論語 / 公冶長篇
子謂公冶長:『可妻也。雖在縲絏之中、非其罪也。』以其子為之妻。
書き下し
子、公冶長を謂いて曰く、『妻すべし。縲絏(るいせつ)の中に在りと雖も、其の罪に非ず。』と。其の子を以て之に妻す。
現代語訳
孔子は公冶長について『娘を嫁がせてよい人物だ。牢につながれたことがあるが、彼の罪ではない』と評し、自分の娘を彼に嫁がせた。
解説
公冶長は牢につながれた経験がある人物でしたが、孔子は「それは彼の罪ではない」と見抜き、自分の娘を嫁がせました。世間の評判や、牢に入ったという経歴だけを見れば、敬遠されてもおかしくない相手です。しかし孔子は、うわさや肩書きに惑わされず、その人がどういう人柄で、何を大切にして生きてきたかを自分の目で確かめました。会社で人を採用するときも、地域で誰かとつきあうときも、表向きの経歴や評判だけで人を判断してしまうと、本当に信頼できる人を見逃してしまいます。人を見るときには、うわべの情報より、実際のふるまいや人となりに目を向けることが大切です。
この章句が説くこと
公冶長信頼人事実質
関連する章句
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史記 仲尼弟子列伝公冶長、斉人、字は子長。孔子曰く、「長は妻はす可きなり、累紲の中に在りと雖も、其の罪に非ざるなり」と。其の子を以て之に妻はす。南宮括、字は子容。孔子に問ひて曰く、「羿は射を善くし、奡は舟を盪かすも、俱に其の死を得ず、禹・稷は躬ら稼して天下を有つ」と。孔子答へず。容出づ。孔子曰く、「君子なるかな若き人、上徳なるかな若き人」と。「国道有れば廃せられず、国道無くして刑戮を免る」と。三たび白珪の玷を復す。其の兄の子を以て之に妻はす。公皙哀、字は季次。孔子曰く、「天下行無く、多く家臣と為り都に仕ふ、唯季次のみ未だ嘗て仕へず」と。曾蒧、字は皙。孔子に侍る。孔子曰く、「爾の志を言へ」と。蒧曰く、「春服既に成り、冠者五六人、童子六七人、沂に浴し、舞雩に風し、詠じて帰らん」と。孔子喟爾として嘆じて曰く、「吾は蒧に与せん」と。
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孔子家語・七十二弟子解公冶長は、魯の人、字は子長。人と為り恥を忍ぶに能く、孔子女を以て之に妻せり。
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尉繚子・十二陵悔いは疑わしきを任ずるに在り。
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論語・為政篇哀公問いて曰く、「何を為さば則ち民服せん。」孔子対えて曰く、「直きを挙げて諸(これ)を枉れるに錯(お)かば、則ち民服せん。枉れるを挙げて諸を直きに錯かば、則ち民服せず。」
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孫子・謀攻篇三軍の事を知らずして三軍の政を同じくすれば、則ち軍士惑う。三軍の権を知らずして三軍の任を同じくすれば、則ち軍士疑う。三軍既に惑い且つ疑わば、則ち諸侯の難至る。是を軍を乱して勝ちを引くと謂う。
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孔子家語・王言解曾子曰く、「道は則ち至れり、弟子以て之を明らかにするに足らず。」孔子曰く、「参、以て姑く止むと為すか。又焉有り。昔者明王の民を治むるや、法は必ず地を裂きて以て之を封じ、分属して以て之を理む。然る後賢民隠るる所無く、暴民伏する所無し。有司をして日に省みて時に之を考えしめ、賢良を進用し、不肖を退貶すれば、然れば則ち賢者悦びて不肖者懼る。鰥寡を哀れみ、孤独を養い、貧窮を恤み、孝悌を誘い、才能を選ぶ。此の七者修まれば、則ち四海の内、刑民無し。上の下を親しむや、手足の腹心に於けるが如し。下の上を親しむや、幼子の慈母に於けるが如し。上下相親しむこと此くの如し。故に令すれば則ち従い、施せば則ち行われ、民其の徳を懐い、近き者悦服し、遠き者来附す、政の致すなり。