晏子春秋 / 雑下・景公瞢五丈夫稱無辜晏子知其冤
景公敗於梧丘。夜猶早,公姑坐睡,而夢有五丈夫,北面韋廬稱無罪焉。公覺,召晏子而告其所瞢。公曰:「我其嘗殺無罪邪?」晏子對曰:「昔者先君靈公畋,有五丈夫來駭獸,故並斷其頭而葬之,命曰五丈夫之丘,此其地邪?」公令人掘而求之,則五頭同穴而存焉。公曰:「嘻!」令吏厚葬之。國人不知其瞢也,曰:「君憫白骨,而況於生者乎,不遺餘力矣,不釋餘知矣。」故曰人君之為善易矣。
新字:景公敗於梧丘。夜猶早,公姑坐睡,而夢有五丈夫,北面韋廬称無罪焉。公覚,召晏子而告其所瞢。公曰:「我其嘗殺無罪邪?」晏子対曰:「昔者先君霊公畋,有五丈夫来駭獣,故並断其頭而葬之,命曰五丈夫之丘,此其地邪?」公令人掘而求之,則五頭同穴而存焉。公曰:「嘻!」令吏厚葬之。国人不知其瞢也,曰:「君憫白骨,而況於生者乎,不遺余力矣,不釈余知矣。」故曰人君之為善易矣。
書き下し
景公梧丘に敗る。夜猶お早く、公姑く坐して睡り、夢に五丈夫有り、北面して廬を韋い、罪無きを称す。公覚め、晏子を召して其の瞢みし所を告ぐ。公曰く、「我其れ嘗て無罪を殺せしか」と。晏子対えて曰く、「昔者先君霊公畋せしとき、五丈夫の来たりて獣を駭かす有り。故に並びに其の頭を断ちて之を葬り、命けて五丈夫の丘と曰う。此れ其の地か」と。公人をして掘りて之を求めしむるに、則ち五頭同穴にして存す。公曰く、「嘻」と。吏をして厚く之を葬らしむ。国人其の瞢みを知らずして、曰く、「君白骨を憫む。而るを況んや生ける者をや。餘力を遺さず、餘知を釈てざらん」と。故に曰く、人君の善を為すは易し、と。
現代語訳
景公は梧丘で負けました。夜はまだ早く、公はしばらく座って居眠りをし、夢に五人の男が現れ、北を向いて廬を囲むように立ち、罪がないと訴えました。目覚めた公は晏子を呼んで、見た夢を告げました。公は言いました。「私はかつて、罪のない者を殺したことがあるのだろうか」。晏子は答えました。「以前、先君の霊公が狩りをされたとき、五人の男が来て獣を驚かせました。そこで五人とも首を切り、一緒に葬って、五丈夫の丘と名づけました。ここがその場所ではないでしょうか」。公が人に掘らせて探させると、五つの首が同じ穴に残っていました。公は「ああ」と嘆き、役人に手厚く葬らせました。国の人々は夢のことを知らず、こう言いました。「君は白骨をあわれまれた。ましてや生きている者はなおさらだ。力を残さず、知恵も惜しまれるだろう」。そこで言います。「人の君主が善をなすのは易しい」。
解説
この章句が説くこと
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