呂氏春秋 / 審時①
凡農之道,厚之為寶:斬木不時,不折必穗;稼就而不穫,必遇天菑。夫稼為之者人也,生之者地也,養之者天也。是以人稼之容足,耨之容耨,據之容手。此之謂耕道。
新字:凡農之道,厚之為宝:斬木不時,不折必穗;稼就而不穫,必遇天菑。夫稼為之者人也,生之者地也,養之者天也。是以人稼之容足,耨之容耨,拠之容手。此之謂耕道。
書き下し
凡そ農の道は、時に厚きを寶と為す。木を斬ること時ならざれば、折れずんば必ず穗く。稼就って穫らざれば、必ず天の菑いに遇う。夫れ稼は之を為す者は人なり、之を生ずる者は地なり、之を養う者は天なり。是を以て人之を稼するに足を容れ、之を耨るに耨を容れ、之を據うに手を容る。此を之れ耕道と謂う。
現代語訳
およそ農業の道は、時節を大切にする(時に厚くする)ことを宝とする。木を伐るのに適した時期を外せば、折れなければ必ず裂ける。作物が実っても収穫しなければ、必ず天災に遭う。そもそも作物は、それを作るのは人であり、それを生じさせるのは地であり、それを養い育てるのは天である。だから人は作物を植えるのに苗の間に足を入れるだけの間隔をとり、除草するのに鍬(耨)を入れるだけの間隔をとり、手入れのため手を差し入れるだけの間隔をとる。これを耕作の道(耕道)というのである。
解説
審時(時を審らかにす)篇の冒頭で、農業において何より時節を重んじることが宝だと宣言されます。木は伐り時を外せば折れ裂け、作物は実っても収穫の時を逃せば天災に遭う、という例で時機の重要さを示します。そして作物は人が作り、地が生じ、天が養うという三者の協働だとし、苗の間に足・鍬・手を入れられるだけの適切な間隔をとることを耕道と呼びます。これは農本思想における耕作の要諦で、天・地・人の役割分担と時機の尊重を農の根本原理として示したものです。人の努力だけでなく、天地の働きと時の巡りに沿うという発想は、自然と協調する現代の農業観にも通じます。
この章句が説くこと
審時時耕道天地人時機農本思想
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