ふに、中華と云とも、刀劔を用て罪ある者を誅する事、吾國に異なるべからず、盖し劔術は本一人を以て一人に捷つの義、大勇の人、さのみ心身を勞すべきには非ず、されば中華の武をいふもの、先づ王道の仁義節制の武を說て、次に覇者の道をいひ、陣法權略をのべて、專ら弓弩巧車火器等の道を說、唯三軍の勝を全ふする事を宗として、相手向ひの小武には泥ずと見へたり、最哉、其國に生れては、我劔術をしらざれば敵も又不知、只勇臆を以勝負に充つ、何ぞ弟氏が見る處せばくして、中華の事をしらずといふべけんや、已に博くしてよく本朝の事を記せり、武人爰を以悟れ、優劣は其人の鍛鍊にありて、流義にあらず、勝負は其人の心にありて、流義によるべからず、常に心を刀劔に置て、危き事を恐れ、威武を心に備ふるを、劔術の本意とせり、本心を以て藝をつかひて、藝の爲につかわるべからず、一劔術何流にもせよ、最初は竹刀を用て手法を傳へ、木刀を用て手先を利し、眞劔の刄引を用て奧義を鍛鍊し、竹刀木刀を用て擊闘すべし、只一ぺんにかたよるべからず候、學習しば〱して鍛鍊功つもる時は、生死の勝負目前に明なるべし、
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『武備和訓』・卷五・家老が代官を諭す商人の心と武士一或大國の政事を與聞、二萬石ばかりの地を領する家老なりしが、鄕中の代官一日其執事の許に來りけるに對面して、暑中の談をのべ鄕市の事など尋問けるが、元來內外となく心安かりければ、彼代官謂て云、某鄕に左文字の脇指を持たる商人の候、我日比刀劔の目利に得たれば、我宅に携來て見之候、凡そ代金二百枚ばかりも付候はんと覺候、願くば君是を求玉はんやと云けるを、執事熟々聞て、商人其脇指の價貴きを知侍るや、又重寶とも不知候やと問ふ、代官云、貴き事を不知により、我を賴て豫價の貴賤を知んと欲るにあり、我君に訴ふる事は價高き物を以、卑く求得て參らせんとおもふにありと答ふ、執事頭を振て云、價貴き物を以、賤く得む事をおもふは商人の心なり、武士は定る祿ありて、其祿を以て事を辨ぜり、定る祿ありながら、無祿の商人の財を賤く買んとおもふは、其心はるかに商人に劣りて恥を用る處なし、殊更刀劔の事は、武士の一大事の器也、此劔戟の靈威嚴なるを以武士はたつもの也、貴殿其心を以用る時は、左文字の靈劔も菜刀には劣るべしと云ければ、代官大に恥入て半言を出さず、顏に汗して、退きけり、誠に武士の志か程にきれかはらずしては、其三民に異て國家を治るの器によく耐べけんや、
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『武備和訓』・卷一・流派の優劣を争わず鍛錬で勝負が決まる一劔術におゐては流義の勝劣を論ずべからず候、若此優劣を爭ふものは、たとへば甲冑の主意をしらずして鎧はあながちに弓鐵砲刀鎗を防ぐものとのみおもふがごとし、劔術は本小武小藝にして、假令刀劔の威武をおとさじとの敵なれば、己が心の信仰鍊磨の位によりて、勝負は心に備るべし、常に鍛鍊數〱するに、竹刀を用る流義あり、木刀を用る流あり、眞劔刄引を用る者あり、各々其主意ありて流義をたつ、たとへば刄引を用る流義より、竹刀を用て非を責、其虛間をせゝるがごときの事は、眞劔を用て勝負の時は難成もの也といふ、それ程の事を辨へざる疎き武士も又少かるべければ、况や竹刀の流義といふとも、其理をしらざる事はあるべからず、又竹刀の流義よりは、刄引を用てはおもふやうに打闘事ならず、若竹刀のごとく心に任せ力を奮ば立所に打殺すべし、竹刀を用るすら當處によりて絕入事もまゝ有之、其上少年の小腕のごときには、眞劔の刄引用難しと、互に水かけ論に鏡のしあひをなさば、つゞまる處眞劔の勝負を決するより外はなかるべし、是其本、我佛尊しとするより事起れり、武備志に、本朝の眞影流の手法を載て、刀劔の術を以、