晏子春秋 / 雑下・柏常騫禳梟死將為景公請壽晏子識其妄
景公為路寢之台,成,而不踴焉。柏常騫曰:「君為台甚急,台成,君何為而不踴焉?」公曰:「然。有梟,昔者鳴,其聲無不為也,吾惡之甚,是以不踴焉。」柏常騫曰:「臣請禳而去之。」公曰:「何具?」對曰:「築新室,為置白茅焉。」公使為室,成、置白茅焉。柏常騫夜用事,明日,問公曰:「今昔聞梟聲乎?」公曰,「一鳴而不復聞。」使人往視之,梟當陛,布翼伏地而死。公曰:「子之道若此其明也,亦能益寡人之壽乎?」對曰:「能。」公曰:「能益幾何?」對曰:「天子九,諸侯七,大夫五。」公曰:「子亦有徵兆之見乎?」對曰:「得壽,地且動。」公喜,令百官趣具騫之所求。柏常騫出,遭晏子于塗,拜馬前。騫辭曰:「為君禳梟而殺之,君謂騫曰:『子之道若此其明也,亦能益寡人之壽乎?』
新字:景公為路寝之台,成,而不踴焉。柏常騫曰:「君為台甚急,台成,君何為而不踴焉?」公曰:「然。有梟,昔者鳴,其声無不為也,吾悪之甚,是以不踴焉。」柏常騫曰:「臣請禳而去之。」公曰:「何具?」対曰:「築新室,為置白茅焉。」公使為室,成、置白茅焉。柏常騫夜用事,明日,問公曰:「今昔聞梟声乎?」公曰,「一鳴而不復聞。」使人往視之,梟当陛,布翼伏地而死。公曰:「子之道若此其明也,亦能益寡人之寿乎?」対曰:「能。」公曰:「能益幾何?」対曰:「天子九,諸侯七,大夫五。」公曰:「子亦有徴兆之見乎?」対曰:「得寿,地且動。」公喜,令百官趣具騫之所求。柏常騫出,遭晏子于塗,拝馬前。騫辞曰:「為君禳梟而殺之,君謂騫曰:『子之道若此其明也,亦能益寡人之寿乎?』
書き下し
景公路寝の台を為り、成りて、踴らず。柏常騫曰く、「君台を為ること甚だ急なり。台成りて、君何為れぞ踴らざる」と。公曰く、「然り。梟有り、昔者鳴く。其の声為さざる無し。吾之を悪むこと甚だし。是を以て踴らざるなり」と。柏常騫曰く、「臣請う、禳いて之を去らん」と。公曰く、「何の具ぞ」と。対えて曰く、「新室を築き、為に白茅を置け」と。公室を為らしめ、成り、白茅を置く。柏常騫夜に事を用い、明日、公に問いて曰く、「今昔梟の声を聞きしか」と。公曰く、「一たび鳴きて復た聞かず」と。人をして往きて之を視しむるに、梟は陛に当たり、翼を布き地に伏して死す。公曰く、「子の道此の若く其れ明なり。亦た能く寡人の寿を益さんか」と。対えて曰く、「能くす」と。公曰く、「能く益すこと幾何ぞ」と。対えて曰く、「天子は九、諸侯は七、大夫は五」と。公曰く、「子亦た徴兆の見るもの有りや」と。対えて曰く、「寿を得れば、地且に動かんとす」と。公喜び、百官をして騫の求むる所を趣具せしむ。柏常騫出で、晏子に塗に遭い、馬前に拝す。騫辞して曰く、「君の為に梟を禳いて之を殺せり。君騫に謂いて曰く、『子の道此の若く其れ明なり。亦た能く寡人の寿を益さんか』と。
現代語訳
景公は路寝の台を作らせ、完成しましたが、足を踏み鳴らす儀式をしませんでした。柏常騫が言いました。「君は台をとても急いで造らせました。完成したのに、なぜ儀式をなさらないのですか」。公は言いました。「そうなのだ。ふくろうがいて、昨夜鳴いた。その声はあらゆる不吉をなすようで、私はそれをひどく嫌っている。それでやらないのだ」。柏常騫は言いました。「私がお祓いをして、追い払いましょう」。公が「何が要るのか」と尋ねると、「新しい部屋を築き、そこに白茅を置いてください」と答えました。公は部屋を作らせ、完成して白茅を置きました。柏常騫は夜に祭祀を行い、翌日、公に尋ねました。「昨夜、ふくろうの声を聞かれましたか」。公は「一度鳴いて、もう聞かなかった」と答えました。人を行かせて見させると、ふくろうは階の前で翼を広げ、地に伏して死んでいました。公は言いました。「あなたの術はこれほど明らかだ。私の寿命も延ばせるだろうか」。「できます」。「どれほど延ばせるのか」。「天子は九、諸侯は七、大夫は五です」。「あなたには兆しとして現れるものがあるか」。「寿命を得るなら、地が動くでしょう」。公は喜び、百官に柏常騫の求めるものを急いで揃えさせました。柏常騫は退出し、晏子に道で出会い、馬の前で拝礼しました。柏常騫は言い訳して言いました。「君のためにふくろうを祓って殺しました。君は私に言われました。『あなたの術はこれほど明らかだ。私の寿命も延ばせるだろうか』と。
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公四年 多難、国を興す齊・楚は難多し。是の三者有り、何(いづ)れに鄉ひて濟らざらん」と。對へて曰く、「險と馬とを恃みて、鄰國の難を虞(たの)むは、是れ三殆なり。四嶽・三塗・陽城・大室・荊山・中南は、九州の險なり。是れ一姓ならず。冀の北土は、馬の生ずる所なるも、興國無し。險と馬とを恃むは、以って固しと為す可からざるなり。古より以って然り。是を以って先王は德音を務め脩めて、以って神人に亨(とほ)す。其の險と馬とを務むるを聞かざるなり。鄰國の難は、虞む可からざるなり。或いは難多くして以って其の國を固め、其の疆土を啟く。或いは難無くして以って其の國を喪ひ、其の守宇を失ふ。若何ぞ難を虞まん。齊に仲孫の難有りて桓公を獲、今に至るまで之に賴る。晉に里・丕の難有りて文公を獲、是を以って盟主と為る。衛・邢は難無く、敵も亦た之を喪ぼす。故に人の難は、虞む可からざるなり。此の三者を恃みて政德を脩めずんば、亡ぶるに暇あらず、又何ぞ能く濟らん。君其れ之を許せ。紂は淫虐を作し、文王は惠和なり。
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