晏子春秋 / 雑上・晏子之晉睹齊累越石父解左驂贖之與歸
向者子乘,不我辭也,吾以子為忘,今又不辭而入,是與臣僕我者同矣,我猶且為臣,請鬻於世。」晏子出,請見曰:「向看見客之容,而今也見客之意。嬰聞之,省行者不引其過,察實者不譏其辭,嬰可以辭而無棄乎,嬰誠革之。」乃令糞灑改席,尊醮而禮之。越石父曰:「吾聞之,至恭不修途,尊禮不受擯,夫子禮之,僕不敢當也。」晏子遂以為上客。君子曰,「俗人之有功則德、德則驕。晏子有功免人於厄,而反詘下之,其去俗亦遠矣,此全功之道也。」
新字:向者子乗,不我辞也,吾以子為忘,今又不辞而入,是与臣僕我者同矣,我猶且為臣,請鬻於世。」晏子出,請見曰:「向看見客之容,而今也見客之意。嬰聞之,省行者不引其過,察実者不譏其辞,嬰可以辞而無棄乎,嬰誠革之。」乃令糞灑改席,尊醮而礼之。越石父曰:「吾聞之,至恭不修途,尊礼不受擯,夫子礼之,僕不敢当也。」晏子遂以為上客。君子曰,「俗人之有功則徳、徳則驕。晏子有功免人於厄,而反詘下之,其去俗亦遠矣,此全功之道也。」
書き下し
向者に子乗れるとき、我に辞せざりしかば、吾は子の忘るると以為えり。今又た辞せずして入る。是れ臣僕とする者と同じきなり。猶お且つ臣と為らんとす、請う、世に鬻がん」と。晏子出で、請い見えて曰く、「向に客の容を看たり、而して今は客の意を見たり。嬰之を聞く、行を省みる者は其の過ちを引かず、実を察する者は其の辞を譏らず、と。嬰辞して棄てざる可けんか。嬰誠に之を革めん」と。乃ち糞灑せしめ席を改め、尊醮して之を礼す。越石父曰く、「吾之を聞く、至恭は途を修めず、尊礼は擯を受けず、と。夫子之を礼す。僕敢えて当たらず」と。晏子遂に以て上客と為す。君子曰く、「俗人の功有れば則ち徳とし、徳とすれば則ち驕る。晏子功有りて人を厄より免かれしめ、而して反って之に詘下す。其の俗を去ること亦た遠し。此れ功を全うするの道なり」と。
現代語訳
さきほど、あなたが車に乗られたとき、私に挨拶もなさらなかったので、私は忘れられたのだと思いました。今また挨拶なしに入られた。これでは私を下僕扱いした者と同じです。どうせ下僕のままでいるなら、世に身を売りに出します」。晏子は外に出て、面会を願って言いました。「先ほどは、あなたの外見だけを見ていました。今は、あなたの心を見ました。私はこう聞いています。自分の行いを省みる者は人の過ちをあげつらわず、実を見る者は言葉をそしらない、と。私が挨拶を欠いたからといって、見捨てないでいただけませんか。私は誠に改めます」。そこで部屋を掃き清めて席を改め、酒を捧げてもてなしました。越石父は言いました。「私はこう聞いています。最高の恭しさは道を飾らず、尊い礼は客を迎える儀礼を受けない、と。あなたが礼をなさるので、私はとても受けられません」。晏子はこうして越石父を上客としました。君子は言いました。「俗人は功があれば恩を着せ、恩を着せれば驕る。晏子は功があって人を災いから救いながら、かえって相手にへりくだった。俗から遠く離れている。これが功を全うする道である」。
解説
この章句が説くこと
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史記 魏公子列伝魏の公子無忌は、魏の昭王の少子にして魏の安釐王の異母弟なり。昭王薨じ、安釐王即位し、公子を封じて信陵君と為す。是の時、范睢魏を亡げて秦に相たり、魏斉を怨むの故を以て、秦の兵大梁を囲み、魏の華陽の下の軍を破り、芒卯を走らす。魏王及び公子これを患ふ。公子は人と為り仁にして士に下り、士は賢不肖と無く皆謙りて礼もてこれに交はり、敢へてその富貴を以て士に驕らず。士は此を以て方数千里争ひ往きてこれに帰し、食客三千人を致す。是の時に当たりて、諸侯は公子の賢にして客多きを以て、敢へて兵を加へて魏を謀らざること十余年。
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