弁名 / 元亨利貞
元者。首也。如元首明哉。勇士不忘喪其元。牛曰一元大武。皆然。以君卽位之年爲元年。亦首之義。而首轉爲始也。乾坤二卦。爲易之頭故曰乾元坤元。以乾與坤爲六十二卦之元也。故大哉乾元。至哉坤元。皆連乾坤以言之。亨利貞則否。可以見已。
新字:元者。首也。如元首明哉。勇士不忘喪其元。牛曰一元大武。皆然。以君即位之年為元年。亦首之義。而首転為始也。乾坤二卦。為易之頭故曰乾元坤元。以乾与坤為六十二卦之元也。故大哉乾元。至哉坤元。皆連乾坤以言之。亨利貞則否。可以見已。
書き下し
元とは首なり。「元首明らかなるかな」、「勇士は其の元を喪ふことを忘れず」、牛を「一元大武」と曰ふが如き、皆然り。君の即位の年を以て元年と為すも、亦た首の義にして、首転じて始と為るなり。乾坤の二卦は、易の頭為り。故に乾元・坤元と曰ふ。乾と坤とを以て六十二卦の元と為すなり。故に「大いなるかな乾元」「至れるかな坤元」と、皆乾坤に連ねて以て之を言ふ。亨利貞は則ち否らず。以て見るべきのみ。
現代語訳
「元」とは首(あたま)である。「元首(君主)が明らかであるなあ」、「勇士は自分の首を失うことを恐れない」、祭祀の牛を「一元大武(頭の大きな、足跡の大きなもの)」というのも、みなそうである。君主が即位した年を元年とするのも首の意味で、首から転じて「始め」の意味になった。乾と坤の二卦は易の頭である。だから乾元・坤元という。乾と坤を残りの六十二卦の元(かしら)とするのである。そこで「大いなるかな乾元」「至れるかな坤元」と、どちらも乾坤に連ねて言う。亨・利・貞にはそういう言い方はない。これを見ればわかる。
解説
「元」の本義を、徂徠は「首」すなわち頭と定める。書経の「元首」、孟子の「其の元を喪ふ」、礼記の「一元大武」と用例を並べ、そこから「始め」の意が派生したことを示す。乾元・坤元とは、乾坤が他の六十二卦の頭であるという意味であり、宇宙の根源的な徳といった抽象ではない。字の具体的な原義から意味の広がりをたどる手つきは、辨名全体に通じる方法である。言葉の原義を押さえると、抽象語に振り回されなくなる。会議で飛び交う「本質」「根幹」といった語も、具体的に何を指すのかを確かめる癖が大切である。
この章句が説くこと
元首乾坤易字義古文辞
関連する章句
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『弁名』元亨利貞元亨利貞とは、卦徳の名なり。諸儒以て天に斯の四徳有りと為す者は謬れり。乾を天と為すが如きも、亦た後人其の象を取ると云ふのみ。其の実は乾は自ら乾、天は自ら天。豈に混ずべけんや。「易に天道有り、人道有り、地道有り」と曰ふが如きも、亦た後人其の象を玩べば、則ち易に三才の道有るを見るのみ。豈に必ずしも天道ならんや。大抵易の書為る、占筮を主とす。故に其の辞を設くること他書と同じからず、之を読むの道も、亦た他書と同じからず。「観る」と曰ひ、「玩ぶ」と曰ひ、「典要と為すべからず」と曰ふ、以て見るべきのみ。故に乾の元亨利貞は当に易を以て之を観るべし。必ずしも天道及び聖人の道を引きて之を解せず。其の之を用ふるに至りては、則ち以て天道と為すも亦た可なり。以て地道と為すも亦た可なり。以て聖人の道と為すも亦た可なり。以て君子の道と為すも亦た可なり。以て庶人の道と為すも亦た可なり。故に「典要と為すべからず」と曰ふなり。
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『弁名』元亨利貞志挫けざれば則ち百事皆成すべし。故に文言に曰く、「貞固以て事を幹するに足る」と。亦た君子の道を以て易を解する者なり。元は或いは首と為し、或いは大と為す。亨は或いは通と為し、或いは聘享と為す。利は或いは以て我其の利を得と為し、或いは以て人を利すと為す。貞は或いは以て変ぜずと為し、或いは以て位に当たると為す。是れ易の典要と為すべからざる、他書と殊なる所以なり。然るに後世の儒者、傅会するに天道を以てし、又た仁義礼智を以て之に配するに至りては、則ち牽強遷就し、文意を成さず。妄も亦た甚だしいかな。
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易経・文言《文言》に曰く、「元」とは、善の長なり。「亨」とは、嘉の會なり。「利」とは、義の和なり。「貞」とは、事の幹なり。君子は仁を體して以て人に長たるに足り、嘉會は以て禮に合するに足り、物を利して以て義を和するに足り、貞固は以て事に幹たるに足る。君子は此の四德を行う者なり、故に曰く「乾、元、亨、利、貞」と。
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『弁名』元亨利貞然らば則ち何をか元と謂ふや。書に曰く、「元首明らかなるかな」と。能く人を知りて之に任ずるを謂ふなり。其の能く善人を知りて之に任ずれば、以て衆善人の長と為るに足る。故に「元とは善の長なり」と曰ふ。然れども善人は知り難し。苟も躬ら民を安んずるの徳あるに非ずんば、則ち之を知る能はず。故に「仁を体すれば以て民に長たるに足る」と曰ふなり。是れ皆義を元に取りて、引きて之を伸べ、類に触れて以て之を長ずる者なり。故に仁を以て元と為す者は非なり。人君の徳は、庶務を知るに在らずして、善人を知るに在り。身ら之を親らするに在らずして、善人に任ずるに在り。是れ知の大なる者なり。故に易伝は皆元を訓じて大と為す。是が為の故なり。
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『弁名』元亨利貞「元とは善の長なり」とは、是れ聖人の道を引きて解を為す。元とは徳の名なり。「一人元良」の如き是れなり。蓋し君人の徳を謂ふなり。亦た首の象なり。君人の徳は、堯の「蕩蕩乎として民能く名づくる無し」の如き、是れ其の至れる者なり。堯の允恭克譲を以て、諸を舜の智に任じ、禹の功に任ずるに比すれば、則ち以て君の徳為る所以の者を見るべし。湯は伊尹を師とす、則ち亦た伊尹に及ばず。武王は周公の多材多芸に及ばず。下る者は則ち桓公は管仲の仁に及ばず、高祖は三傑の能に及ばず。而して皆能く之が君と為る。是れ君人の徳別に之有りて、之を命じて元と曰ふのみ。
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『弁名』元亨利貞故に「務を成す」と曰ひ、「亹亹を成す」と曰ふは、是の謂ひなり。然れども其の人中に存する者渝れば、則ち終に亦た怠るのみ。故に諸卦皆「貞に利し」と曰ふ。変ぜざる者の必ず成るを謂ふなり。「其の徳を恒にせざれば、或いは之に羞を承く」。孔子曰く、「占はざるのみ」と。亦た此の意なり。它の、変を悔と曰ひ、変ぜざるを貞と曰ひ、「貞勝」「貞観」「貞明」「一に貞なり」、及び「君子は貞にして諒ならず」、及び貞女の貞の如き、皆変ぜざるの義なり。又た伝に多く貞を訓じて正と為す者の如きは、本と位の当たるを正と為すを謂ふ。陽は陽位に居り、陰は陰位に居る、是れなり。陽、陰位に居り、陰、陽位に居るは、魚鼈を山に移し、草木を河海に植うるが如く、則ち必ず其の性を失ふのみ。凡そ天下の物、唯だ性は変ずべからず。故に「利貞とは性情なり」と曰ふ。然れども物と位と当たらざれば、必ず其の性を失ふに至る。性を失へば則ち変じ、貞と為すを得ず。是れ貞を訓じて正と為すの義なり。
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