晏子春秋 / 外篇下・景公游牛山,少樂,請晏子一願
景公游于牛山,少樂,曰:「請晏子一願。」晏子對曰:「不,嬰何願?」公曰:「晏子一願。」對曰:「臣願有君而見畏,有妻而見歸,有子而可遺。」公曰:「善乎!晏子之願也。載一願。」晏子對曰:「臣願有君而明,有妻而材,家不貧,有良鄰。有君而朋,日順嬰之行;有妻而材,則使嬰不忘;家不貧,則不慍朋友所識;有良鄰,則日見君子,嬰之願也。」公曰:「善乎!晏子之願也。載一願。」晏子對曰:「臣願有君而可輔,有妻而可去,有子而可怒。」公曰:「善乎!」晏子之願也。」
新字:景公游于牛山,少楽,曰:「請晏子一願。」晏子対曰:「不,嬰何願?」公曰:「晏子一願。」対曰:「臣願有君而見畏,有妻而見帰,有子而可遺。」公曰:「善乎!晏子之願也。載一願。」晏子対曰:「臣願有君而明,有妻而材,家不貧,有良鄰。有君而朋,日順嬰之行;有妻而材,則使嬰不忘;家不貧,則不慍朋友所識;有良鄰,則日見君子,嬰之願也。」公曰:「善乎!晏子之願也。載一願。」晏子対曰:「臣願有君而可輔,有妻而可去,有子而可怒。」公曰:「善乎!」晏子之願也。」
書き下し
景公牛山に游び、少しく楽しみ、曰く、「晏子に一願を請う」と。晏子対えて曰く、「不なり、嬰何をか願わん」と。公曰く、「晏子の一願」と。対えて曰く、「臣は願わくは君有りて畏れられ、妻有りて帰せられ、子有りて遺すべきを」と。公曰く、「善いかな、晏子の願いや。一願を載せよ」と。晏子対えて曰く、「臣は願わくは君有りて明に、妻有りて材あり、家貧しからず、良き鄰有らんことを。君有りて朋なれば、日に嬰の行いに順う。妻有りて材あれば、則ち嬰をして忘れざらしむ。家貧しからざれば、則ち朋友の識る所を慍らず。良き鄰有れば、則ち日に君子に見ゆ。嬰の願いなり」と。公曰く、「善いかな、晏子の願いや。一願を載せよ」と。晏子対えて曰く、「臣は願わくは君有りて輔くべく、妻有りて去るべく、子有りて怒るべきを」と。公曰く、「善いかな」と。晏子の願いなり。
現代語訳
景公は牛山に遊び、少し楽しんで言いました。「晏子に願いを一つ聞きたい」。晏子は答えました。「いいえ、私に何の願いがありましょう」。公は言いました。「晏子の願いを一つ」。晏子は答えました。「私は、君主がいて畏れられ、妻がいて頼りにされ、子がいて遺すものがある、そうなることを願います」。公は言いました。「よいな、晏子の願いは。もう一つ願いを重ねてくれ」。晏子は答えました。「私は、君主がいて聡明で、妻がいて才があり、家が貧しくなく、よい隣人がある、そうなることを願います。君主が朋のようであれば、日々私の行いに従ってくださいます。妻に才があれば、私に忘れさせないでくれます。家が貧しくなければ、友人の知る事を恨まずに済みます。よい隣人がいれば、日々君子に会えます。これが私の願いです」。公は言いました。「よいな、晏子の願いは。もう一つ願いを重ねてくれ」。晏子は答えました。「私は、君主がいて補佐できる、妻がいて去らせることができる、子がいて叱ることができる、そうなることを願います」。公は言いました。「よいな」。これが晏子の願いでした。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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史記 三王世家会々昭帝崩じ、宣帝初めて立つ、恩に縁りて義を行ひ、本始元年中を以て、漢の地を裂き、尽く以て広陵王胥の四子を封ず。一子は朝陽侯と為り、一子は平曲侯と為り、一子は南利侯と為り、最も愛する少子弘は、立てて以て高密王と為す。其の後胥果たして威福を作し、楚王の使者に通ず。楚王宣言して曰く、「我が先の元王は、高帝の少弟なり、三十二城を封ぜらる。今地邑益々少なし、我広陵王と共に兵を発せんと欲すと云ふ。広陵王を立てて上と為し、我復た楚の三十二城に王たること、元王の時の如くせん」と。事発覚し、公卿有司罰誅を行はんことを請ふ。天子骨肉の故を以て、法を胥に致すに忍びず、詔書を下して広陵王を治むる無からしめ、独り首悪の楚王を誅す。伝に曰く「蓬麻中に生ずれば、扶けずして自ら直し。白沙泥中に在れば、之と皆黒し」とは、土地の教化之をして然らしむるなり。其の後胥復た祝詛して謀反し、自殺し、国除かる。燕の土は墝埆にして、北は匈奴に迫り、其の人民勇にして慮少なし、故に之を誡めて曰く「葷粥氏は孝行有る無くして禽獣の心あり、以て窃盗して辺民を侵犯す。朕将軍に詔して往きて其の罪を征せしむ、万夫の長、千夫の長、三十有二君皆来たり、旗を降し師に奔る。葷粥域を徙して遠く処り、北州以て安し」と。「若の心を悉くし、怨みを作す無かれ」とは、俗に従ひて以て怨望せしむる勿かれとなり。「徳を俷る無かれ」とは、王をして徳に背かしむる勿かれとなり。「備へを廃する無かれ」とは、武備を乏しくする無く、常に匈奴に備へよとなり。「教へられし士に非ざれば徴に従ふを得ず」とは、言ふこころは礼義に習ふに非ざれば側に在るを得ずとなり。会々武帝年老い長じ、而して太子不幸にして薨じ、未だ立つる所有らず、而して旦使をして来たりて上書せしめ、身入りて長安に宿衛せんことを請ふ。孝武其の書を見、地を撃ち、怒りて曰く、「子を生まば当に之を斉魯礼義の郷に置くべし、乃ち之を燕趙に置く、果たして争ふ心有り、譲らざるの端見はる」と。
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『政談』遊女河原者の種姓の分事並に乞食の締りの事善七手下になるときふる乞しきとも是をはういつむさんにあたる、元来こもかぶり宿なしと云ふものは死と紙一まいほとならてはへたてぬものなる故耻を知らす刑をも恐れす、それをふる乞しきはういつむさんにあたるときは其の心入りたかふて返りたる者になるへし、それをまた乞しきの役として刑罰人倒れもの川なかれ等のことを取りあつかはする故、益々その心暴虐不仁に成るも上の仕向にてなるなり、
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孟子・滕文公章句下孟子、戴不勝に謂いて曰く、「子は子の王の善ならんことを欲するか。我明らかに子に告げん。此に楚の大夫有らんに、其の子の齊語せんことを欲すれば、則ち齊人をして諸に傅たらしめんか。楚人をして諸に傅たらしめんか。」曰く、「齊人をして之に傅たらしめん。」曰く、「一齊人之に傅たるも、衆楚人之を咻せば、雖日に撻(むちうつ)ちて其の齊たらんことを求むと雖も、得可からず。引いて之を莊嶽の間に置くこと數年ならば、日に撻ちて其の楚たらんことを求むと雖も、亦た得可からず。子、薛居州を善士と謂い、之をして王の所に居らしむ。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州ならば、王は誰と與にか不善を為さん。王の所に在る者、長幼卑尊、皆薛居州に非ざれば、王は誰と與にか善を為さん。一薛居州、獨り宋王を如何せん。」 <語釈> ○「咻」、音はキュウ、義はかまびすしくすること。○「莊嶽」、顧炎武云う、莊は是れ街の名、嶽は是れ里の名。
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論語・衛霊公篇子貢、仁を為すを問う。子曰く、「工、其の事を善くせんと欲すれば、必ず先ず其の器を利くす。是の邦に居るや、其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。」
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『政談』譜代者の事健かなるものは年の若き内は渡りありき、年よれは辻番なとになり、果は乞食に成り、火付け盗賊をもしたるたくひのものなり、其内に少しじみなるものも年久しく江戸に居、百姓のわざに遠のき麦飯かて物飯をいやに思ふより、奉公の先きにて行合夫婦を拵へ、町へ引き込みぼていをふり一生を送る、是によりて少々年久しく居て家になじみあるものゝ出て入りするも皆軽き町人なり、いとゝさへ御城下は町人の中なるに、身になり為になり其の家になしみありて出て入りする者皆町人なれは、武家の子供皆町人の心根の如くなりゆくもことはりなり、
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『講孟余話』滕文公下 第六章「一薛居州、独り宋王を如何せん」。此の章の義極めて明白、比喩極めて的切、而して到底又此の一句に帰す。然れども是れ独り人君の知るべきのみに非ず。卿大夫士に至るまで、争臣争友少なくては、善をなすこと甚だ難し。更に一転して思ふに、心の存する所、身の行ふ所、接する所の事、翫ぶ所の芸、皆善に非ざることなくば、何を以て不善の人たらんや。故に云ふ、「小人間居して不善をなす」と。不善の萌しは必ず無事による者なれば、是れを思ひて、身を孝悌文武の内に漸漬して、他念を生ずるに暇なくすべし。是れ亦荘嶽に置くの意なり。
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