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弁道 / 第十一則

其論聖人。亦謂渾然天理。無一毫人欲之私矣。是亦以一己之見窺聖人者也。傳曰。一張一弛。文武之道也。孔子曰。可以無大過矣。子思曰。雖聖人有所不知不能焉。不爾。堯之用鯀而舜殛之。舜征三苗而禹班師。周公殺管蔡。孔子墮三都而不能克。吾不知其以何解嘲也。孔子不撤薑。以其嗜之也。傳所載。文王嗜昌歜。庸何傷乎。朱子引通神明。豈不傳會之甚乎。大氏聖人之德。與天地相似焉。聖人之道。含容廣大。要在養而成之。先立其大者而小者自至焉。後人追切之見。皆其所識小故也。

新字:其論聖人。亦謂渾然天理。無一毫人欲之私矣。是亦以一己之見窺聖人者也。伝曰。一張一弛。文武之道也。孔子曰。可以無大過矣。子思曰。雖聖人有所不知不能焉。不爾。堯之用鯀而舜殛之。舜征三苗而禹班師。周公殺管蔡。孔子堕三都而不能克。吾不知其以何解嘲也。孔子不撤薑。以其嗜之也。伝所載。文王嗜昌歜。庸何傷乎。朱子引通神明。豈不伝会之甚乎。大氏聖人之徳。与天地相似焉。聖人之道。含容広大。要在養而成之。先立其大者而小者自至焉。後人追切之見。皆其所識小故也。

書き下し

其の聖人を論ずるも、亦た渾然たる天理にして、一毫の人欲の私無しと謂ふ。是れ亦た一己の見を以て聖人を窺ふ者なり。伝に曰く、「一張一弛は文武の道なり」と。孔子曰く、「以て大過無かるべし」と。子思曰く、「聖人と雖も知らざる所、能はざる所有り」と。爾らずんば、堯の鯀を用ひて舜之を殛し、舜三苗を征して禹師を班し、周公管蔡を殺し、孔子三都を堕ちて克くする能はざる、吾其の何を以て嘲りを解くかを知らざるなり。孔子薑を撤せざるは、其の之を嗜むを以てなり。伝に載する所、文王昌歜を嗜む。庸ぞ何ぞ傷まんや。朱子「神明に通ず」を引く、豈に傅会の甚だしきにあらずや。大氐聖人の徳は天地と相似たり。聖人の道は含容広大にして、要は養ひて之を成すに在り。先づ其の大なる者を立てて小なる者自ら至る。後人の迫切の見は、皆其の識る所小なるが故なり。

現代語訳

彼らは聖人を論じても、まったく天理そのものであって、ほんのわずかの人欲の私もないと言う。これもまた自分一人の見方で聖人を窺ったものである。古い伝に「一度張りつめ一度ゆるめるのが文王・武王の道である」とある。孔子は「大きな過ちはなくなるだろう」と言った。子思は「聖人にも知らないこと、できないことがある」と言った。そうでなければ、堯が鯀を用いたのに舜がそれを処罰したこと、舜が三苗を征伐しながら禹が軍を引き揚げたこと、周公が管叔・蔡叔を殺したこと、孔子が三都の城壁を壊そうとして果たせなかったことを、どう弁解するのか私には分からない。孔子が生姜を食膳から下げさせなかったのは、それが好物だったからである。伝に記すところでは、文王は昌歜(菖蒲の漬物)を好んだ。それが何の差し支えがあろうか。朱子が(生姜は)「神明に通じる」という説を引いたのは、こじつけも甚だしいではないか。おおよそ聖人の徳は天地に似ている。聖人の道は広く大きく包み込み、要は養って育て上げることにある。まず大きなものを立てれば小さなものはおのずとついてくる。後世の人の切迫した見方は、みな見ているものが小さいからである。

解説

後半では、聖人を一点の人欲もない完全な天理の体現者とする朱子学の聖人像を崩す。「一張一弛」や「大過無かるべし」を引き、聖人にも知らぬこと、できぬことがあると説く。堯が用いた鯀を舜が罰し、孔子は三都を壊しきれなかった。孔子が生姜を好んだことに朱子が「神明に通ず」と理屈をつけたのを、こじつけと笑う。完璧な人間像を掲げるとかえって人は窮屈になる。リーダーにも好みや失敗があってよく、大きな方向さえ誤らなければよいという見方は、人を楽にする。

この章句が説くこと

聖人天理朱子一張一弛失敗大局

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