葉隠 / 聞書第二
御家の事、御家中の事、古來根元、よく存ぜず候て叶はざる事に候。然れども、時によりて物識が差合ふ事これあるものなり。了簡入るべし。石井新五左衞門、山本紛れの事。平生の事にも、案内知つて支へになることあるものなり。了簡入るべし。口達。
新字:御家の事、御家中の事、古来根元、よく存ぜず候て叶はざる事に候。然れども、時によりて物識が差合ふ事これあるものなり。了簡入るべし。石井新五左衛門、山本紛れの事。平生の事にも、案内知つて支へになることあるものなり。了簡入るべし。口達。
書き下し
御家(おいえ)の事、御家中(ごかちゅう)の事、古来根元(こらいこんげん)、よく存ぜず候て叶わざる事に候。然れども、時によりて物識(ものしり)が差合(さしあ)う事これあるものなり。了簡(りょうけん)入るべし。石井新五左衛門(いしいしんござえもん)、山本紛(やまもとまぎ)れの事。平生(へいぜい)の事にも、案内(あんない)知って支(つか)えになることあるものなり。了簡入るべし。口達(くたつ)。
現代語訳
主家のこと、家中のこと、その古来からの由来や根本は、よく知っておかなければ勤まらないことだ。しかしながら、時と場合によっては、物知りであることがかえって差し障りになることもある。よく考えておくべきだ。石井新五左衛門や、山本にまつわる紛れの一件などがそれである。日常のことでも、内情を知りすぎているために、かえって障害になることがあるものだ。よく心得ておくべきだ。これは口づての教えである。
解説
知識・情報の扱いについての、逆説を含んだ条です。核心は「知っておくべきことは深く知れ、しかし知りすぎが妨げになる場合もある」という点にあります。主家の由来や家中の内情は、勤めのために当然弁えておくべきもの。ところが、事情に通じすぎているために、かえって身動きが取れなくなったり、しがらみが生じたりすることもあると説きます。知識は力であると同時に、時に負担にもなるという洞察です。現代にも通じます。情報や事情を深く知ることは基本ですが、知りすぎゆえに動けなくなる、忖度が増えるといった弊害もある。知識をいつどう使い、いつ手放すかを見極める判断力が要る、という含蓄のある教えです。
この章句が説くこと
葉隠知識情報の扱い知りすぎの弊害了簡判断力
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