鬼谷子 / 捭闔篇
口者、心之門戶也、心者、神之主也。志意、喜欲、思慮、智謀、此皆由門戶出入。故闗之以捭闔、制之以出入。
新字:口者、心之門戸也、心者、神之主也。志意、喜欲、思慮、智謀、此皆由門戸出入。故関之以捭闔、制之以出入。
書き下し
口は、心の門戶なり。心は、神の主なり。志意、喜欲、思慮、智謀、此れ皆な門戶に由りて出入す。故に之を闗するに捭闔を以てし、之を制するに出入を以てす。
現代語訳
口は心の門戸である。心は精神の主である。志も、喜びや欲も、思いも、知恵も謀りごとも、みなこの門戸を通って出入りする。だから、この門戸を開閉によって関し、出入りによって制する。
解説
口を心の門戸と呼びます。志も欲も思慮も謀りごとも、すべてそこを通る。だから口を管理することが、心を管理することになる。順序が逆でないところが実務的です。心を整えてから話す、ではなく、話し方を管理することで心が管理される。言葉にした瞬間に、それは自分にとっても確定します。会議で軽く口にした否定が、自分の中でも本当の否定になっていく。この一節はごく短いですが、『鬼谷子』の技術がなぜ言葉に集中するのかを説明しています。心は直接扱えず、門戸なら扱えるからです。
この章句が説くこと
口は心の門戸なり心は神の主言葉自制判断
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