葉隠 / 聞書第二
他人の家で物を失うた時、不用意に言出して主人に恥かゝすな 何某或御方にて、笄失ひ候事を、何かと申し候を、同道の衆意見申し候て、追つて盗み候人相知れ、仕置これあり候。御亭主に恥かゝせ申す事を、行き當らず言出して見出し申さゞる時は、伺々無興なり。刀の拵へ様、置き處、兼々吟味仕るべき事の由。
新字:他人の家で物を失うた時、不用意に言出して主人に恥かゝすな 何某或御方にて、笄失ひ候事を、何かと申し候を、同道の衆意見申し候て、追つて盗み候人相知れ、仕置これあり候。御亭主に恥かゝせ申す事を、行き当らず言出して見出し申さゞる時は、伺々無興なり。刀の拵へ様、置き処、兼々吟味仕るべき事の由。
書き下し
何某(なにがし)或る御方にて、笄(こうがい)失い候事を、何かと申し候を、同道の衆意見申し候て、追って盗み候人相知れ、仕置(しおき)これあり候。御亭主(ごていしゅ)に恥かかせ申す事を、行き当らず言出して見出し申さざる時は、伺々(うかがいうかがい)無興(ぶきょう)なり。刀の拵(こしら)え様、置き処(どころ)、兼々(かねがね)吟味(ぎんみ)仕るべき事の由。
現代語訳
何某という人が、ある方の屋敷で笄(こうがい)を失くしたことをあれこれ言い立てたのを、同行の者が意見(忠告)した。その後、盗んだ者が判明して処罰された。もし主人(亭主)に恥をかかせるようなことを、後先も考えずに口に出して、しかも見つからなかったならば、互いに気まずく興ざめなことになる。刀の拵え方や置き場所は、日ごろからよく吟味し注意しておくべきことだ、とのことである。
解説
他人の家で物を失くしたとき、軽々しく騒ぎ立ててはならない、という配慮の作法を説く一条です。もし盗難を疑って口にしても犯人が見つからなければ、主人に恥をかかせ、互いに気まずくなるだけ。実例では犯人が判明して事なきを得ましたが、常朝はむしろ結果に頼らぬ用心を勧めます。すなわち、刀の拵えや置き場所を日ごろから吟味し、失くさぬよう自衛せよ、と。他人の面目を傷つけない気配りと、事が起きる前の自己管理——二重の教訓です。現代でも、確証なく人を疑って口にすれば、たとえ善意でも相手を傷つけ関係を損なう。まず自分の管理を尽くし、軽率な言葉を慎む。場と相手への配慮を教える処世訓です。
この章句が説くこと
葉隠配慮面目を守る軽率な言葉自己管理用心
関連する章句
-
孟子・盡心章句下孟子曰、有布縷之征粟米之征力役之征。君子用其一、緩其二。用其二而民有殍。用其三而父子離。
-
葉隠・聞書第一その人の恥にならぬ樣に、その場をよき樣にするが侍の仕事。御祝言御道具詮議の時分、何某殿御申し候は、「琴三絃、其の書附に相見えず候。」と申されたるなり。翌日申され候は、「あらかに申して差留め候。極上に二通宛と書附け候へ。」と申され候由。話す人あり。「御道具なくても事足らぬものなり。これは、氣味のよき人かな。」と申し候へば、「いやいや夫れがよからぬ所存なり。皆我が威勢立の申分なり。大かた他方者にある事なり。道を知る者ならば、たとへ、いらぬに極りたるものにても、御尤に存じ奉り候。」となり。さりながら、それは追つて吟味仕るべしなどと申して、その人の恥にならぬ樣に、その場をよき樣にするこそ侍の仕事にて候。
-
『韓非子』難言第三㹅微說約,徑省而不飾,則見以爲劌而不辯;
-
『韓非子』觀行第二十四目失鏡,則無以正鬚眉;身失道,則無以知迷惑。西門豹之性急,故佩韋以緩己;董安于之心緩,故佩弦以自急。
-
孟子・公孫丑章句下孟子、齊を去り、晝に宿す。王の為に行を留めんと欲する者有り。坐して言う。應えず。几に隱りて臥す。客悅ばずして曰く、「弟子齊宿して後敢て言う。夫子臥して聽かず。請う復び敢て見ゆること勿らん。」曰く、「坐せよ。我明らかに子に語げん。昔者、魯の繆公は、子思の側に人無ければ、則ち子思を安んずる能わず。泄柳・申詳は、繆公の側に人無ければ、則ち其の身を安んずる能わず。子、長者の為に慮りて、子思に及ばず。子、長者を絶つか、長者、子を絶つか。」
-
孟子・告子章句上孟子曰、人之於身也、兼所愛。兼所愛、則兼所養也。無尺寸之膚不愛焉、則無尺寸之膚不養也。所以考其善不善者、豈有他哉。於己取之而已矣。體有貴賤、有小大。無以小害大、無以賤害貴。養其小者為小人、養其大者為大人。今有場師。舍其梧檟、養其樲棘、則為賤場師焉。養其一指、而失其肩背而不知也、則為狼疾人也。飲食之人、則人賤之矣。為其養小以失大也。飲食之人無有失也、則口腹豈適為尺寸之膚哉。