司馬法 / 嚴位
讓以和,人自洽。
新字:譲以和,人自洽。
書き下し
譲るに和を以てすれば、人自ら洽(あまね)し。
現代語訳
譲り合うことによって和が生まれれば、人々は自然と融け合い調和する。
解説
自分から一歩譲ることによって場に和やかさが生まれれば、人々は無理に説得されなくても自然と折り合いをつけていく。譲歩は弱さや負けではなく、周囲との摩擦を減らして物事を前に進めるための働きかけだと司馬法は捉えている。会議での意見の対立や家庭内の小さな諍いなど、誰かが一歩引くだけで場の空気が変わる場面は、日常のあちこちに潜んでいる。
この章句が説くこと
譲歩和自然な折り合い
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論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
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易経・彖伝夬(かい)は、決なり。剛の柔を決するなり。健にして説(よろこ)び、決して和す。「王庭に揚(あ)ぐ」とは、柔の五剛に乗ればなり。「孚(まこと)ありて号(さけ)ぶ、厲(あや)うきあり」とは、其の危うきこと乃ち光(おお)いなればなり。「邑(ゆう)より告ぐ、戎(じゅう)に即(つ)くに利あらず」とは、尚(たっと)ぶ所乃ち窮すればなり。「往(ゆ)く攸(ところ)あるに利あり」とは、剛長じて乃ち終わればなり。