葉隠 / 聞書第一
順境には自慢と奢りがあぶなきなり。其の時は、日頃のばへつ〻しまねば、追附かざるなり。よき時進む者は、惡しき時草臥る〳〵ものなり。
新字:順境には自慢と奢りがあぶなきなり。其の時は、日頃のばへつ〻しまねば、追附かざるなり。よき時進む者は、悪しき時草臥る〳〵ものなり。
書き下し
順境には自慢と奢りがあぶなきなり。その時は、日頃の倍(ばい)慎まねば、追ひ付かざるなり。よき時進む者は、悪しき時草臥(くたび)るるものなり。
現代語訳
順境のときは、自慢とおごりが危ない。そうしたときは、日頃の倍も慎まなければ、心が実力に追いつかないものだ。調子のよいときに勢いよく進む者ほど、悪いときには疲れきってしまうものである。
解説
物事が順調なときこそ、自慢とおごりが危ういと説く一条です。良いときには日頃の倍も慎まなければ、心が実力に追いつかず足をすくわれる、と戒めます。さらに「よき時に勢いよく進む者は、悪い時に疲れきってしまう」と続き、好調に飛ばしすぎることの反動を指摘します。葉隠は、絶頂のときほど落ち着きを失いやすい人の性を見抜いていました。現代でも、成功が続くと油断や過信が生まれ、環境が変わった途端に崩れる例は珍しくありません。順風のときにこそ足元を固め、ペースを保つ。好調を長続きさせる知恵として読めるでしょう。
この章句が説くこと
順境慢心奢り自制好不調の波油断
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