風姿花伝 / 第三 問答条々
問能に位の差別を知る事如何答これ目利の眼にはやすく見ゆるなり凡そ位のあがるとは能の重々の事なれどもふしぎに十ばかりの能者にもこの位おのれとあがれる風体あり但し稽古なからむにはおのれとあがる位ありともいたづら事なり先づ稽古の劫入りて位のあらむは常のことなりまた生得あがる位とは長なり嵩と申すは別の事なり多く人長と嵩とを同じやうに思ふなり嵩と申すはものものしくせのある形なりまたいふ嵩は一切にわたる義なり位長には別の物なりたとへば生得幽玄なる所あるこれ上の位か然れどもさらに幽玄にはなき仕手の長のあるもありこれは幽玄ならぬ長なりまた初心の人思ふべし稽古に上の位を心がけんは返々かなふまじ位はいよいよかなはであまさへ稽古しける分もさがるべし所詮位長のあがらんことはかくべつの心得ありて得ずしては大方かなふまじまた稽古の劫入りて垢落ちぬればこの位おのれと出来ることあり稽古とは音曲 舞 はたらき 物まね かやうの品々をきはむる形木なりよくよく工夫して思ふに幽玄の位は生得の物か闌けたる位は劫入りたるところか心中に案をめぐらすべし
書き下し
問、能に位の差別を知る事如何。答、これ目利の眼にはやすく見ゆるなり。凡そ位のあがるとは、能の重々の事なれども、ふしぎに十ばかりの能者にも、この位おのれとあがれる風体あり。但し稽古なからむには、おのれとあがる位ありともいたづら事なり。先づ稽古の劫入りて位のあらむは、常のことなり。また生得あがる位とは長なり。嵩と申すは別の事なり。多く人、長と嵩とを同じやうに思ふなり。嵩と申すは、ものものしくせのある形なり。またいふ、嵩は一切にわたる義なり。位長には別の物なり。たとへば、生得幽玄なる所ある、これ上の位か。然れども、さらに幽玄にはなき仕手の、長のあるもあり。これは幽玄ならぬ長なり。また初心の人思ふべし。稽古に上の位を心がけんは、返々かなふまじ。位はいよいよかなはで、あまさへ稽古しける分もさがるべし。所詮、位長のあがらんことは、かくべつの心得ありて得ずしては、大方かなふまじ。また稽古の劫入りて垢落ちぬれば、この位おのれと出来ることあり。稽古とは、音曲、舞、はたらき、物まね、かやうの品々をきはむる形木なり。よくよく工夫して思ふに、幽玄の位は生得の物か、闌けたる位は劫入りたるところか、心中に案をめぐらすべし。
現代語訳
問い。能の位(品格の高低)の差別を知ることは、どうするか。答え。これは目利きの眼にはたやすく見えるものだ。およそ位が上がるとは、能の段階を重ねてのことだが、不思議に十歳ほどの若い能者にも、この位がおのずと備わっている芸風がある。ただし稽古がなければ、おのずと上がる位があっても無駄事だ。まず稽古の年功を積んで位が備わるのは通常のことだ。また生まれつき上がる位というのは長(たけ)である。嵩(かさ)というのは別の事だ。多くの人は長と嵩を同じように思っている。嵩というのは、ものものしく癖のある姿だ。またいう、嵩はすべてにわたる意味だ。位や長とは別の物である。たとえば生まれつき幽玄なところがある、これは上の位か。しかし、まったく幽玄ではない演者で、長のあるものもいる。これは幽玄でない長である。また初心の人は思うべきだ。稽古で上の位を心がけるのは、返す返すかなわない。位はますますかなわず、あまつさえ稽古した分も下がってしまう。結局、位や長が上がることは、格別の心得を得なければ大方かなわない。また稽古の年功を積んで垢が落ちれば、この位がおのずと出来ることがある。稽古とは、音曲・舞・はたらき・物まね、こうした品々を究める型木(手本)である。よくよく工夫して思うに、幽玄の位は生まれつきの物か、闌(た)けた位は年功を積んだところか、心の中で思案をめぐらすべきだ。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・憲問篇曾子曰く、君子は思うこと其の位を出でず。
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易経・彖伝帰妹(きまい)は、天地の大義なり。天地交わらざれば、万物興らず。帰妹は、人の終始なり。説(よろこ)びて以て動く、帰(とつ)ぐ所は妹(まい)なり。「征けば凶」とは、位当たらざればなり。「利(よ)ろしき攸(ところ)なし」とは、柔の剛に乗ればなり。
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風姿花伝・第三 問答条々問、能に花を知ること、この条々を見るに無上第一なり、肝要なり。またまた不審なり。これなにとして心得べきや。答、この道の奥義をきはむるところなるべし。一大事とも秘事とも、ただこの一道なり。先づ大方、稽古物まねの条々にくはしく見えたり。時分の花、声の花、幽玄の花、かやうの条々は人の目にも見えたれども、そのわざより出来る花なれば、咲く花のごとくなれば、またやがて散る時分あり。されば久しからねば、天下に名望少なし。ただまことの花は、咲く道理も散る道理も人のままなるべし。されば久しかるべし。この理を知らんこと、いかがすべき。若し別紙の口伝にあるべきか。ただわづらはしくは心得まじきなり。先づ七歳より以来、年来稽古の条々、物まねの品々を、よくよく心中にあてて分かちおぼえて、能を尽し工夫をきはめて後、この花の失せぬ所をば知るべし。この物数をきはむる心、すなはち花の種なるべし。されば花を知らんと思はば、先づ種を知るべし。花は心、種はわざなるべし。古人云、心地含㆓諸種㆒、普雨悉皆萌、頓悟㆓花情㆒已、菩提果自成。
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風姿花伝・第六 花修一、能に強き幽玄弱き荒きを知ること、大方は見えたる事なればたやすきやうなれども、真実これを知らぬによりて、弱く荒き仕手多し。先づ一切の物まねに、偽るところにて荒くも弱くもなると知るべし。この境、よきほどの工夫にては紛るべし。よくよく心底を分けて案じ修むべきことなり。先づ弱かるべき事を強くするは偽なれば、これ荒きなり。強かるべき事に強きは、これ強きなり、荒きにはあらず。若し強かるべき事を幽玄にせんとて、物まね似たらずは、幽玄にはなくてこれ弱きなり。さるほどにただ物まねにまかせて、その物になり入りて偽なくは、荒くも弱くもあるまじきなり。また強かるべき理過ぎて強きは、殊更荒きなり。幽玄の風体よりなほやさしくせんとせば、これ殊更弱きなり。この分目をよくよく見るに、幽玄と強きと別にあるものと心得る故に迷ふなり。この二つはその物の体にあり。たとへば人においては、女御更衣、または遊女好色美男、草木にも花の類、かやうの数々はそのかたち幽玄の物なり。またあるいは物のふ荒夷、あるいは鬼神、草木にも松杉、かやうの数々の類は強き物と申すべきか。かやうの万物の品々をよく仕似せたらんは、幽玄の物まねは幽玄になり、強きはおのづから強かるべし。この分目をあてがはずして、ただ幽玄にせんとばかり心得て、物まね粗雑なれば、それに似ず。似ぬをば知らで幽玄にするぞと思ふ心、これ弱きなり。されば遊女美男などの物まねをよく似せたらば、おのづから幽玄なるべし。ただ似せんとばかり思ふべし。また強き事をもよく似せたらんは、おのづから強かるべし。但し心得べき事あり。力なくこの道は見所を本にするわざなれば、その当世当世の風儀にて幽玄をもてあそぶ見物衆の前にては、強き方をばすこし物まねに外るるとも、幽玄の方へはやらせ給ふべし。この工夫をもて作者また心得べき事あり。いかにも申楽の本木には、幽玄ならん人体、まして心言葉をもやさしからんを嗜みて書くべし。それに偽なくは、おのづから幽玄の仕手と見ゆべし。幽玄の理を知りきはめぬれば、おのれと強き所をも知るべし。されば一切の似事をよく似すれば、よそ目に危き所なし。危からぬは強きなり。然ればちちとある言葉のひびきにも、なびき臥すかへるよるなどいふ言葉は和らかなれば、おのづから余勢になるやうなり。おつるくづるるやぶるるまろぶなど申すは、強きひびきなれば、振も強かるべし。さるほどに強き幽玄と申すは、別にあるものにあらず。ただ物まねのすぐなる所、弱き荒きは物まねに外るる所と知るべし。このあてがひをもて作者も、発端の句、一声、和歌などに、人体の物まねによりていかにも幽玄なる余勢たよりを求むる所に、荒き言葉を書き入れ、思ひの外にいりほがなる梵語漢音などを載せたらんは、作者の僻事なり。さだめて言葉のままに風情をせば、人体に似合はぬ所あるべし。但し堪能の人はこの違目を心得て、興がる故実にてなだらかなるやうにしなすべし。それは仕手の功名なり。作者の僻事はのがるべからず。また作者は心得て書けども、若し仕手の心なからんにいたりては、沙汰の外なるべし。これはかくのごとし。また能によりて、さしてこまかに言葉儀理にかからで、大様にすべき能あるべし。さやうの能をば、すぐに舞謡振をもするするとなだらかにすべし。かやうなる能をまたこまかにするは、下手のわざなり。これまた能の下る所と知るべし。然ればよき言葉余勢を求むるも、儀理詰所のなくてはかなはぬ能にいたりてのことなり。すぐなる能には、たとひ幽玄の人体にて剛き言葉を謡ふとも、音曲のかかりだにたしやかならば、これよかるべし。これすなはち能の本様と心得べき事なり。ただ返々かやうの条々をきはめ尽して、さて大様にするならでは、能の庭訓あるべからず。
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風姿花伝・第三 問答条々問、文字にあたる風情とは何事ぞや。答、これこまかなる稽古なり。能に諸のはたらきとなる初なり。体配身づかひと申すもこれなり。たとへば、いひ事の文字にまかせて心を遣ふべし。見るといふことには目をつかひ、さすひくなどいふには袖を少しさしひき、聞く音するなどには心をよせ、あらゆる事にまかせて心をちちとつかふは、おのづから振にも風情にもなるなり。第一、身をつかふこと。第二、手をつかふこと。第三、足をつかふことなり。節とかかりによりて、身のふるまひを了簡すべし。これは筆に見えがたし。その時にいたりて見るまま習ふべし。この文字にあたる事を稽古しきはめぬれば、音曲風体一心になるべし。所詮、音曲風体一心になる位、これまた得たる所なり。堪能と申さんもこれなるべし。音曲と風体は二つの心なるを、一心になるほど達者にきはめたらむは、無上第一の上手なるべし。これまことに強き能なるべし。また強き弱き事、多く人紛らかすものなり。能の品のなきをば強きと心得、弱きをば幽玄なりと批判すること、あやまりなり。なにと見るも見弱りのせぬ仕手あるべし。これ強きなり。なにと見るも花やかなる仕手、これ幽玄なり。されば、この文字にあたる道理をしきはめたらんは、音曲風体一心になり、強き、幽玄の境いづれもいづれも、おのづからきはめたる仕手なるべし。
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風姿花伝・第六 花修一、能のよきあしきにつけて、仕手の位によりて相応の所を知るべきなり。文字風体を求めずして、大様なる能を本説殊に正しくて、大きに位のあがれる能あるべし。かやうなる能は、見所さほどこまかになきことあり。これにはよきほどの上手も似合はぬことあり。たとひこれに相応するほどの無上の上手なりとも、また目利大所にてなくは、よく出来ることあるべからず。これ、能の位、仕手の位、目利、在所、時分、悉く相応せずは、出来ることは左右なくあるまじきなり。またちひさき能の、さしたる本説にてはなけれども、幽玄なるがほそぼそとしたる能あり。これは初心の仕手にも似合ふものなり。在所もしぜん片辺の神事、夜などの庭に相応すべし。よきほどの見手も能の仕手も、これに迷ひて、しぜん田舎小所の庭にておもしろければ、その心ならひにて、押出したる大所貴人の御前などにて、あるいは贔屓興行して、思ひの外に能わるければ、仕手にも名を折らせ、われも面目なきことあるものなり。然ればかやうなる品々所々を限らで、甲乙なからんほどの仕手ならでは、無上の花をきはめたる上手とは申すべからず。さるほどにいかなる座敷にも相応するほどの上手にいたりては、是非なし。また仕手によりて、上手ほどは能を知らぬ仕手もあり、能よりは能を知るもあり。貴所大所などにて、上手なれども能を仕ちがへ、ちちのあるは、能を知らぬ故なり。またそれほどに達者にもなく、物少ななる仕手の、申さば初心なるが、大庭にても花失せず、諸人の褒美弥ましにして、さのみにむらのなからんは、仕手よりは能を知りたる故なるべし。さるほどにこの両様の仕手を、とりどりに申すことあり。然れども貴所大庭などにて、あまねく能のよからんは、名望長久なるべし。さあらんにとりては、上手の達者ほどは我が能を知らざらんよりは、すこし足らぬ仕手なりとも能を知りたらんは、一座建立の棟梁には優るべきか。能を知りたる仕手は、わが手柄の足らぬ所をも知る故に、大事の能にかなはぬことをば斟酌して、得たる風体ばかりを先だてて仕立よければ、見所の褒美かならずあるべし。さてかなはぬ所をば、小所片辺の能に仕ならふべし。かやうに稽古すれば、かなはぬ所も劫入れば、しぜんしぜんにかなふ時分あるべし。さるほどに遂には能に嵩も出来、垢も落ちて、いよいよ名望も一座も繁昌するときは、さだめて年ゆくまで花は残るべし。これ初心より能を知る故なり。能を知る心にて公案を尽して見ば、花の種を知るべし。然れどもこの両様は、あまねく人の心々にて勝負をば定め給ふべし。花修已上。この条々、心ざしの芸人より外は、一見をもゆるすべからず。世阿(華押)