荀子 / 大略篇
公行子之之燕,遇曾元於塗,曰:「燕君何如?」曾元曰:「志卑。志卑者輕物,輕物者不求助;苟不求助,何能舉?氐羌之虜也,不憂其係壘也,而憂其不焚也。利夫秋毫,害靡國家,然且為之,幾為知計哉!」
新字:公行子之之燕,遇曽元於塗,曰:「燕君何如?」曽元曰:「志卑。志卑者軽物,軽物者不求助;苟不求助,何能舉?氐羌之虜也,不憂其係塁也,而憂其不焚也。利夫秋毫,害靡国家,然且為之,幾為知計哉!」
書き下し
公行子之(こうこうしし)、燕(えん)に之(ゆ)き、曾元(そうげん)に塗(みち)に遇(あ)ひて曰く、「燕君(えんくん)は何如(いかん)」と。曾元曰く、「志(こころざし)卑(ひく)し。志卑き者は物を軽んじ、物を軽んずる者は助けを求めず。苟(いやしく)も助けを求めずんば、何ぞ能(よ)く挙(あ)がらん。氐羌(ていきょう)の虜(とりこ)たるや、其の係累(けいるい)せらるるを憂へずして、其の焚(や)かれざるを憂ふ。夫(か)の秋毫(しゅうごう)を利として、国家を害(そこな)ひ靡(ほろぼ)す、然も且(か)つ之を為す、幾(あ)に知計(ちけい)を為すと為さんや」と。
現代語訳
公行子之が燕へ行く途中、道で曾元に出会って尋ねた。「燕の君主はどういう人物か」。曾元は言った。「志が低い。志の低い者は物事を軽く見る。物事を軽く見る者は人の助けを求めない。助けを求めなければ、どうして事を成し遂げられようか。氐や羌の民は捕虜になっても、縄目にかけられることは憂えず、死んだあと焼かれずに葬られないことばかりを憂える。燕君も、毛先ほどのわずかな利益をありがたがって、その一方で国家を損ない滅ぼしてしまう。それでもなおやめようとしない。これがどうして賢い計算だといえようか」。
解説
旅の途中の立ち話という形で、堕落した君主の姿が語られます。志が低い、だから物事を軽く見る、軽く見るから人の力を借りようとしない、借りないから何も成らない。連鎖のはじまりが「志の低さ」に置かれているところが要点です。後半の氐羌の捕虜のたとえは、優先順位を取り違える愚かさの例で、いま自分が縛られているという目の前の危機は憂えず、死後の弔われ方ばかり気にしている。燕君もまた、目先のわずかな利に気を取られて、国が傾くという本筋を見ていないというのです。私たちの仕事でも、細かな取り分や体裁にはこだわるのに、事業そのものの土台が崩れかけていることには目が向かない、ということが起こります。何を憂えるべきかを間違えない。それ自体が能力の一部だと教えてくれます。
この章句が説くこと
志優先順位の取り違え助けを求める力目先の利
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