晏子春秋 / 雑下・梁丘據言晏子食肉不足景公割地將封晏子辭
晏子相齊三年,政平民說。梁丘據見晏子中食而肉不足,以告景公。旦日,封晏子以都昌,晏子辭而不受,曰:「富而不驕者,未嘗聞之。貧而不恨者,嬰是也。所以貧而不恨者,以若為師也。今封,易嬰之師。師已輕,封已重矣,請辭。」
新字:晏子相斉三年,政平民説。梁丘拠見晏子中食而肉不足,以告景公。旦日,封晏子以都昌,晏子辞而不受,曰:「富而不驕者,未嘗聞之。貧而不恨者,嬰是也。所以貧而不恨者,以若為師也。今封,易嬰之師。師已軽,封已重矣,請辞。」
書き下し
晏子斉に相たること三年、政平らかにして民説ぶ。梁丘据、晏子の中食にして肉足らざるを見、以て景公に告ぐ。旦日、晏子を封ずるに都昌を以てす。晏子辞して受けずして曰く、「富みて驕らざる者は、未だ嘗て之を聞かず。貧しくして恨みざる者は、嬰是れなり。貧しくして恨みざる所以の者は、若を以て師と為せばなり。今封ぜらるれば、嬰の師を易う。師已に軽くして、封已に重し。請う、辞せん」と。
現代語訳
晏子が斉の宰相となって三年、政治は安定し、民は喜んでいました。梁丘据は、晏子が昼食に肉が足りないのを見て、そのことを景公に告げました。翌朝、公は晏子に都昌の地を封じようとしました。晏子は辞退して受けず、言いました。「富んで驕らない者は、まだ聞いたことがありません。貧しくても恨まない者は、私がそうです。貧しくても恨まないのは、この貧しさを師としているからです。いま封地をいただけば、私の師を取り替えることになります。師が軽くなって封地が重くなります。どうかお断りいたします。」
解説
梁丘据が、晏子の食事に肉が足りないと景公に告げ、公が封地を与えようとした短い逸話です。晏子は貧しさを恨まないのは貧しさを師にしているからだと言い、封地を受ければその師を取り替えることになると断ります。富んで驕らない者は聞いたことがないという言葉も、自分の弱さを知っている者の見方です。豊かさを自分への戒めの対象と見ており、受け取る前に受けた後の自分の変化を見通しています。現代の経営者や管理職も、報酬や地位が上がるときこそ、自分を支えていた習慣や謙虚さが変わらないかを点検する価値があります。条件が整うほど、自分の軸が崩れやすくなるからです。
この章句が説くこと
清貧驕り師自戒辞退晏子春秋
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